第5話:OODの目論見
「遅い」
「毎回それですか」
真っ暗な闇に包まれた廃工場地帯では月明かりが唯一の光源だ。
昼間ここで喧嘩でもあったのか所々に血が飛び散る場所に平然と立ってオーモバイルを弄っていた維吹は、気配を消すように近づいてきた杏の姿をゆっくりと視界に入れて呟いた。
今日はグレーのワンピース。いつものように目立たない格好だ。新緑の瞳を確認し、ついで程度に周囲を見渡す。今のところ一切人影は見られない。あるのは壁が崩れかけた建物や廃材の類ばかり。こんな闇に包まれた場所にわざわざ足を踏み入れようとする子どもはそうそういないだろう。
「はは、ごめんごめん。それで、追っ手はない?」
「とうぜん」
そう言って杏はにっこりと満面の笑みを浮かべる。維吹は杏の表情をじっと見つめ、口元をほころばした。そうして、
「流石杏だね」
と、いつものように褒める。
そのまま鉄パイプが積み上げられた廃材の山に腰を下ろし、隣に座るよう促した。
「で、一昨日会ったばかりだというのに会いたいという書置きを残した理由を聞こうか?」
彼らはあるルールに乗っ取って会合の時間と場所を街の特定の場所に記載し、その指定通りに行動する。勿論情報を確認した後は痕跡を消して、それを確認済みの合図とする。オーモバイルを使えばやりとりなど一瞬だろうが、それだと履歴が残るために危険だ。維吹は自分が提案した通りに二人の掲示板は常にチェックをしているのだが、思いの外すぐに会合の指定がされていたことには少し驚いていた。少なくとも、いつもの簡単な情報交換ではないことは確かだ。
「すみません、事を急いでしまって」
杏は控えめにお辞儀をして俯いた。それからぱっと顔を上げて、維吹の目をじっと射抜く。それから声をよりひそめるようにして、距離を縮めた。
ガラリ、と足元に転がる石の欠片が音を立てる。
「その……例の【天才の特異】がさらなる計画を立案しまして……それを伝えたかったので」
「立案?」
「【王国】を潰すための計画です」
嘘偽りはなさそうな杏の言葉を聞いた維吹は小さく息を吐く。そうして遠くにあるOODの本部塔を眺めた。この廃工場地帯を照らすのは、実は月明かりのみではない。異様に人工的な光を放つあの建物も、この閑散とした場所の光源になっている。
「……ついにか。奴らにとって誘拐をことごとく邪魔をする【王国】は消したい存在。天才少女の入れ知恵によってついに俺たちの排除に踏み出すことにした」
維吹の推測に杏は小さく頷く。新緑の瞳が不安そうに揺れた。
「でも、それは何とか食い止めたい……そうですよね」
「ああ、勿論……最初は利用するために入ったけど、今や【王国】は俺の大事な仲間だからね」
「はは、維吹先輩が仲間とか言うと似合いませんね」
杏は維吹の言葉に暫し笑って、それからより一層声を低めるようにして、
「その計画が実行されるのは明日です。その際、OOD本部から全ての上級特異が解放される。その瞬間……ほんの僅かな間、警報装置が切られる時間帯がある」
と、早口に告げた。終盤、杏の右手は維吹の手の甲に乗っており、一息に言い終わった後慌てて手を離す。
「それは何時?」
「明後日の夕方の四時です」
「ふうん。その時間を狙い目として乗り込めってことね」
「はい……今回のことはピンチですが、うまくいけばチャンスに変えられます。だから……もう、OOD倒しましょう」
「はいはい、あんまり慌てないこと」
維吹は杏の頭をポンポンと軽く叩き、真剣そうな彼女の顔をじっと見つめる。
杏はその視線をくすぐったそうに避け、すっと立ち上がった。まだ三十分も経たないが、伝えることは全て伝え終わったのだろう。
「次はいつ会えるかな?」
維吹がそう尋ねると、杏は暫し呆然として、
「生きていればいずれどこかで会えるんじゃないんでしたっけ?」
と、微笑む。
「ああ、そんなことも言ったね」
維吹も立ち上がってつられるように笑うと、杏はくるりと踵を返した。ただ、数歩歩いた後に立ち止まり、
「後は任せましたよ、維吹先輩」
と、呟く。
維吹の方を振り返ることもせず、しかしはっきりと耳に残る声で、最後の言伝とばかりに言い放たれた言葉。維吹がそれに何も返せないうちに、杏は振り返ることもなく、小走りでその場を後にした。
「はー……あ」
維吹は先ほどまで触れられていた自分の左手の甲を右手で掴んで大きく息を吐く。いろいろと気になるところはあったが、特に最後の言葉。あの言葉が妙に頭に残って胸騒ぎがする。
「後は任せた……か」
帰り際の杏の言葉を反芻し、それから先ほどの会話を思い返す。
どこも違和感のない会話であったと信じたい。お互いに、今回はやや緊張してしまったかもしれない。
維吹はさっと周囲を見渡し、見慣れない機器などが隠れていないかを確かめる。廃材の隙間や壁の向こう側などは、杏が来る前にくまなく確認した。だから、ここに何か仕掛けがあるとは考え難い。
「ということは、杏の方か」
今の会話は盗聴されている。
それは、最初に言葉を交わした段階で分かっていることだった。彼らが最初に交わす言葉にはいくつもの取り決めがある。その一つが「追っ手はない?」という維吹の質問に対する回答。
「もちろん」と答えれば問題無し。「とうぜん」と答えたら盗聴されている。「おそらく」と答えたら追っ手がいる。そういう合言葉のようなやりとりだ。きっと、今の杏の服には盗聴器のようなものが付けられているのだろう。
さらに、杏は「嘘を伝える時だけ維吹の手の甲に触れる」という取り決めもしてあった。よって、上級特異たちが出入りする時だけ警報が解除されるというのは嘘だが、それが明後日の午後四時に遂行されるのは真実ということも分かる。
「さて……どうするか」
維吹は額に手のひらを押し当て考える。相手が【王国】を狙うことはいずれ来ると思っていたが、予想外に動きが早くなってしまった。また、杏も盗聴されているとなると……この先の安全は危ぶまれる。
そんな風に考えながら廃工場を後にしようとしていると、【王国】専用のチャットに緊急情報とやらが流れているのを見てしまった。
どうやら、OODの戦略は既に始まっているらしい。
◆ ◆ ◆
「おい、そこの新入り」
【王国】の拠点にて。特にすることもない颯太が大広間でオーモバイルをぼんやり眺め、この街の情報が集まった掲示板などを眺めていると、上から妙に偉そうな声が降ってきた。顔を上げると、こちらを見下ろす男児の姿が見える。
「えーっと、何?」
よく見ると、彼の背後には雪々と、それから気の弱そうなワンピースの幼子がいた。雪々と違って彼女の方はちゃんと女の子であるようだ。
「知夏を見なかったか?」
ぶかぶかのジャンパーをきた男児は、やはり高圧的な口調でそうたずねる。知夏といえばあの人懐っこい天真爛漫なおさげの少女だ。やけに存在感が強いので近くにいたらすぐに気づく。今日は一切見ていないなと思い、颯太は首を横に振った。
「今日は見ていないけど」
「……やっぱりか」
やや落胆する声に、何かあったのだと気づく。
確か知夏は誘拐されやすい体質、と言っていた。この状況は、やや怪しい。
「あの、君は?」
歯をぎりりと強く噛み締める男児と目を合わせ、颯太は彼の名を問う。知夏がいないことは一大事だが、彼はただ【王国】の仲間だから知夏を探しているわけではなさそうだ。
「俺の名前は
大きくガッツポーズをして声を荒げる住佳に、雪々がびくりと肩を揺らす。
「近衛さんを?」
「あ、あの、住佳くんが一人で言ってるだけなので……気にしないでくださ……」
「なんか言ったか
「ひっ」
雪々より背は高いのに彼よりさらに怯えた少女は、住佳の言葉にきゅっと身を縮める。
「とにかく、知夏が行方不明でお前たちは心配しているんだな」
颯太が短くまとめると、住佳は顔をしかめ、それから頷いた。
「学校にもいねえし、連絡もつかない。だから今度こそ捕まった可能性があるかもしれない」
「じゃあ早く菰野さんたちに連絡しないと」
「嫌だ!」
颯太が【王国】の長に連絡しようとオーモバイルを操作すると、住佳がその手を掴んだ。
その瞬間、颯太自身に何か強い力が掛かるのを感じた。
「俺は、あんな奴らに頼らず俺の手で知夏を助ける」
「それはお前の私情だ。知夏にいいところを見せようとした結果何も救うことができず最悪な結果になったらどうする?」
自分にかかる妙な重力を気にしないふりをして、さらにできるだけ彼の意図を汲んで尋ねれば、住佳はすぐに言葉を詰まらせた。
近衛を倒すと豪語して、陽芽には頼らないと断言する。そして自分の手で知夏を助けたいと言う。その状況だけ見ても、彼が知夏にいいところを見せたいがために上に事態を報告しない、という意図は十分に伝わった。
しかし単なる迷子探しとは違ってここは命さえかかる無法地帯。ワガママに付き合うつもりはない。それくらいは颯太もわきまえている。
「だって、俺、このままじゃ全然、格好つかなくて」
「格好?」
「俺、前に学校でたかられているところを知夏に助けられて【王国】に入って……だから今度は俺が知夏に恩返ししたいのに、いつも九重近衛や女王様があいつを助けて、あいつはあの二人に懐いていて……だから」
まずい、と颯太は思った。
自分にかかる何らかの力がどんどん強まっている。このままでは身体が畳にめり込んでしまいそうだ……と、そんな気持ちさえ抱いてしまう。
「じゃあ、別の人たちに相談するのはどうだ?」
颯太は、渋々妥協案を提示した。
「別の人?」
その途端、自分の身体が一気に軽くなる。やはり何らかの能力が発動していたようだ。
住佳はキョトンと首を傾げ、背後にいた鈴波という少女と雪々は僅かにホッとしたような顔をする。同じ小学生組といえど、住佳の暴走を止めるのはこの二人には難しいらしい。
彼の【特異】をもろに受けた颯太もまた、本気の彼を止めることは自分にはできないと、今の僅かな間だけで感じてしまった。だからこそ、細心の注意を払わなければならない。
彼が変な対抗意識から暴走しないように。
「ああ、昨日たまたま知り合ったんだ……便利屋みたいな人たちだから頼ってもいいかなと」
そう言って今度こそオーモバイルを取り出す。
慣れない操作をしながら連絡先を引き出すと、妙にタイミングよくその人物から電話がかかってきたようで、突如現れた赤い通話ボタンに暫し戸惑う。
それでも颯太がなんとか通話ボタンを押すと、電話口から決して穏やかとは言えない声が聞こえてきた。
『颯太くん、大変よ。昨日から今日にかけて大量の【特異】が誘拐されている』
と、【トランプ】のリーダー、木津川空は、いつもの剣吞とした雰囲気を潜め、口早にこの無法地帯の現状を報告してきたのである。
それは、ここに来たばかりの颯太が聞くにはあまりにも現実味のない話だ。
否、この場所に身を馴染めていたとしても、やはりどこか現実離れした話に聞こえたかもしれない。
「誘拐って、誰がどこに……」
『決まってるわよ。OODがこちらの【特異】を実験のために捉えはじめている。今までは数を管理できずにこうやって無法地帯に野放しにしていたはずなのに』
今起きていることは颯太がここに来る前まででは考えられなかったこと。それは、分かる。空の口ぶりから、今まで類似例の無い非常事態なのだろう。だが、颯太自身にその問題を解決できる能力はない。
「俺は、どうすれば?」
それなら何故空は颯太に電話をかけてきたのか。陽芽や近衛の番号を知らなくとも、彼の知り合いに維吹がいるはずだ。
『あなたの観察力を頼りたいの。それに言ったでしょう? 交渉って』
「ああ……」
何かとんでもないことに巻き込まれたと思いながら、颯太は深く息を吐く。
ややこしい事態だが、もしかしたらそれが颯太の幼馴染を見つけ出す一つの手段になるかもしれない。だとすれば、彼が取るべき行動はただ一つ。
「分かりました。手を貸しましょう。あと……数人連れて」
颯太は住佳たちに目を落とす。途中からスピーカーにしていたため聞こえていたはずだ。
妙に力の入った様子の住佳に無意識に手を伸ばし、ぽんぽんとあやす。
どうやら双方の力試しをする時がきたようだ。
◆ ◆ ◆
「あら? てっきり女王様たちを連れて来てくれると思ったのに……可愛いナイトさんたちねえ」
唇に人差し指を与えながら、木津川空は妖艶な笑みを浮かべる。その言い回しが気に入らないのか、隣にいた相谷恩は大きな溜息をついた。
【トランプ】が拠点としているゲームセンター跡地。今回は恩の幻影トラップもなくそのままの姿で迎えてくれたこの場所に、颯太は住佳、鈴波、雪々という三人の子どもを連れて乗り込んだ。昨日から【王国】との交渉を持ちかけていた空にとって、この状況はやや予想外だろう。
「こいつらの友達である甘野知夏が誘拐された可能性がある。それが事実かどうか、あなたたちの力で盗んできて欲しいんです」
知夏が本当にOODに捕まっているようなら陽芽たちを呼ぶ。それは、颯太が住佳に提示した条件だった。そしてそれを探るのを手伝うのはこのへんてこな怪盗四人組であるということも。
「なるほどねえ」
空は小さく頷いて、それから歩に目を向ける。
今日は面倒臭そうにその場に座る歩も、小さい子供たちに興味津々の柚も最初からその場にいた。
「歩ちゃん、甘野知夏という子のカルテは?」
「甘野知夏……体液が万能細胞に変わり他人の怪我を治せる【治癒の特異】で、【王国】に属する12歳、小学六年生の少女だな。比較的分かりやすく医学的側面から実験をしやすい特異であるため、度々OODの使いである上級特異に狙われている。その際菰野陽芽と九重近衛に助けられて以来、彼らのことを強く慕っている。性格は天真爛漫で多弁。困っている人を放っておけない。容姿は小柄で普段は赤い髪をおさげにしている。OODに持ち込んだ私物のリコーダーを武器の代わりに振り回す癖があるが大した力はなし。最終カルテ更新は3日前」
歩は、名前を聞いただけでつらつらと知夏の特徴を羅列する。
【記憶の特異】である彼女は、無法地帯にいる【特異】たちの情報を収集しているのだろうか。知夏は多々起こる誘拐未遂の件で目立つため、カルテとして記憶されていてもおかしくはなかった。
ただ、そのカルテ情報を今引き出したところで何ができるのだろう。
「さて、颯太くん、今の情報を聞いて知夏ちゃんを探すとしたらどうすればいいと思う?」
「さあ……俺にはできません」
颯太は、考えるような間もなく即答した。自分の力で……自分の鍛え抜いた観察力で知夏を見つける方法がないかは十分に検討した。その上で、不可能だと思った。それは、今一通り知夏のプロフィールを聞いても変わりが無い。
「あなたが、じゃなくてもいいのよ? 私たちの力を使って知夏ちゃんを探す手段があるか、思いつくことはできる?」
颯太は、錆びたパイプ椅子に足を組んで座ったまま、自分を妖艶に見上げる空をじっと見つめる。そうやって試すように尋ねてはいるが、彼女は既に答えを知っている……ひとまず、そのことだけはすぐに読み取れた。
だとすれば、今ここにいる三人の子どもを使う手段は除外してもいいだろう。おそらく空はまだこの子たちの力を知らない。だとすれば推理に使えるのは空の【透視の特異】、恩の【幻影の特異】、歩の【記憶の特異】、柚の【念動の特異】の四つ。トランプのように示された四つの特異と歩が示した情報。それによって導き出される解決策は。
「ふふ、さすがに【観察の特異】の颯太くんでもそれは見えないかしら?」
「ああ……なるほど」
ある程度推理をしたところで生じた一つの疑問も、今の空の勝ち誇ったような言葉で解消されてしまった。
空は既に答えをしっている。だとしたら迷う必要は無い。
「リコーダー、ですね」
歩の話に出てきた、知夏がよく手にしているというリコーダー。
おそらくこれが今の答えだ。
「リコーダーって、学校行くときよく知夏が持っていってるやつ……」
住佳がぽつりと漏らす。単位制の学校である以上、リコーダーを持っていく必要性はない。持ちやすさとあの形状が、知夏にとって武器みたいなものだったのだろう。とても特異相手に通用するとは思えないが。
歩も記憶を手繰りよせる際にリコーダーのことを口にしていた。
「あなたは、透視によって周囲の様子を探ることができる。その精度がどの程度のものか分かりませんでしたが、先ほどの勝ち誇ったような顔で確信しました。あなたはある程度の距離ならば、何か特定のものを探り当てることができる。知夏の外見は分からなくても、歩さんからもらった情報の中から知っているものを探ってみることはできる」
颯太は空の【特異】がどのようなものか、しっかりとは把握していなかった。
姿を消した活羅を追いかけることはできると言っていたが、その際の障壁はどの程度すり抜けられるのか、距離はどの程度か、話を聞くだけでは計り知れない。けれど、今ので分かってしまった。
彼女の透視能力とは、壁を無視してその先を見るような、そんな単純なものではない。彼女は、目当てのものを見るためにそれ以外のものを視界から透過させることができるのだ。
「そう。正解。流石に距離の限界はあるし、見たことの無いものは探せない。でも、歩ちゃんからの情報で、その子がよく身につけているものとかが分かれば、それを頼りに探すことができるの。今回ならリコーダーを探してみればいい」
そう言って、空は目を瞑る。
「この短時間でそんな推理ができるとは……」
と、恩が驚いて颯太を見つめていることを見るに、彼女は空の能力の使い道をすぐに導くことはできなかったのだろう。
それもそうだ。颯太も、自分がここまで的確な推理ができてしまったことに自分でも驚いていた。これは自分の観察力以前に、幼馴染の影響も大きいかもしれない。
天才少女と巷で噂された、幼馴染の。
「見つけた」
大した時間を要すこともなく、空はポツリと呟いた。
「なんだと!」
じっと訝しげに空の様子を見ていた住佳が、思わず立ち上がって声を上げた。
「はっはっは、リーダーの力に恐れ慄いたか少年よ」
「はいはい、そういうのはいいので早く行きましょうね」
ふざけたように大げさなポーズをとる柚の背中を恩が押す。
おかしな集団であるのは変わり無いが、もしかしたら彼女達は相当優秀な少女達なのかもしれないと、颯太は認識を新たにしようとした。
短いスカートも気にせず颯爽と歩き出すキャバ嬢みたいな少女と、何を考えているのかも分からない長髪長身の少女、住佳に絡むボサボサ髪の少女に、颯太の隣で大きなため息を吐く少女。
見かけも中身もバラバラだが、それでも彼女たちは怪盗【トランプ】。
【王国】とはまた違う、恐ろしい集団だ。
「はい、到着」
「え?」
意気揚々と歩き出したものの、たどり着いた場所が場所だけに、颯太は思わず間抜けな声を出してしまった。颯太だけではない。一同皆、今の場所に呆然と突っ立ち、やがて何が起きたかということを理解していく。
たどり着いたのは学校と【王国】の住処を繋ぐ丁度道の真ん中。アスファルトで綺麗に舗装された道の左右にはやや崩れかけた塀があるものの、取り立てて治安の悪さは感じない、住宅地にある通学路のような場所。無法地帯の最北にある学校と【王国】の住処の位置を比べてみれば、どちらかといえばここは【王国】寄りになるかもしれない。
そんな何の変哲も無い場所だが、彼らの足元にはむき出しのまま落ちているリコーダーがあった。裏返せば、上の方にしっかり「甘野知夏」という名前が彫ってある。外にいるとき小学校で支給されたものなのだろう。
空は見事にリコーダーを探し当てたわけだ。こんな道の真ん中にぽつりと落ちているリコーダーを。
これは、知夏にとっての大事な武器。そして、それが今この場所に落ちている。それがどういう意味なのか、それはここにいる小学生たちにも分かるだろう。
「菰野さんを呼ぼう」
「で、でも、あいつらに頼るのは……」
「頼るんじゃない。一緒に戦う……それならいいだろ?」
颯太は再びやんちゃな少年の頭を撫でる。それから背後で不安そうにしている二人の子どもの頭も。
年下の幼なじみがいた分、こういった時の扱いは心得ていた。
住佳は知夏を自分たちの手で探し当てたいと言っていた。しかし、おそらくこれは不可能な域に来ている。それは、住佳自身分かるはずだ。
「いやだ、俺は……俺は自分の力で……」
しかし、この男児のやんちゃな思いは、その程度で収まることはなかった。
反抗期の子どもみたいにだだをこねた住佳は、急に地を蹴って……そのまま、驚く颯太の肩を……真上から、押し倒した。
身体がアスファルトに減り込むような衝撃を感じる。涙を目にためた住佳の後ろにぽっかりと見える青空が、やけに遠く感じる。
しかしそれも、長くは続かなかった。
「ほい、もう大きいんだからだだをこねることはやめなされ」
首根っこをつかむように指をくいっと動かした柚は、その指を背後に動かす。その瞬間、住佳の身体は後ろに引かれ、その場に尻餅をついた。
柚の【念動の特異】が発動したのだ。鈴波と雪々は住佳に歩み寄ることもできず震えている。
「自分や周囲の重力を操る【重力の特異】、高居住佳だな。情報は聞いていたがここまで我儘坊主だとは聞いてないぞー」
歩が面倒臭げに呟く。確かにこれは面倒臭すぎる少年だ。
颯太がどう説得するか考えていると、これまた面倒臭そうに一同の一番後ろに立っていた恩がすっと前に出てきて住佳の前に屈んだ。
「あのね、駄々を捏ねたって私たちはOODに敵わないわけ。分かる? 相手は強力な【特異】を上級特異として扱い、科学の力を持って容赦なく私たちを殺しに……もしくは攫いにくる。被害に遭った【特異】の数は計り知れない。だからこそ、私たちは手を組む必要がある。私がこの面倒臭い人たちと手を組んでいるのも、何が何でも外に出たいから。外に出るためにお互いを利用しているの。【王国】だってそうでしょ? 自分たちの安全のためにお互いを利用している。あなただって、好きな子を助けるためにあの人たちの力を借りたら? それは逃げでもなく立派な戦略だと思うよ」
淡々と、言葉に抑揚を付けず話す恩の言葉は、されど住佳の心には響いたらしい。利用する、というのは穏やかな発言では無いが、颯太の言う「協力」と然程変わりがないと信じたい。
「そういうことだから、さっさと事件解決に挑みましょう?私たち【トランプ】の目的はここからの脱出。OODを敵として相手取るという点において、【王国】とも目的に変わりはないものね」
空の言葉に、しゃがんでいた恩が僅かに顔を上げる。彼女は誰よりもここから出たがっていた。それが、ついに叶うのかもしれないのだ。今回ばかりは溜息もついていられない。
「そう、ですね」
気づいたら日も傾き出している。颯太はオーモバイルを取り出して陽芽に連絡を入れた。想定外だが、随分と早く事が進んでいるようだ。
ただ……この時の颯太はまだ、OODの背後で彼らに指示を与える人物が一体誰なのか気づいてはいなかった。
気づかなかったからこそ、幼なじみを助けられるかもしれないという一縷の望みを持ってこの作戦に前向きに取り掛かることができたのだ。
◆ ◆ ◆
「流石ね、杏」
「まあ、ね。完全に油断している相手を騙すなんて容易いことだよ」
蛇穴杏は、自室の大きなモニターに映る白衣の女性の目をまっすぐに見据え、大げさなジェスチャーを加えて自慢げに答えた。
維吹を騙してこいというこの研究者、紗雪という女性の頼みは果たしてきた。これで、こっそり学校の先輩と情報のやり取りを行っていたという罪が無に帰す……ということは考え難い。杏は何も気に留めない風を装いながらも、紗雪の次の言葉をじっと待った。
「その調子で心の底から私に従順になってもらいましょうか?」
「……え?」
思わず素が出そうになり、慌てて「どういうことかな?」と尋ねる。モニターの向こうの紗雪は相変わらず気味の悪い笑みを浮かべていた。僅かに映像にノイズが入ったように見えたのは気のせいだろうか。
「私も研究者の端くれ。ある装置を開発してね、それをあなたで試してみたいの」
「へえ、上級特異の僕を従順にさせるなんて……それはさぞかし凄い装置なんだろうね。そんなことしなくても僕はOODに忠誠を誓っているはずなんだけど」
嘘を並べながら、相手の出方をひたすら探る。モニター越しでは相手の心を読むことはできない。今はただ、それがもどかしくてたまらない。
今の彼女はOODの指示で動いているのだろうか。それとも、軽沢類の指示を受けて独断で動いているのだろうか。
それすら、察することができない。簡単に許してもらうことはできないとは分かっていたものの、それでもどこかに逃げ道があると考えていた。
その可能性のいくつかが、黒く塗られていく。
「洗脳よ」
「せんのう……?」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
洗脳。自分の頭の中の思考や記憶を塗り替えてしまう……と、そういうことだろうか。背筋を嫌なものが走った。
維吹とのことがバレたのは杏にとって正直想定内のことだった。バレた時のいくつかの回答を用意していたほどに、考えうることだった。
しかし、このシナリオは分からない。どう答えたらいいのか、腹の探り合いもいいところだ。
「ふふ。あなたが私の言うことしか聞きたくなくなるように、頭の中を綺麗に弄ってあげるわ」
「……悪趣味、だね」
心の底から、悪態をつきたい気持ちでいっぱいだ。
人の心が読める杏がここまで上級特異としてなんとか生きてこられたのは、彼女の根底にある強い意志のおかげだった。そのお陰で狂うことなく、真っ当な意志を持った上で「怪物」を演じてこれた。
しかし、その心が失われて、紗雪への忠誠心で満たされてしまう。そうしたら、杏は一体どうなってしまうのだろうか。
「どうしたの? 組織に忠誠を誓っているあなたなら怖がることは何もないはずだけど」
「いや……だからこそちょっと驚いただけだよ。そんな実験しなくても、僕の心なんていくらでも手に入るのに」
「ふふ、そうやって口答えする気持ちさえ全部、消してあげる。その方があなたも楽になるんじゃないの? 人の感情をいろいろ聞くのは大変でしょう?」
確かに、人の心の声を読んでしまい、その感情に左右されるのは楽なことではない。いっそ心を失ってしまった方が楽かもしれないと思ったことはある。
が、今彼女が行おうとしていることは、杏のための治療とは全く異なることだ。
もしかしたら自分は維吹たちを……無実な【特異】たちを、自らの【特異】を持って追い詰めてしまうかもしれない。そして、それを止める手札がない。
自分の中に残っている真っ当な「理性」という武器さえ、奪われてしまうのだから。
しかし、今の杏に紗雪の言葉を遮るための理由付けはなかった。維吹との邂逅がバレている以上、紗雪に逆らう術は無い。
「じゃあ、お言葉に甘えてやってもらおうかな?」
杏は歯茎に力を入れて、それからにこりと笑みを浮かべた。
彼女が上級特異をやる上で必要だった、人を嘲るようなその笑みを。
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