第4話:参上!怪盗トランプ
「ねえひめちゃん」
【王国】が住処とする廃旅館の葵の間。ここは大事な話をする場所となっており、基本的に陽芽と近衛、維吹しか自由に出入りできない決まりになっている。
では彼ら三人が葵の間に入って何か大事な用をしているかといえばそれは違う。陽芽や維吹ならまだしも、近衛は水を飲みながらぼーっと陽芽の姿を眺めるだけの時間を過ごしていることが主だ。時折陽芽に声をかけても、何かを必死に書き留めるような作業をしている最中は全く取り合ってもらえない。
だからこそ、彼女の手がとまっているこのタイミングを狙って身体を起こし、じっと顔を見つけて声をかけた。
「ひめと呼ぶのはやめてくださいと言っていますよね」
「もう、それはいいでしょー」
普段下ろしている髪をそっと耳にかける仕草もたまらなく色気があるが、頭の上の方で髪をまとめてうなじを晒している今の姿もまた胸を打つものがある。そう口に出したところで今度は拳が飛んでくることが目に見えているのでぐっとこらえ、はちみつのような黄金色の左目に吸い込まれそうになりながら、
「【王国】の今後について確認したいんだけど」
と、いつもよりは真面目ぶった口調で切り出した。
「どうしたのですか? ついにどこかで頭をぶつけてネジが外れてしまったのでしょうか?」
「だーかーら、そういうのはいいって!」
陽芽は、微笑みながら冗談です、と告げ近衛の言葉の続きを促した。
近衛は座布団の上にきちんと坐り直して、それから少しだけ声のトーンを落とす。
大事な話をするときくらいはしっかりしたポーズをとりたかった。
「俺たちの目的ってさ、この危険な無法地帯で身を寄せ合ってお互いを守りながら生活していくことだよね?」
「ええ、そうですわね」
「じゃあさ、間違ってもOODに自ら戦いを挑みに行こうなんてしないよね?」
「……何故、それを問うのですか?」
陽芽は、近衛の話がいつになく真剣だと気付いたのか、何かを書き込んでいたノートを閉じ、会話に集中することを示した。
「維吹が加入した時から思ってたんだけどさ、あいつ多分OOD倒す気満々だと思うの。どうすればそれができるかとか、難しいことは俺には分からない。ただ、いずれは奴らに挑む気だ。颯太くんもそう。類ちゃんっていう幼馴染を連れ戻すためなら、OODにだって逆らう気でいる」
近衛は、それが不満だった。近衛が陽芽と共に【王国】を立ち上げた当初は、【王国】はそんな大それた組織ではなかった。それが今や無法地帯で最も巨大な組織だとか言われるのだから呆然としてしまう。
最近、近衛は街に出るたびに「【王国】の九重近衛だ」と恐れられる。
自分はただ、陽芽を守るだけの役目を担っていられればよかったのに。そんな大それた肩書きなどいらなかったのに。
「確かに設立当初は、他の特異集団やOODから遣わされる上級特異に狙われる非力な子たちを救うことが目的でした。でも、ただ戦闘に勝つだけでは、本当に彼らを救ったことにはなりませんよね? もしOODという邪悪な組織を壊すことができれば……それが最も最適な救済方法だとは思いませんか?」
「そんなの結論ありきじゃん。OODに逆らうなんて危険だし……外の世界だって俺たちみたいな【特異】には絶対風当たりが強い。この無法地帯で身を寄せ合って生活できれば……俺は、別に」
「近衛」
陽芽が震える近衛の手を握る。今近衛が維吹たちに反対しようとするのは、OODに逆らうのが危険であるということも、設立当初の意図とはずれているということも関係ない。
ただ、外の世界が怖い……それだけだ。
強い力を得てしまったせいで人から避けられ続け荒んでいた過去の近衛のことは、陽芽がよく知っている。
自分を守るという目的を持ったことで、彼が前向きに生きられるようになったことも。
「私たちが何故【王国】という名前をつけたのか覚えていませんか? ただトップが力を持つだけでなく、仲間一人一人のことを大切にする。そんな志のもと二人で決めたことでしょう? 彼らの中には、自分の両親に会いたい子もいます。親しい友達と再び学校に通いたい子もいます。彼らの望みを叶えることに、近衛の過去や私の過去など関係ありません」
陽芽はそっと自分の左瞼に触れる。彼女の瞳の色が左右で違うのは生まれつきではない。傷がすぐに治ることをいいことに父親に暴力を振られる日々。その時たまたま左目を傷つけられ……再生した目を鏡で見た瞬間、色が変わっていることに気がついたのだ。
陽芽は自分の左目を誇りに思っている。これが、自分に残るただ一つの『傷跡』だから。
二度と家族に会いたくない陽芽。二度と学校に行きたくない近衛。
彼らがこの無法地帯から出たところで、幸せな未来が待っているとは思えない。近衛の主張は確かにもっともらしい弱音だった。
「この無法地帯から出ることができたら……二人で共に暮らしましょう? それではいけませんか?」
「え……」
陽芽の言葉に、近衛の顔が真っ赤に染まる。
「それってひめちゃんまさか逆プロポーズ……」
「さて、どうでしょうね」
近衛の猛アタックを日々避け続けている陽芽は、赤くなる近衛を見てにこにこと笑っている。
またうまいこと誤魔化されてしまった……そう思うものの、これでまた近衛の目標ができてしまった。
「よーし、OODを倒して陽芽ちゃんと結婚するぞー!」
「近衛、作業を続けるので静かにしてください」
「ひどい」
こうしてまた、葵の間に平穏が訪れる。肩の荷が下りたことで安心してまた姿勢を崩す近衛がふと
「そういえば作業って何しているの?」
と尋ねると、陽芽は少しばかり悪戯を思いついた子どものような笑みを見せ、
「【王国】のカルテ作りですわ」
と、きっぱり告げてみせた。
◆ ◆ ◆
「ここ……か」
颯太は現在、維吹に教わったゲームセンター跡地へと来ていた。
普通のゲームセンターにありそうな張り紙や看板などはなく、古くなった入り口上の蛍光看板と傷の付いた自動ドアがある程度の、一階建ての建造物。ガラス窓は何故か木の板で塞がれ、十分に中を覗くことはできない。ふと足元を見れば「【トランプ】の拠点」という文字が彫られた木のプレートが落ちていた。立てかけておいたつもりかもしれない。颯太はプレートを壁に立てかけると、恐る恐る「自動では開きません」とマジックで書かれた自動ドアを手で引いた。その先に広がっていたのは……少なくとも記憶の中のゲームセンターとは程遠い光景だった。
傷の付いた自動ドアから覗いた程度では中が空っぽであるようにも見えたのだが、自動ドアから覗けないところへ一般家庭にあるようなソファーやクッションなどが置かれており、一応くつろげる空間となっている。一方のゲームセンターの要素だが、電源の入らないオンラインダーツマシンが一台壁に設置されている以外、特にそういった施設である面影はない。その辺りはOODができる以前に取り払われてしまったのだろうか。
それにしても、部外者が普通に入れてしまって大丈夫なのだろうかと心配していると、
「どうしました?」
と、奥のスタッフルームらしきところから少女の声がした。
出てきたのは、黒髪をハーフアップにした聡明そうな少女。颯太よりもやや年上でありそうな彼女は、訝しげな瞳で颯太を見つめている。
「えっと……俺は」
維吹に言われてここへ来たと言っていいのか、それとも何か別の言い訳を考えた方がいいのか悩む。ここへ行ってみるといいと言われた他はなんの情報も与えられなかったので、彼女が何者かすら分からなかった。
そもそも、だ。じっと見つめるうちに、彼女が普通でないことが……この場所が普通でないことが分かってしまった。
これも、十分観察力を鍛えたおかげだろうか。
「あの、この建物の照明の位置なら……あなたの影ができるはずですよ」
天井にポツポツと並んだ蛍光灯。外部の光がほぼ遮断されている限り、この蛍光灯が建物の光源になる。そうすると、おのずと影ができたり床の明るさが変わってしまうものだが、颯太の視界に広がる光景は、あまりにひらぺったかった。
少女は無表情のまま立っていたが、奥の方から溜息が聞こえ、それから颯太の目の前にあった光景が一瞬にして変わる。
目の前にはぬいぐるみが詰め込まれたクレーンゲーム機。その奥にはシューティングゲームや飛び出してきたワニを叩くゲーム、プリクラの機体もあった。いわゆる、普通のゲームセンターだ。照明により機体の影も薄っすらとできていた。
なお、左右にあったソファーやダーツマシンなどはそのままである。だとすればもう、何が起きていたのか大体分かる。
機体の間をすり抜けてこちらへやってきた少女は、先ほど颯太の目の前に現れた少女と一切変わらない姿をしていた。けれど表情は先ほどよりも疲れているように見え、
「お見事ですね」
と、とても褒めているようには思えない口調で颯太を褒めた。
「えーっと、俺……維吹さんという方の教えでここに来ていて……」
「はい、私も話は聞いています。しかし来た方をすぐには通さないのが私たちの決まりですので、騙すような真似をしてしまいました。どうして私がこんなことしなければいけないのか分かりませんけど」
そう言って少女は再び溜息を吐く。私たち、というなら他に仲間がいるのだろうか。
「もう、辛気臭い顔しちゃって。老けるのが早くなるわよ」
「余計なお世話です」
颯太が少女の言葉を吟味していると、やけに間延びした声と共に、両耳に大きなピアスをつけたショートカットの少女がやってきた。やけに丈の短いニットのワンピースのせいで肉付きのいい手足が目立つ。どこか風俗嬢を思わせる容姿でもあった。少なくとも地味な格好をしている黒髪の少女とは対極にいそうな人種だ。
「維吹くんから話は聞いている。恩ちゃんの幻影を見破ったということは、あなたが話に聞く樋川颯太くんね」
「はい……」
やはり、維吹の指示は彼女たちに会いに行けということだったと確信できたが、まだ彼女たちがどういった集まりか分からない。いきなり【特異】で人を騙してくる辺りからも、容易に信用することができなかった。
「私は
空、と名乗った少女は、唇に人差し指を押し当てて妖艶な笑みを浮かべた後、
「君の望みの幼馴染探し、手伝ってあげましょうか」
と、持ちかけた。
「ええっと……あなたたちは、何なんですか? 【王国】の人ではなさそうですし……」
どうしても、初対面の相手のことは疑ってしまう。こんなに怪しい登場をされたのだから尚更だ。
「そうね。私たちのグループ名は【トランプ】。またの名を、美少女怪盗四人組よ」
空がウインクをした隣で、恩が再び溜息を吐く。
「怪盗?」
「ええ。といっても金銭を盗むなんて野暮なことはしない。私たちが盗むのはあくまで情報だから」
情報を盗む怪盗。それが、彼女たちの素性らしい。
「ならもしかして、類を探すための手がかりを持っているんですか?」
「いいえ」
颯太の一縷の望みをかけた言葉は、すぐさま否定されてしまった。
「でも、その類ちゃんの情報を探して欲しいという依頼を受けて、情報を盗んでくることはできる。百戦錬磨の勝率を誇る【トランプ】に不可能という文字はないわ」
「なるほど……」
やっと、維吹の意図が分かった。類の情報を探すために彼女たちに協力を仰げ、ということらしい。
「維吹さんとはお知り合いなんですか?」
「彼は、私たちのお得意様よ。私たちにくる依頼のほとんどが、維吹くんからのものだもの。【王国】に入るために必要な情報も、使えそうな【特異】の情報も、邪魔になる上級特異の情報も、全て私たちが盗んで提供した」
維吹は【王国】の中でなかなかうまく立ち回っているように見えたが、彼女たちの情報ありきだったらしい。しかし、その謎の人脈が侮れない。
「でも……どうやって情報を盗むんですか? 上級特異の情報なんて、OODに接点がなければ見つけられないような……」
「ふふ、そんな一般常識は私たちに通用しないわ。なんていったって私たちは美少女怪盗四人組だもの」
「自分で美少女なんて言って恥ずかしくないんですか?」
ついに溜息ばかりだった恩という少女が突っ込むが、空にはどこ吹く風だ。
「まあ、実際に私たちの仕事を見てもらった方が早いわ。ちょうど私たちの仲間が任務に行っているの。恩ちゃんと一緒にその様子を見に行って頂戴」
「任務……」
一体何を見せられるのか、そして何故この無気力そうな少女と出かけなければならないのか、颯太にはまだ理解できない。しかしここはとにかく流れに身を任せたほうが楽そうだ。
「分かりました」
素直に頷き、再び嫌そうな顔をした相谷恩に続いた。
「あの、なんかすみません」
「え?」
「いや……すごく面倒臭そうな顔をしていたので」
颯太は、目の前を歩く恩の顔色を伺うようにそう告げる。すると恩は暫く黙った後、
「別にあなたを案内すること自体に嫌気が指しているわけでも面倒臭がっているわけでもありません。勘違いさせてしまったのなら謝ります」
と、僅かに頭を下げた。
「え……」
「私はただ、あの人たちの茶番に呆れているだけです。怪盗とか美少女とかどこの漫画の話ですか? 目的が決まっているなら無駄な発言をせずに効率良く仕事をするだけでいいと思いませんか?」
「ま、まあ……確かに」
先ほどの風俗嬢のような空とは対照的に、恩は真面目な口調で主張する。
颯太はその気迫に押されつつ、彼女の言葉に同意を示した。
「でも、それならどうして恩さんはあの人たちと一緒にいるのですか?」
「……目的のためです」
颯太の言葉に、恩は静かに答える。先ほどの眉に皺を寄せたような表情は、やっと身を潜めたようだ。
「目的?」
「ええ。この無法地帯には大きく分けて二種類の人がいると思います。この無法地帯から出たい人と、ここで暮らしていたい人。私はその中の、出たい方に入ります」
颯太には、ここから出たくない人がいるのが意外だったが、外の世界では【特異】を危険なものと見なして悪く言う者もいる。生まれた時から【特異】としての力を発揮していた者は、確かに外の世界を嫌っているかもしれないと納得した。
「私は普通に生きて普通に進学して普通に就職して普通に結婚して普通に子供を産んで普通の人生を送りたかった。それなのに変な力を持っていることがバレて、気付いたらあの人たちと腐れ縁になっていて……全然普通じゃない。だから何としてでも、外の世界に出る必要がある」
確かに颯太からすれば、他の個性豊かな【特異】たちに比べて恩は非常に普通な人間に見える。しかし、人に幻影を見せるような【特異】など、故意に使わなければバレないようなものだ。いつOODに捕まったのだろうか。
颯太が疑問に思っていると、目の前の景色が急に変化した。
ごく普通のアスファルトの地面が、見事な草原に変わり、見えない風に吹かれるようにさわさわと揺れている。
「あー、すみません。今戻しますので」
恩はそう言って額に手を当て目を瞑った。そして何かをぶつぶつと呟きはじめ、暫くすると颯太の足元は無機質なアスファルトの道へと戻っていた。どうも特別な呪文などを呟いていたわけではなく「消えろ消えろ消えろ」とただ繰り返していただけだった。
「今のは……」
「故意に出したのではありません。私は感情が高ぶると勝手に【特異】が出てしまう……それで、私の幻影に偶然かかった誰かに通報されました」
「なんか……不便ですね」
まったくです、と恩は答える。もしかしたら、世間にはもっと誰からもバレていない【特異】が沢山いるのかもしれない。しかし、恩は隠そうとしていたのに見つかってしまった。そうして外に出たがっている……そういう訳らしい。
「ええっと、他の【トランプ】の方も外へ出たがっているのですか? 空さん、とか」
空が四人組と言っていたため、あと二人いるのだろうが、颯太はまだ出会っていない。
「そうでなければ協力していませんよ。私たちの情報集めの最終到達地点はOODの崩壊。だから私はあの胡散臭い茶番軍団に力を貸す羽目になったんです」
自分の仲間に対し酷い言い様だが、彼女が嘘をついているようには見えない。
真面目そうな彼女は、外にいたときはあのような癖のある少女に関わることはなかったのかもしれない。だからこそ、彼らに対し抵抗感があるのだろう……颯太はそう推測した。
自分もまた、空のような妙に大人びた女性には抵抗がある。
「あの、今どこに向かっているんですか?」
再び黙ってしまった恩に声をかけると、恩は「オーパークです」と言って正面を指差す。ここの内部ではあまり争いが行われていない五回建て複合型ショッピング施設。ここに癖の強い【トランプ】の残りメンバーがいるらしい。
一度維吹に案内されてきたことはあるものの、その時はざっと専門店街をみただけだったため、颯太はオーパークの全貌をまだ知らない。スタスタとエスカレーターに乗る恩に続いていくと、どうやら最上階にあるゲームセンターに向かっているらしいということだけは分かった。
五階には映画館、ボウリング場、ゲームセンターがあるが、映画館やボウリング場に行くなら内部の配置図的にも手前のエスカレーターに乗った方が早かった。他の専門店にしたって手前のエスカレーターから上っていった方が早い。わざわざフロア奥のエスカレーターを使ったことから、行き先を容易に推測できたのだ。
普通の客なら初見でそんなことは容易に気づかないということに、颯太は気づいていない。
「残りのメンバーってどんな方なんですか?」
颯太が尋ねると、恩は小さく溜息を吐いて、
「私の口からだと悪い印象を与えてしまうので、実際に目で見た方がいいですよ」
と言った。
「ああ……」
確かに、恩の口からは【トランプ】に関する悪口しか出てこなさそうだ。
颯太が納得して辿り着いたゲームセンターの方へ目を向けると……早速明らかに怪しい二人組を見つけてしまった。
商業施設の中にあるゲームセンターは、入り口から入ってすぐのところに人気のある目玉のゲーム機が置いてあることが多い。颯太が知っているも場所は大体太鼓を叩くリズムゲームが正面にあるが、この閉鎖的な場所に建てられたこの施設においてもやはり同じ造りは同じであるらしい。というより、もしかしたらオーパークの内装はどこかの施設をそのまま真似してる可能性もあった。
そのリズムゲームの隣には両替機があり、ちょうど機体と両替機の間あたりに……二人の少女が身を寄せ合うようにして隠れているのだ。
颯太の方からすれば、全く隠れてはいないのだが。
彼女たちの視線の先にはスロットゲームがあり、やや小太りの少年がそこで奮闘している。
「何故だ!?」
と、声を上げながら。
「また五回目に確変に入る。そのタイミングを狙うんだぞー」
「了解」
彼女たちに近づいても集中しているのかこちらに気づかず、何やら話し合って少年に意識を向けている。
「今だ」
「イエッサー」
男が無我夢中でコインを入れてスロットを回すも全くアタリが出ず、出ても点数の低いものばかりでどんどん焦っているのが分かる。その結果にこの少女たちの力が影響していることも。
「おかしい……俺の【特異】が通じないなんて……」
少年はぶつぶつと言って立ち上がる。その瞬間、
「お客様……今、【特異】と言いましたね?」
と、どこからか男性店員が現れ、ボイスレコーダーを翳す。あまりに、都合のよすぎる展開だ。
「お客様が確率を操る【確率の特異】であるという噂は聞いておりましたが、やはりスロットで【特異】を使ってコインを稼いでいたようで」
ゲームセンターの制服を着た長身の男性は涼しい顔で微笑みながら少年の腕を持ち上げ、そこに嵌められていたナンバーリングに小型の機械を翳す。すると、ピッと小さく音がなり、少年のナンバーリングについた水晶が赤く光った。
「この音声データとあなたのナンバーリングのデータを本部に送ります。これであなたはこのゲームセンターには出禁です」
「くそが……っ」
どうやらナンバーリングは店への出入りを規制させる役割も担うことができるらしい。颯太は何気なく左手につけ続けているナンバーリングを握った。家の鍵になったりこうして店舗の出入りに使うならいいが、この無法地帯から出ようとしたり、OODの本部へ乗り込もうとすれば警報がなって捕えられるのだろう。そう考えたら、やはり恐ろしい手枷だった。
「いやー、助かりましたよ、お二人とも」
小太りの少年が去った後、男性店員は爽やかな笑みを浮かべたまま、不信な少女二人に声をかける。
「礼には及ばない」
と、落ち着いた声で答えるのは腰まで伸びる髪を一つに括った長身の少女。
「いやぁそれほどでもないさ」
と歯を見せて笑うのは、背が低くボサボサな髪の少女。
どちらも確かに普通の人間とは言えない癖のようなものがあるように見える。
「おー、恩、来てたのか」
「そっちの男はえーっと……維吹さんが言ってた颯太って奴さね!」
彼女たちはようやく恩と颯太に気づき、二人を手招く。既に名前が知られていることが何故か恥ずかしく、颯太は恩より一歩身をひく形で軽く頭を下げた。
「さて店員さん、情報交換と行こうか」
長身の少女が抑揚のない安定した声で告げると、
「食えねえなあ」
と、店員は先ほどの涼しいポーカーフェイスを崩して鼻を鳴らす。一気に、彼の胡散臭さが増した。
颯太たちが通されたのはゲームセンターのスタッフルームだ。地震が起きたら確実に落ちてきそうなほど高くダンボール箱が積まれ、用意されたパイプ椅子もやや歪んでいる。天井についた二つの蛍光灯は時折点滅し、切れてしまう寸前だ。五人も入ってしまえば動く場所もなく手狭な室内だったが、颯太は何も言うことができなかった。ゲームセンタースタッフの制服の上から薄いパーカーを羽織った店員の青年が、じっと颯太を見つめているからだ。
「あの、なにか……」
維吹とも違う、人を面白がるような視線。それが恥ずかしくて身じろぐも、一番入り口近くには恩が座っており、彼女がどかない限り颯太が逃げることはできない。
「お前面白い過去を持ってるんだな」
「え……?」
過去……そういったこの男はもしかして、颯太の過去を知ったのだろうか。
「まさか心を読んで……」
颯太がそう言うと、急に青年は笑い出した。
「ふっ……いや、そうじゃないさ。俺はどこかの上級特異のような万能な特異ではない」
「じゃあ、一体……」
「【回想の特異】だ。相手の中にある一番印象強い過去を読むことができる」
「なるほど……」
常時心を読まれることよりは厄介ではないが、それでもどうも目を合わせづらい人物だった。彼は自分のどんな過去を読んだのか……それが面と向かって聞きづらいところも厄介だ。
「あなたも【特異】ってことは……アルバイトなんですよね」
「ああ、今年で十七歳だ。一応バイトリーダーもしていてOODの職員とも話す機会はあるが、それもすべて画面越しで直接会ったことはないな。そうそう、俺は
「あ、樋川颯太です……お願いします」
バイトの仕組みに関しては、おおよそ維吹から聞いた通りだった。大人びて見えたが彼もOODに捕らえられた【特異】の一人であり、金銭のためにバイトをしているのだろう。差し出された左手に、こちらも左手を出し握手をする。何を考えているか半分も分からないようなこの男には、やはり顔を合わせづらいほどの気まずさを感じた。
「それで、早く情報を教えてもらいたいのさ」
背の低いボサボサな髪の少女が身を乗り出して催促する。流布はパチパチと瞬きして、
「そうだったな怪盗さん」
と、今になって思い出したように鼻を鳴らした。
「【特異】でコインを荒稼ぎして儲けている犯人の証拠を押さえる見返りに情報提供か。ま、ここは盗聴器の類もなく安全だ。話してやろう。えーと、上級特異の一人【消失の特異】の起点活羅のことでいいんだよな?」
「ああ、そうだ」
長髪の少女が落ちついた様子で頷く。
起点活羅……その少女になら、一度会ったことがある。知夏を連れ去ろうとした二人組のうち、やたらとテンションが高かった方だ。
「あいつなら確かに週一で商品を運びに来る」
颯太は以前維吹から、商品や食材はOODから上級特異が運び出すと聞いた。
起点活羅という少女は、その運ぶ役目を担っているらしい。
「触れたものごと自分の姿を相手の視界から『消失』させることができる特異だ。一度足取りを辿ってみようとしたができなかった。まあ、せっかく手にいれたバイトリーダーという地位をそう手放すわけにもいかない。俺にそれ以上の深追いはできねーしな」
確かに、姿を消すことができる起点活羅の特異は足取りを辿られないためにもかなり役立つ【特異】だ。やっていることは随分と小間使のようだが。
「なるほど。それで、次に起点活羅がくる日時は分かるのか?」
「次は土曜日。明後日だな」
「侵入経路は?」
「分かる範囲ではこんなところだ」
流布は、簡易地図に線で経路を示した紙を渡す。長身の少女はそれを見つめた後、おもむろに紙を破り、原型を留めない姿にしてしまった。
しかし、それに対して恩も、もう一人の少女も、流布も何もいらない。当然のようにそれを眺めている。
「それじゃ、土曜日様子を伺ってみるさ! ありがとなのさ」
「ああ、よろしく」
手をブンブンとふるボサボサ頭の少女に向かって、流布は小さく手を挙げる。
颯太には半分ほどしか何が起きたか分からなかったが、どうやら彼らの任務は無事に終了したらしい。
「うちの名前は
廃墟と化したゲームセンターで、場違いな家庭用ソファーに座りながら、柚と名乗ったボサボサな髪の少女の話を聞く。もう少し髪を整えて落ち着いた格好をすれば可愛くなりそうなものなのに、残念な少女だ。
一方、歩と紹介された長髪の少女は随分と無口で「よろしくな」と一言告げたのみだった。
「あの……一つ、質問いいですか?」
「ほい、なんでも答えるさー」
「今回お二人がやったことって、ゲームセンターでズルしている客から証拠を吐かせて、その対価として店員さんから情報を得たんですよね? それって盗みでもなんでもなく単なる等価交換なのでは……?」
まだ全貌が分かった訳ではないがひとまず思ったことを尋ねてみる。すると柚は呆然とした後、
「だって盗みって悪いことじゃないか」
と、平然と答えた。
「え、でも、怪盗って自分で……」
「そういう人たちなんです。どうしようもない時は盗みをするときもありますが、基本的に正面から対等な交渉を行います。因みに流布さんは情報が欲しいと言うといつも何かしらの条件をつけてきて……今回もその一つでした」
混乱する颯太に、恩が丁寧な解説を入れる。どこか親しそうな雰囲気を感じたが、流布も彼女たちの仕事の常連客らしい。
「どう? これが【トランプ】よ。分かったかしら?」
空にわざとらしい上目遣いで尋ねられ、颯太は言葉を詰まらせ考える。然程悪い集団ではないようだが、彼女たちに類の捜索を頼んでいいものか。
「私たちは受けた依頼は何でもこなす。あなたの幼馴染探し、受け付けるわよ」
「……お願いします」
迷いもするが、藁にもすがる思いで頼まなければ、きっと事は進まない。
起点活羅の足取りが掴めるならば、上級特異について調べてもらうこともできるだろう。彼女たちの力量が果たしてどれほどのものなのかはまだ分からないが。
「そういえば、歩さんと柚さんはどんな【特異】なんですか?」
「私は【記憶の特異】だ。自分が見聞きしたあらゆる物事を全て記憶している。だからあのイカサマ男が【特異】を使う規則を覚えて柚に指示を出した」
「私は【念動の特異】さ! スロットの動きをちょいっと一瞬止めることにより確変を防いだのさ」
「そして私が【透視の特異】。私にかかればどんな障壁もどんなに透明なものでも全て丸見えよ」
「ああ……それなら起点活羅を追うこともできますね」
「ちょっと、うちらのことは無視なのか!?」
柚が叫んだが、今は話を先に進める必要があった。空の能力が次へと進む鍵になりそうな気がして期待を持つ。
「そうね。それもできるかもしれない。ただ、追跡するだけでは目的は達成できないわ」
「え……?」
「だって、結局OODの研究棟内に入れなければ意味ないもの。この手枷がある限り、容易に侵入できない」
空は自分のナンバーリングをそっとなぞる。確かに、このリングをしている限り、侵入不可能区域に入った瞬間警報が鳴る。反応させないために予めリングを外そうとしても、形状が崩れるだけで本部に知らせが入るそうだから、あまり好ましい手とは言えない。
「でも、じゃあ、どうすれば……」
「交渉よ。あなたの国の女王様と」
空がにこりと妖艶に笑ってウインクをする。恩がまた大きく溜息を吐いた。
◆ ◆ ◆
「おかえりなさい、杏」
蛇穴杏が無法地帯の見回りから本部の中に設けられた「自室」へ帰ってきた時。頃合いを見計らったかのように設置されたディスプレイが光り、白衣の女性を映し出した。杏は扉を閉め部屋の電気をつけながら、ディスプレイの前に気だるげに立ち、
「どうしたの?
と、尋ねる。
心を読める杏の前には、ほとんどの研究員が直接姿を現すことはないが、しかし偶然に彼女と居合わせてしまう者も多い。そういう時に杏は相手の脳内からできるだけ情報を奪うようにしていた。しかし、この
「昨晩は、随分と長いお出かけだったようね?」
そう尋ねられて一瞬言葉が詰まりそうになった。昨晩杏は蒼井維吹と三十分だけの密会をしていた。着替える時間も合わせれば四十分程だが、杏が街の見回りにそれだけの時間を費やすことは珍しくはない。
「そうだったかな」
だから、やや大げさな仕草で白を切った。
しかし、沙雪はニヤリと笑い、
「随分と仲がいいようじゃない」
と、小さな機械を取り出す。手の中に収まるほど小型であるため一瞬何か分からなかったが、妙に含みのある言い回しのせいで、何となく予想ができてしまった。
「なんのことかな? 生憎僕は画面越しの相手の思考を読むことはできない。ちゃんと言葉にしてもらわないと困るよ」
「これは盗聴器よ。あなたの服に仕込んでいたの。入浴中にね」
杏が使用するシャワールームは彼女の部屋に設置されている。だから、盗聴器をしかけるためには堂々と部屋に侵入し、カラーボックスにしまってあったはずの服を引き出す他方法はない。
ここで飼われている以上、彼女のプライバシーはないも同然だった。
最初から分かっていたことだが。
杏は心の中で悪態を吐く。流石に着衣を調べず出かけるとは不用心すぎたか。もし気が付いていれば何かの拍子に落としたということも演出できたかもしれないが、もう遅い。こうなってしまった以上、自ら外す行為は不可能だ。それをすることにより、杏はOODの反逆者とみなされてしまうから。
否、既に昨晩のことがバレている時点で彼女が反逆者であることは確定だ。
さて、どうするか……杏は自分の身の安全を確保する方法を模索する。
「あなたが昨晩誰と何の話をしていたのか、私は知っている。いえ……私とブレインは、ね」
ブレインとは……現在OODが使役している【天才の特異】軽沢類のことだ。現在OODでは彼女が実験に使える【特異】を次々と選出している。非科学的な能力を科学的に検証することで、この国の科学力を飛躍させる……OODの目的を簡単に言えばそんなものだ。そんなもののために、罪があるわけでもない子どもたちを犠牲にしていた。
「それで……僕にどうしろと?」
まだ、他の研究員には伝えていない。杏や類のような上級特異の中でも強力な【特異】を管理する深山沙雪。彼女は一体何を企んでいるというのか。
「【王国】よ」
告げられた言葉にぞくりと悪寒が走った。
それは何も一国の国を表す言葉ではないだろう。この無法地帯を行き来して耳にする王国など、ただ一つだ。
「私は常々【王国】のことが邪魔だと思っていたの。あれがあるせいで、思うように【特異】が捕まえられない。だから軽沢類を使って【王国】を倒す道筋を整えることにした」
沙雪に使役されている軽沢類は知らないのだろう。幼馴染の樋川颯太がその【王国】に所属していることを。だから無慈悲にも【王国】を潰す道筋を考えるのだ。
「軽沢類がカルテを見ながら気がついたのよ? あなたと蒼井維吹は同じ高校の先輩後輩であったこと。だから内部で繋がっているんじゃないかと盗聴したら案の定だった」
沙雪は再び盗聴器を見せつける。どれだけ上手く憎み合っている演技をしていても、いずれはどこかで足を掴まれる。分かっていたことではあったが、予想外に早かった。それも、軽沢類を味方につけたからこそ、か。
杏にはカルテに載せられた自分の経歴を否定するだけの材料がなかった。
「それで? 裏切り者は排除するの?」
含みたっぷりのいつもの笑みを浮かべて問いかける。内心かなり焦っているが、それを見せることはしない。
杏は研究者たちの脳内を読み、いくつもの機密情報を抱えている。だから彼らは杏の扱いを決めかね、結果上級特異の中でも特別枠に収めていた。
しかし彼女がはっきりと裏切る意思を見せてしまったのであれば話は別だ。
そう考える杏に対し、沙雪はゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、利用させてもらうのよ。あなたに嘘の情報を流してもらう」
ゆっくりと息を飲む。ついに、危惧していたその展開になってしまった。
杏を信頼しきっている維吹に偽の情報を渡して【王国】を動かし壊滅に導く……それは容易に考えられる、【王国】を倒すための最適な方法だ。
「断ったら?」
「あなたの明日はないわね」
ねっとりとした笑みに思わずディスプレイから目をそらす。人の心が読めるなどという奇怪な能力、喉から手が出るほど欲している科学者もいるだろう。ホルマリン漬けにされ脳の研究をされる夢なら何度も見たが、このOODにおいて人権を認められない【特異】であれば、そのような目に遭うことも十分考えられる。目の前に緑の液体が入った巨大ビーカーが浮かんで目眩がした。
我が身可愛さに彼女に従って自分の先輩を裏切るのか。それとも……
と、迷うまでもなく、杏の回答は既に決まっていた。
「分かったよ。僕はまだ死にたくはないんだ。あなたのために従順な犬になろう」
「あら……もう少し悩むと思っていたのに」
「あれはね、元々僕の大先輩である蒼井維吹が自分から持ち出した交渉だったんだ。お互いの情報を交換してOODの弱点を見つけようってね。でも、僕はもう知っている。いくらOODを攻略しようとしたってここに穴も弱点も一つもないことを。だからあれはとんだ茶番だった。無駄口を叩くあいつと縁を切れるなら僕にとっても幸いなことだよ。もう純情な少女のような演技もしなくて済むしね」
そう言って無慈悲に笑ってみれば、画面の向こうの女性も同じように笑う。
交渉成立を喜ぶかのように。
「それじゃあ詳しい話をよろしく、沙雪さん」
杏は手汗を書いた手のひらをそっとスカートの後ろに隠す。
先ほどまで見えていた青空が雲で隠れ、窓の空は暗くなってしまっていた。
OOD本部の最上階。こんなところに上級特異が幽閉されていることに、無法地帯の子どもたちは誰も気がついていない。
気がつかず、地下のバリヤードの突破方法にだけ思考を巡らせているのだ。
「まったく、滑稽だね」
杏は小さく呟いた。
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