第2話:【王国】の日常

「そっちがみんなで夕食を食べる大広間。葵の間が大事な話をするところで、他は自由に使っていい部屋になってる。二階は元々旅館の客室だけど、ここで寝泊まりする子たちが使ってる。一人暮らしが不安なちっちゃい子とか、近隣住民が不穏で自分の家にいられない子もいるからね。で、奥にあるのがキッチンと配膳室。トイレは階段の近く。そんな感じ」

 楽園街改め無法地帯へやってきた翌日。OODから与えられた1K物件の自室で一夜を明かした颯太は、昨日約束した時間通りに【王国】の住処へ向かった。すると入口には不本意そうな九重近衛が立っており、一階の薄暗い廊下に立ったまま、随分と雑に内装について説明してきた。

 本人曰く

「本当は嫌なんだけどひめちゃんが言うから……」

 だ、そうだ。

 彼は随分と菰野陽芽に心酔しているらしい。

「言っとくけど俺は颯太くんのことも、維吹のことも信用してないからね!」

「は、はあ……」

 正々堂々と言い切る彼の考えが分からず、気の抜けた声しか出すことができない。

 仲間ですら信用していないとはどういうことだろう。

「元々【王国】は俺とひめちゃんが無法地帯で生き抜くために作った集団なのに『興味が湧いたから入れてほしい』なんて言って途中から入ってきて、そのまま葵の間に入る権利まで得ちゃったのが維吹。君も、【特異】でもなんでもないのにひめちゃんに優遇されている! 全くもって信用ならない」

「えーっと、信用ならないというより、大好きな菰野さんが取られそうで嫌みたいなものでは……?」

「な、なんで俺のひめちゃんへの思いを!? さ、流石観察のプロ」

 いや、これは自分でなくとも気づくだろう、と颯太は思った。彼の菰野陽芽への執着心は思った以上に厄介なもののようだ。その辺りあまり触れないよう気をつけなければならない。

「あ、そういえば俺がOODであったツインテールの女の子って結局誰なんですか?」

 聞き忘れていたことを尋ねれば、近衛は一瞬ぽかんとして、

「ああー……【特異】の一人だよ」

 と、答えた。

「でも、なんだかOODの仲間みたいな感じでしたけど」

「あいつはOODに優遇されている上級特異だから……」

「上級特異……?」

 【特異】の中に位というものがあるのもまた知らない情報だった。

「まあ俺は難しい話とか全然分からないんだけどね」

 確かに近衛はあまり頭はよさそうではない、と颯太は思う。難しい話は菰野陽芽や蒼井維吹に聞いた方が間違いなさそうだ。

「そういえば、近衛さんはどこからお金を得ているのですか?」

 昨日注意書きを一晩かけて見直したが、この街で金を稼ぐならばアルバイトか勉強、人から譲りうける、検診を受ける……が主だったと書いてあった。他の二人ならまだしも、彼が勉強したり働いている姿は想像つかない。

「俺、お金なんてほぼ持ってないよ」

「え……?」

「服とか必要最低限のものはもう持ってるし、【王国】のご飯は交代制で作っている。その経費はみんなで出し合ってて……俺は用心棒だからってことで免除してもらっている。最年長だけど」

 確かにそのような生活を送っているのであれば特別娯楽などに走ろうとしない限り金銭の必要はなさそうだ。

「俺より小学生の子達の方がお金持ってると思う」

「なるほど……」

 学校で授業を受けていればお金が入る。ただし、その子達を不良が襲うこともある。それがこの無法地帯の日常らしい。

「近衛さんっておいくつなんですか?」

「今年で十八だよ」

「十八……その年齢で最年長なんですね」

「だって【特異】が発生し出したのって二十年前くらいでしょ? 多分まだ二十を超える【特異】なんていないんじゃないかな……俺は六年前、無法地帯ができた初期の頃からここにいるけど、同い年含めて年上なんて殆ど会ってないよ」

 初期からいた……その言葉に影が落ちる。いくら施設が充実しているように見えても、外部から情報が遮断された狭まれた世界。そこでもう六年間も生きてきたらしい。それなら相当この街に詳しいはずだし、OODに恨みがあるはずだ。

「ここにはね、新たに建てられた施設だけじゃなくて、王国が住処にしている旅館とか、廃工場とか、古いゲームセンターの跡地とか、いろいろ使われない建物が残っている。全部俺たちみたいなチームがたむろしたり戦ったりする前提で残されたみたいなものらしいよ。趣味悪いよね」

「なるほど……」

 解体するための時間がなかった、という訳ではないらしい。

 颯太が曖昧に頷いていると、

「あ、ここにいたんだ」

 と、背後から声がした。颯太が振り向くと、フードを被った維吹がいつの間にかそこに立っている。

「維吹! お前が住処を留守にしているせいで俺が颯太くんを案内する羽目になっちゃったじゃないか!」

「それ、俺の前で言います……?」

 颯太を指差し正々堂々と邪魔者扱いするのはいっそ清々しい。

「仕方がないでしょ。バイト入れてたんだから。颯太、よければこれから街を案内したいんだけど、どう?」

「え……っと、じゃあ、お願いします」

 色素の薄い髪をフードで隠した維吹が、聡明そうな表情を崩してニコリと笑う。彼は彼で何か怪しい雰囲気があったが、街のことを知りたいのもまた事実。一応彼も菰野陽芽が率いる【王国】の人間なら大丈夫だろうと考え、ついていくことにした。


 颯太の居住地もあるアパートが並んでいる地帯は、どこにでもある住宅地の一角というような雰囲気がある。ただ、時折壁が壊れた建物などがあるが、補修される様子はないのが気がかりなところだ。扉はオートロックになっており、腕につけたナンバーリングを翳すことで入ることができるが、【特異】たちにとってはそんなこと、問題ないのかもしれない。

「そういえば、維吹さんはなんの【特異】なんですか?」

 オーモバイルを見ながら歩く維吹に尋ねると、

「んー、言葉でいうより見せた方が手っ取り早いしな」

 と、曖昧に誤魔化された。

「一番分かりやすいのは近衛かな。あいつは【怪力の特異】。腕を振るうだけで時速六十キロの乗用車と同程度の威力を放つことができる。本気で殴られたりしたら……まあ、臓器破壊は免れないかもね」

 さらりと恐ろしいことを言われ身の毛がよだつ思いをする。これはますます近衛の怒りを買わないようにしなければならない。

 そんな話をしながら真っ直ぐ歩いていると、目の前に五階建の大きな建物が現れた。

「これは……」

「オータウン。まあ複合型ショッピング施設だね。最上階には映画館とボーリング場もあるし、服、雑貨、アクセサリー、消耗品、食品、なんでも揃っている。フードコートもあるし、よく知ってるファストフードとかカフェも入ってるよ」

「へえ……」

 自動ドアを開けて中に入ると、確かにどこかで見たことのあるような内装をしていた。左手に家具を売っている店があり、左手にはファション系の専門店街がずらりと続いている。ただし、店内いるのは皆子どもばかりであり、時折地面から浮いていたり、大量の買い物袋を易々と運んでいる者がいるのは異様な光景だ。

 また、専門店で働いているのも子どもばかりで、大人のオーナーのようなものも見当たらない。

「てっきりOODの職員の方もいるのかと」

「職員は、直接無法地帯へ入ってくることはないよ」

 颯太の感想に、維吹はさらりと答える。

「え?」

「だって、入ってきたら恨みを持った【特異】たちに殺されてしまうのが関の山でしょ? どの店舗もモニターから職員の指示があるだけで従業員は子ども。報酬は逐一アプリに入ってくるし、【特異】を招集したいならオーモバイルにメールを送るだけ」

「なるほど……」

 ここは無法地帯であることに加え、大人が全くいない子どもだけの街でもあるらしい。

「ねえ、君に少し聞きたいことがあるんだけど……いいかな?」

 そう言って、維吹はチェーン店の看板がついたカフェを指差す。どうやら長話をするためにここへ呼んだようだ。

「は、はい」

 話すことなど何もないと思いながらも、颯太は維吹の誘いに従った。


 アイスココアを注文し、貯金アプリで支払う。エプロンをつけた女性店員がやけに愛想よかったのは、接客がいいほど給料が上がったりするのだろうかと勘ぐってしまう。それくらい、颯太は出会う【特異】に対しては慎重だった。OODが恐ろしいのだという話を聞いたが、何の力も持たない颯太にとっては、【特異】の子どもたちも十分脅威だ。菰野陽芽を信じることにしたが、まだ完全に心を許している訳ではない。

 店内の客席も見渡して、揉め事がないかどうか確認した。

「そういば料理の材料とかはどうしているんですか?」

「OOD本部から運び出してくる専門がいる。一応【特異】の中でもランクがあって、上級クラスになるとこんな無法地帯ではなく本部で暮らせるからね」

 上級クラス、それは近衛との話の中でも出てきた。OODの建物にいたあの少女も、やはり上級だからこそ自由な移動が許されているのだろうか。

 アイスココアを持って窓際の席に座る。維吹はアイスコーヒーを持って颯太の前へと腰を下ろした。

「あの、聞きたいことってなんですか?」

「それは勿論、君が嘘をついてまで探したい幼馴染について」 

 ストローをくるりと回すようにして尋ねる維吹は、微笑んでいるように見えてその視線がやけに冷たい。颯太はつい目を合わせづらくなって、ストローを咥えたまま目をそらした。

「何故、気になるんですか?」

「そりゃあ、是非ともその幼馴染探しに協力したいからだよ」

 平然と言ってのける維吹に疑い丸出しの目を向けると、酷いなあと言って肩を竦められた。

「俺も、ある人を追ってここにきた。君とそう条件は変わらないんだけど」

 そう言って、維吹はじっと颯太を見つめる。どうやら正直に吐くまで逃してもらえなさそうだ。

「……俺の幼馴染は、【特異】じゃない。間違って連れてこられただけなんです。けど、それをいくら主張したところで取り合ってもらえない。だから、乗り込みました」

 あまり彼を信用したくないが、言える範囲のことを告げる。すると

「近衛並みの執着心だね」

 と、笑われた。

「俺は本気で……」

「ああごめん、褒めてるんだよ、これでも。大事な幼馴染のために平穏な日常を棒に振るって非日常に飛び込んだ。その高尚な志が素晴らしい」

 そう言って維吹は窓の外に目をやる。オータウンの中は比較的落ち着いていたが、外ではやはりいざこざが起きているのが遠目でも分かる。

 ふと、その高尚な心意気という言葉をどこかで聞いた気がして記憶を反芻する。そして颯太は再びあのツインテールの少女を思い出した。彼女は何も言ってはいないのに颯太の心の中を読んだような発言をしていた。それどころか颯太の技術の正体をいとも簡単に当ててしまう。

「あの子はもしかして……心を読む【特異】……」

「君が指してるのはOODの本部であったという子かな」

「あ、はい、すみません……あの子も維吹さんと似たようなことを言ってて……少し気になったもので」

 颯太の言葉にコーヒーを飲んでいた維吹の動きが止まり、そして探りを入れるようにじっと颯太の様子を眺めた。

「あいつは【読心の特異】……そして、OODの犬だ。あいつが何故颯太をこちらへ通したのかは分からないけど、十分に気をつけた方がいい」

「犬……」

 OODの犬という言葉に衝撃を受けるが、維吹の顔はいたって真面目だった。

「実験材料になると思った【特異】を攫ったり、危険因子だと判断された【特異】を排除したり……そういったことを行うのが上級特異の仕事だ。権力の言いなりになっている奴らが本当に上級かどうかは怪しいところだけど」

 恐らくあの時少女は颯太が【特異】であるかどうかを見極めるためにあそこへ来た。けれど颯太が【特異】でないと見破ってもなお、【予知の特異】と颯太を判断したのは何故なのか。少女についての謎は深まるばかりだ。

「あれ……?」

「え?」

 維吹がじっと窓の外を見つめる。そこには、何かから必死に逃げようとしている小さな少女の姿があった。

「颯太、行くよ」

「え、行くって……」

「【王国】の仲間のピンチだ」 

 仲間が危険にさらされたらどんな手を使ってでも助けるのが【王国】。

 それは、この心の内がまったく読めない男でも同じことらしい。


「やめて! 知夏ちなつは、健康だもん」

「いやいや、それでもこうして検診通知が来ているならば診断を受けるのが義務ですよー」

 颯太たちがオーパークから出て大きな十字路に戻ると、二人の少女から逃げようとする小学生くらいのおさげの少女がいた。

「あ、」

 そのおさげの少女は維吹の姿を見て声を出そうとするが、維吹は人差し指を自分の唇に当てて「しー」と無言を促すジェスチャーをする。彼女はそれに頷き、再び掴まれた腕を振り払おうとする素振りを見せた。

 ここから降りる前、維吹はオーモバイルを使ってどこかへ連絡をしていた。おそらく【王国】の他の者もこちらに向かっているだろう。一方、少女たちの周囲には誰一人として見ているものがいなかった。野次馬らしき者さえいない。騒ぎを見て、皆逃げてしまったかのようだ。

 幼い少女を捕まえようとする二人組は、どちらも細身で高校生くらいの少女だった。一人は女子高生の制服のようなミニスカートを履いた少女で、ペラペラとしゃべりながら少女を連れ去ろうとしている。また一人はニット帽を被ったTシャツの少女で、無表情のまま突っ立って二人のやりとりを見つめている。

「んー、埒があきませんよ、憂花ゆうかさん」

「じゃあ……やる?」

 そう言ってニット帽の少女が手を掲げると、そこに一瞬青白い光が走った。

 どうも、電気を操る【特異】らしい。その光に目をやった後、今時の女子高生風な少女は、やや屈んで幼い子どもを諭すように喋り出す。

「ねえねえ君、心優しい私は君みたいな小さな子を傷つけたくはないんだけど、これもご主人様に命じられた役目? みたいな感じでね、その命令を無視することはできないの、残念なことに。でも、君がちゃんと大人しくついてきてくれるのであれば、そこのこわーい憂花さんもビリビリしなくて済むんだよ、だからそうならないうちに私たちについてくる方が得策だと思わない? ね?」

「ペラペラと煩い。さっさと気絶させて連れて帰った方が早い」

「もー、せっかく私が平和的解決を率先して提案していたのに憂花さんは冷たい人ですねえ。活羅かっらちゃん心外ですー」

「どうせそのままモルモットなんだから別に……っ、活羅、逃げて!」

 突き放すように喋っていたニット帽の少女がそう叫んだ瞬間、彼女が生み出した電気が、一直線に多弁な少女の方に向かう。あと一歩遅ければ、少女は仲間によって感電させられていただろう。

「仲間内で言い合いしてくれてよかったよ。お陰で心の隙が生まれた」

 そんな二人の間に割って入っていくのは、蒼井維吹だ。彼はフードを取り、色素の薄い髪を晒しながら彼女たちに近く。そして右手の指をくいっと小さく動かした。すると、ニット帽の少女……憂花と呼ばれた少女の右腕が大きく振り上げられる。

「お前、は」

「はーい、私知ってます。あなた【操心の特異】蒼井維吹ですよね! 【王国】の賢者ビショップってことでも有名ですよ。だからあなたのカルテは結構重要視されているんです。でもこっちは実験に使いやすいモルモットを優先的に捕まえているのでー、まだあなたに来ていただく必要もないんですよねー」

「俺が入るとすぐに反乱が起こるから入れられないんだろ」

「さー、そのあたり上級特異の中でも下っ端の私たちには分かりませんけどー」

 自分のことを活羅と呼ぶ少女はわざとらしく肩をすくめて、余裕そうに笑う。

「下っ端でもカルテを見れる程度には情報を持っているということか。それならお前たちの背後にいる悪趣味な研究者についてでも教えてもらおうか?」

 相変わらず憂花の腕は振り上げられたまま固定されている。側から見ている颯太でも、維吹が何らかの力で彼女を操っているのだということは分かった。青白い光を見たときは強かったが、維吹がそれを封じているならひとまずこちらが優勢か……と颯太が思った時、

「あーあ、随分と滑稽だね」 

 という嫌味を含んだ声がして、そちらを向けばあの人形のような少女が立っていた。


「上級特異が二人がかりで一人の【特異】に翻弄されちゃって。いっそ格下げしてもらった方がいいんじゃないかな? そもそもその子どもは【王国】に所属している。【王国】を狙えば仲間の【特異】がうじゃうじゃと出てくることなんて分かりきっていると思うけど……そんなことも調べていなかったの?」

 少女の言葉に、活羅も憂花も言葉が出ない。

「上に気に入られようって魂胆らしいけど裏目に出たね。貴女達の直属の上司には僕直々に伝えておいて上げよう。なあに? 八代やしろ憂花ゆうか。途中から来た僕がでしゃばってきてウザいって? なら僕を倒せるようになってから物を言ったらどうかな? 勝てもしない相手を憎んだところで何もできやしない。そもそもそうやって蒼井維吹に動きを封じられている状態でどう僕に危害を加えようっていうのか興味が湧くね。起点きてん活羅かっら、貴女の楽観的な態度は自分の【特異】を隠すためなんだってね。じゃあ貴女の弱みを一つずつ晒していってあげたら【特異】すらまともに使えなくなるのかな? その多弁さも笑顔も全部偽物だって晒したら……一体どうなるかな?」

 そう投げかけられた活羅は随分と慌てた様子で、

「な、なんのことを言っているのか全然全く分かりませんね。でもひとまず私たちは不利な感じになったみたいなんで、ひとまず退散します!」

 と、早口で言い、憂花の手を握り……瞬時に、姿を消した。

 テレポートでもしたのかと颯太は思ったが、

「姿を消しただけだよ。【消失の特異】だ」

 と、人形のような少女が教えてくれた。

「……ん、また俺の心を?」

「そうそう、貴方が思っている通り僕は【読心の特異】。だから貴方の頭の中にある考え、情報、全てが僕に筒抜けだ」

「悪趣味な特異だね」

 朗々と言ってのける少女に、蒼井維吹が冷たく言い放つ。

「あれ……知り合いなんですか?」

 颯太が尋ねると、何故か同時に嫌な顔をされてしまった。

「ああ、自己紹介がまだだったね、凡人さん。僕の名前は蛇穴さらぎあんず。このOODに飼われているペットだよ。まったく、上級特異なんて名前がついているのに、実際は単なる犬っていうんだから笑えるよね。ん? なに、少し哀れんでくれちゃってるの? あはははは、貴方は随分とお人好しなんだね。僕は人の心の中が全て読める。そんな僕を……全てが筒抜けな僕を、あの科学者たちが野放しにしておくわけがない。きちんとペットとして手綱を握っていないと不安なんだ。僕はその見返りにちゃんとした安全な寝床も貰えるし、実験のモルモットにされない代わりに彼らの手足となって働いている。ウィンウィンの関係ってやつだね。それでも僕が可哀想って? 随分と能天気な頭をしているんだねえ……嘲笑を送るよ」

 思っていることをことごとく当てられ、同情の感情さえ切り捨てられてしまう。そうすれば最後に残るのは、この少女への恐怖だけだった。

 そうなってしまうことこそが、彼女の手のひらの上なのかもしれないが。

「あ、えっと、それでお二人はお知り合い……」

「僕は、蒼井維吹のことが大嫌いだ」

「奇遇だね。俺もだよ」

 颯太が尋ねようとすると、ほぼ同時に嫌いだと宣言されてしまった。

「僕の【特異】は半径5メートル以内にいる全ての『人間』の心を読むことができる。まあ、自分よりも大分頭がよくて難しいことばかり考えている人の心は読みきれない時があるけど、まあそういうことは滅多にないかな。でも蒼井維吹……何故か貴方の心は全く読むことができない」

「お前は人間の精神に侵入して心を読む。俺は人間の精神に干渉して操る。おそらく【特異】同士が打ち消しあっているんだろうね」

「僕の【特異】にそんな穴があっただなんて本当、滑稽だ」

 蛇穴杏はひらひらと手を振って

「それじゃあ、僕はもう行くよ。あの子たちが連れさる予定だった女の子もいなくなっちゃってるしね」

 と言って、背をむけ去ってゆく。

「追わないんですか?」

「追ったところで、俺たちはあの塔には入ることができない。どうすることもできないよ」

 お互いのことが嫌い、という割に本当は仲がいいのではないかと颯太は思ったが、それを維吹に尋ねるだけの勇気はなかった。


「あ、いましたわ、維吹さん、颯太さん」

 通りだけではなく建物の影にも一切人が見当たらなかった数分前のことが嘘のように、オーパーク周辺は再び人で賑わっていた。そこに現れたのは菰野陽芽で、あのおさげの少女を連れている。

「あれっ、折角女王様に来てもらったのに、もう悪い人たちいなくなってるの?」

 少女は大きく首をかしげ、持っていたリコーダーを大きく振る。あれで戦うつもりだったのだろうか。

「あ、自己紹介するね。私、甘野あまの知夏ちなつ。【王国】の一員で、夢は女王様みたいになることだよ!」

 昨日助けた雪々とは違いハツラツと名乗る少女に颯太は一瞬呆然とし、「樋川颯太です」とこちらも名乗った。

「知夏さんは狙われやすい【特異】のようなので、お二人が近くにいて安心しました」

 陽芽は女王様呼びをやはり気にすることなく二人に礼を言う。

「いえ俺は何も……というか、狙われやすい【特異】って……?」

「実験対象として最適なんじゃないかな。抵抗して攻撃する力もない。そして【特異】も興味深いものだ」

「興味深い……」

 颯太が呆然と知夏を見ていると、

「あ、知夏は【治癒の特異】なんだよ」

 と言って、何故か得意げに舌を出した。

「知夏の体液には傷口を塞ぐ成分が含まれているらしい。その体液の成分を調べれば薬品として使用できるかもしれない。科学者だったら誰もが欲しがる」

 維吹はそう言ってオーモバイルを取り出す。

「何ですか?」

「【王国】で狙われた者リスト。知夏がダントツで今年六回目」

 OODは【特異】の中でも、単なる喧嘩の強い弱いではなく、有用性から選ぶらしい。その辺を含め、維吹のような人を操る【特異】はまだ必要ないのだろうか。

「そういえば、近衛は?」

「ああ、あまりにも煩いので買い物に行かせました。まだ当分戻ってこないと思いますが……」

 慕っている陽芽にまで煩いと邪険に扱われる近衛が少し気の毒だ、と颯太が思っていると、

「そいつは都合がいいなあ!」

 と、正面からドスの効いた声が聞こえた。

「あ、昨日の……」

 やってきたのは、全員必ず赤いものを身につけている男たちだ。ボスの赤髪はやや足を引きずっているが、それでも助けを借りず歩いている。向こうにも治療ができる【特異】がいるのかもしれない。

「俺たちの中に【聞耳ききみみの特異】がいる。そちらの会話は聞かせてもらったぜ。そこのちっこいのは戦闘要員ではない。そして何よりそこに九重近衛はいない。なら、今度こそ復讐させてもらうぜ、お姫様」

 なかなか厄介なことになったぞ、と颯太は思った。確かに甘野知夏は戦闘要員ではなさそうだし、維吹の【操心の特異】がどの程度のものなのかまだ分からない。菰野陽芽に関してもまだ何の【特異】かが分からないし自分は論外……そう思っていると、陽芽が一歩前に出た。しかも、先程と何だか様子が違う。

「地雷踏んじゃったね」

 と、維吹も呟いた。

「な、なんだよ……」

 陽芽と対照的に半歩身を引いた男をじっと見つめ、周囲に人を近寄らせない威圧感を纏ったまま少しずつ距離を縮める。

「前言を撤回してください。私は姫と呼ばれるのが嫌いです。私は守られるような弱い立場ではありません」

 凛、と言い放った陽芽は、ブラウス型のワンピースを僅かに捲り、足に巻いていたフォルダーから短いナイフを取り出して男に向ける。

「ふん、そんな弱っちい武器程度で……」

 そうだ、そのままでは勝てそうにない……颯太はそう感じ取り、何かできないかを模索する。

 奴らの中には【聞耳の特異】……つまり遠くで話している相手の声を聞く能力を持つ者……がいるようだ。きっとそれは右端、ヘッドフォンをつけているやつだろうと判断する。こんな戦闘の場面でヘッドフォンをつけたままというのは違和感がある。大方耳が良すぎて遠くの音までも察知してしまうため、それを塞いでいるのだと想像できる。

 中央のボスは炎を出す【特異】。残す三人は分からないが、戦闘要員がボスだけとは限らない。

「菰野さん、左手を狙ってください!」

 颯太はひとまず陽芽に声をかけることにした。昨日、あの男は左手から炎を出した。まずはその初動を抑えてしまえばいい。陽芽は颯太の言葉に頷いて、ナイフでオトコの左手首を狙う。しかし、その時には既に炎が出現していた。

 危ない、と颯太が思ったものの、陽芽はそれに怯むことはなかった。炎が頬を掠めても怯むことなく、動きを止めることなく、身を翻して男の左手首を思い切り掻き切った。

「……っ」 

 痛みによって、男が大勢を崩す。陽芽はその正面に立ち、次の動きを探っている。

「菰野さん、火傷……」

 確実に、陽芽の首元を炎が掠めた。それは決して見間違いではないと思うのだが、陽芽が長い髪をかき上げて耳にかけても、首元には火傷の跡など一つもなかった。

「女王様は瞬時に怪我が治る【回復の特異】なの。本当は痛い思いさせたくないんだけど……」

「彼女は自分の怪我がすぐに治ると分かっているから、堂々と戦いの中に身を投じる。無謀の戦法だけど、十分敵を翻弄することはできる」

 知夏と維吹が陽芽の【特異】について説明してくれた。

 熱さや痛みを感じていても、それが治ると分かっているから無理をする……その戦い方が正しいのかは分からないが、陽芽が何としてでも逃げたくないと思う気持ちだけは伝わってくる。どれだけ殴りにかかられても、その場からは動かないつもりだろう。それは【王国】の女王としてのプライドか、それとも他に何か理由があるのか。


「お前たちは【赤】だね」

 颯太の隣で男たちの動きを見ていた維吹は、そう言って彼らの輪の中に入っていく。

「明日の生活のため弱そうな【特異】を見つけては襲う典型的な悪党だ」

「言ってくれるじゃねえか【王国】さん」

 どうやら【赤】というのが彼らのグループ名らしい。颯太は、全員が何かしら赤いものを身につけていたことに納得した。

「でも、お前たちの中に裏切り者がいたとしたらどうだろう」

「は?」

「空いた時間にこっそり『授業』を受け、自分だけ金を稼いでいる奴がいたとしたら……」

 【赤】の男たちが目を合わせる。仲間なら普通「そんなことはない」という第一声が出るはずだが、彼らからはそれが出てこない。

「そこまで信頼感がないのか……」

 と、颯太は呟いた。

「あ? 何言ってくれてんだよ!」

 赤いTシャツの上にツナギを着た【赤】の一人が颯太の言葉に反応して顔を上げる。どうやら聞こえてしまっていたらしい。

 どうやって誤魔化すかと考えていると、

「彼は【観察の特異】だ。人の細かな情報を探り出すことができる。先ほどお前たちのボスが左右どちらの手から炎を出すか当てられたように」

 維吹がそのように颯太を紹介し、ますます男たちの挙動が怪しくなる。

 随分とペラペラ嘘が出てくるものだ、と思ったが、今度こそ口に出すのは堪えた。

「それで、さっき彼に聞いたんだけど……お前たちの裏切り者は、こいつだ」

 そう言って維吹がくいっと右手の指先を動かすと、それに引っ張られるようにして、ヘッドフォンの男の手が上げられた。

「は? いやいや、俺はない! だって俺はいっつもボスたちと一緒にいただろ!?」

「お前の【聞耳の特異】、随分と質がいいんだね。ここから学校の音も聞こえるんじゃない? 授業さえ聞いちゃえば後は空いた時間にさっとテストを受けるだけ。簡単だ」

 いや違う、と男は主張するが、周囲はますます疑いの目を向けていた。

「ほんとに、俺の【特異】にはそこまでの力ないっていうか……あ、待て、早くしないと九重近衛が近づいてきている!」

 ヘッドフォンを外して男が喚くが、もう誰も言うことを聞こうとしない。

 その間に知夏が陽芽の手を引き、少し離れて見ていた颯太の方へと連れ戻してきた。

「てめえ、本当に俺たちを裏切ってないって証明出来るのかよ!」

「証明も何も、俺はずっとボスたちと一緒に……」

 ぼうっと傍観していた颯太は気づく。何故かツナギの男の身体が弛緩しているところに。おそらく彼は……安心、している。

 本当の裏切り者はあいつだ、と颯太が口にする前に、何かが足音も立てないままこちらへ向かってくる気配がした。

「あ……」

 まずい、と思ってももう遅い。自動車のごとく突っ走ってきた九重近衛が、男たちを五人まとめて吹き飛ばしていた。回転をつけた素早い蹴りのみで。

「ひめちゃん、無事!?」

「ええ、無事も何も殆ど維吹さんがやってくださいましたから。何もありませんわ」

 陽芽は自身の火傷のことは口にしようとしない。近衛は肩を落として安心している。

「もー、俺が住処に戻ったらひめちゃんが出ていったって聞いたからびっくりしたよ。でも何事もなくてよかった」

「はいはい、さっさと帰りますわよ」

 近衛も陽芽も、すっかりいつもの様子で、二人並んで歩き出す。

「ラブラブでしょ?」

 と、知夏が颯太に耳打ちするが、颯太にはあれがラブラブなのかどうかは判断しかねた。

「ていうか維吹さん、いいんですか? だって裏切り者は……」

 裏切り者はツナギの男。おそらく目ざとい維吹ならあの時の態度の変化で気がついたはずだ。しかし維吹は平然としていた。

「それは後で気づいたけど、聞耳の奴が裏切っていたというシナリオにしておいた方が、確実に組織バランスが崩れると思わない?」

「随分平然と嘘を吐くんですね」

「俺の能力は【操心の特異】。身体を操るのではなく精神自体に干渉して身体を動かしてもらう必要がある。だから、能力を使うためにも相手の心を揺さぶることが得意になったんだ」

「へえ」

 一応頷くが、嘘が得意だと分かってしまった以上、それもどこまで信じていいのか怪しいものだ。

「ああでも、さっき言ってたの面白いですね。俺が【観察の特異】って。それっぽいです」

「それっぽんじゃなくて……そうなんじゃないかな?」

「え?」

「【特異】ってのはさ、普通の人間と殆ど変わらないんだ。ただ一つだけ常人にはない非科学的な能力が備わっているだけ。機械では判別不能だし遺伝子を調べて他と特に差異はない。だったら颯太のその観察力も【特異】なのかもしれない」

 維吹のやや力の籠った声に颯太は僅かに不意を突かれ、

「違います、これは技術です」

 と、言葉をやんわりと否定することにした。


 ただ、最後の言葉はどうも耳に残った。【特異】は機械では判別できない。遺伝子を調べても理由が分からない。

 だとすれば、OODは何を基準に【特異】を選んでいるのか。

 パーカーのフードを被って歩き出す維吹の背中を追いながら、颯太は何かむず痒いものを感じていた。

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