第1話:楽園街と無法地帯

「こちらがOOD内でのみ使用していただける通信端末のオーモバイルです。起動すると簡単なチュートリアルがスタートするのでその指示に従っていただければ使い方はご理解いただけると思いますが、ご不明な点がございましたらその都度スタッフにお尋ねください。音声での通話、メールやチャット、様々なゲームアプリで遊んでいただけるようになっております」

 つまりスマホのOODバージョンなのだろう、と颯太は判断する。形状も、今回収されてしまった颯太のそれとおおよそ同じである。カバーは付いていないが、OODの人工都市……楽園街内のショップで買うことができるのかもしれない。手に入ったショップリストには知っているチェーン店の名前もいくつかあった。


 颯太は現在、OOD本部の地下にある楽園街入口ゲートにいた。ゲートと言ってもエレベーターを降りてすぐのところにカラオケの受付のような案内所があり、その奥に扉があるだけの簡素なものだ。

 審査から一週間、颯太は持込み可能な衣料品を必死にまとめ、転校等の手続きも済ませた。昨晩は楽園街の施設のことや注意事項が書かれた紙を寝ずに読み込んだ。親を誤魔化すことが一番の難関だったが、突然自分が【予知の特異】であると発覚したと演じ、なんとか丸め込むことができた。【特異】が消失した者は楽園街から出ることになる。颯太のこんな些細な能力程度なら、すぐに出られると信じたのだろう。というよりも、信じ込ませた。


 日本で最も高い建造物とされるOOD本部は、その背後にメディアさえ介入させないおよそ東京ドーム十個分の広い土地を持つ。これが楽園街とも呼ばれる人工都市だ。

 高い壁で囲ったこの街を作るためにテーマパークを含むいくつかの家屋の撤去が強いられたが、その揉め事も数年経てばいつの間にか消え去っていた。そんな土地に転居するためには、厳重に警備体制が敷かれたOOD本部の地下を通らなければならないらしい。颯太さえそのようなことは直前にならなければ聞かされなかった。楽園街に秘密裏に潜入しようとする者も、この仕組みを知らなかったら難しいだろう。


「それからこちら、住民の皆様に必ず装着していただく必要のあるナンバーリングです」

 颯太がここまで来た経緯に思いを馳せていると、受付の女性は変わらぬ微笑を浮かべたまま、黒いゴム製の腕輪のようなものを差し出してきた。こちらも、予め契約書で読んできている。

「このリングはOOD施設内での身分証明書です。住居や一部施設への入室や安全管理のために使用されます」

 颯太はリングの真ん中にある水晶玉のようなものを見つめた。おそらく、ここにセンサーが埋め込まれているのだろう。裏側には8桁の数字が書かれている。それが颯太に割り振られた番号のようなものなのかもしれない。

「まず一度装着してみてください」

 そう言われ、颯太は左手首にナンバーリングをはめた。すると水晶玉が緑色に点灯する。

「ナンバーリングは今の形状を記憶します。これを外すなどして形状が崩れた場合、本部に通報が入りますのでお気をつけください」

「……えっと、何故そんなことを……?」

 一応、説明書で読んだことではある。しかし改めて笑顔で告げられてしまうと、このリングに何か仕掛けがあるのだろうと疑ってしまい、途端に怖くなる。

「まずは盗難防止です。ナンバーリングは住居の鍵でもあるため、他の住民のナンバーリングを奪って悪事を働こうとする方も残念ながらいらっしゃいます。それを防止するためというのが一つ。また、ナンバーリングはセンサーにより侵入不可能区域に入ろうとした際に警戒音を鳴らしますが、外してしまうとそれが分からず危険な目に合うかもしれません。そうした場合の安全管理のためにも外さないようにお願い致します」

「侵入不可能区域?」

「ええ。例えば建物改装中の場所だったり、【特異】同士のトラブルで荒れてしまった場所だったりを指します」

「あ、でも、風呂に入る時も……?」

「ええ、ナンバーリングは防水仕様ですので」

 まるでもう何百回と告げてきたセリフだとでもいうかのようにツラツラと言葉を並べる白衣の女性を、颯太は直視できなくなってきた。

 いろいろ理由は説明されているが、結局どの人間がどこにいるのかを逐一チェックするための道具なのではないかと思ってしまう。

 そう思ってはいるが、そんなこと口にしてここで揉め事を起こしでもしたら彼の目論見が達成できなくなる可能性がある。だから颯太はただ物分りがいい優等生のように感心するフリをするしかなかった。


「それでは、樋川様の荷物のチェックも終わりましたので、どうぞゲートをお通りください」

 やっと長い説明が終わり、ゲート……というには陳腐な鉄製の扉が開かれる。その先にあるのはコンクリートでできた長い階段。そしてそれを抜けた先が【特異】専用の生活区域。通称、楽園街なのだろう。

 颯太は楽園街自体に惹かれて興味本位で来た訳ではないし、保護された【特異】というわけでもない。ただ、ある一つの目的を果たすために来ただけだ。だから、これといって感慨深いものはない。彼にとってここはまだ、スタート地点に過ぎないのだから。 

 ふと審査の日に出会った怪しい少女のことを思い出したが、結局今日は会うこともなかったと考えつつ、楽園街への一歩を踏み出した。



 楽園街と名がつくものだから、何かテーマパークのようなものをイメージしていたが、どうもイメージとは違うようだ。颯太は自分が出てきた無機質なOOD本部を見上げ、それから眼前に広がる街を見渡した。手前にあるのはどこにでもあるコンビニエンスストアやドラックストア、百均や衣料品を売っている店舗が並ぶ簡素な商店街。OODインフォメーションセンターと書かれている四角い建物も建っている。


 ふと、もらったばかりのオーモバイルの電源を入れてみた。使い方に関するチュートリアルが始まるが、スマートフォンとさして変わらず、アプリの入れ方だけ流し見て、それから既に入っていた地図アプリというのを起動した。すると、楽園街全てが見渡せる俯瞰図が映し出される。このまま商店街とクロスするように伸びる大通りを真っ直ぐ行けばアパートが立ち並ぶ住宅地があり、そこに颯太に用意された部屋もあるようだ。ご丁寧にもピンで印が表示されている。街の中心には五階建の複合施設「オーパーク」があり、タップすると情報が出てきた。なんでも、飲食店やスーパー、衣料品、本屋、映画館、ボーリング場やゲームセンターなどが入っているらしい。おそらく颯太の街にあるショッピングモールと大差はないのだろう。


 街の一番奥、OOD本部の対角に位置する場所には、学校と書かれた建物やスポーツジムなどもあった。この学校は単位制らしく、ビデオによる授業を受けたりテストで点を取ることで進級や卒業ができる仕組みだ。颯太は現時点で高校二年生。いずれここを出ることを考えるのであれば、あと二年分単位をとって高校卒業資格を取りたいと思った。まあ、二年もここにいるのかは定かではないが。

 街の四方は壁に囲まれているが、上空はぽっかりと開いており、高く飛べるような【特異】がいれば脱走することができそうだと思った。ただ、それを防止するための仕掛けは何かあるのかもしれない。初秋の太陽が嫌に眩しく感じられ、颯太は再びオーモバイルに視線を落とした。


 他に何かアプリがないかと調べてみると、貯金アプリというものがあった。

 開いてみると、現在の所持金という文字と10,000OPという数値が表示される。

 楽園街には見たことのある店舗もたくさんあるが、そのどれもが普通の金銭のやりとりを行わないらしい。なんでも、オーモバイルに貯金されたOPという電子マネーによって買い物をするのだとか。OPは最初に一万ポイント入っている他、人から譲り受けたり、楽園街内でアルバイトをしたり、OODの「検診」を受けたり、学校で勉強をすることによって得ることができるらしい。

 颯太はその説明書を見た時、まるでゲームみたいだという印象を抱いた。これなら勉学とアルバイトをうまく両立できればなかなかの額が手に入りそうだ。本当はこのポイントでいくつか買い物をしてみたかったが、ひとまず荷物を片付けようと自分のアパートの方角へ向かう。

 アプリの画面に目を落として歩いていると、前から来た何かに思い切りぶつかってしまった。歩きスマホならぬ歩きオーモバイルもよくないのだなとぶつかってきたものを見れば、彼にぶつかってきたのは幼い子どもだった。


 癖のある髪をサイドでまとめ、白いフリルが大量にあしらわれた水色のワンピースを着た子ども。歳は十歳にも満たないのではないだろうか。その子は今にも泣きそうな目で颯太を見上げる。まるで、助けてくれと言わんばかりの表情だ。

「えっと……どうしたんだ?」

 ボストンバックを抱えたまま少し屈んで、目線を合わるようにして語りかけると、その子どもは小さな声で

「おいかけられてて」

 と告げた。

 追いかけられるとは一体誰に……? と聞く前に、颯太の目の前にいかにもヤンキーと名付けられそうなほどいかつい顔をした男が五人ほどやってきた。赤いジャケットや赤い帽子など、皆何か赤いものを身にまとった集団。大抵は質の悪い金髪だが、真ん中にいる男は髪まで真っ赤に染め上げている。

「逃げても無駄だ。さっさと金をこっちに寄越しやがれ」

「……っ」 

 ドスの効いた脅し文句に怯えるように震えた子どもは、颯太の背後にさっと隠れる。幼子がヤンキーにたかられるというとんでもない場面に遭遇してしまったと理解しても、颯太にはどうすることもできない。震える子を守るように立ち塞がる立場に立たされてしまった現状を確認し、自分はどうするべきか考える。

 この子どもを置いて逃げるということはできない。流石に良心が痛む。

 たとえこの子があのヤンキーたちの金を盗んできたとしても、暴力を振るうのはよくないし、そもそもこんな幼い子どもが彼ら相手に何かをできるとは思えない。

 そもそも、この楽園街には形のある金銭はないはずだ、と思いハッとする。

 貯金アプリにためられた電子マネーは勉強したりアルバイトをしたり、人から譲りうけることで手に入れられる。勉強もアルバイトもする気がない不良たちは……他の力ない者から強請ろうとするのも、考えられない話ではない。


「なんだ兄ちゃん、そいつを庇うのか? それともテメエがOPを寄越してくれるってか?」

 そう言って、赤髪の男は左の手のひらを掲げる。するとそこに、ゆらゆらと揺らめく炎が出現した。

 楽園街にいる人間は皆【特異】だ。つまり何らかの特殊な能力を持っている。詐欺まがいの行為で乗り込んだ颯太とは違うのだ。そんな人間たちと真っ向にやりあう訳にはいかない。

 警察を呼ぼうにも楽園街での警察の呼び方など知らない。そもそも、警察という組織があるのかも分からない。

 この子どもの手をとって逃ようにも、今背中を向けたら必然的にあの炎で焼かれそうだ。

「い、いですよ。OPを渡します」

 だから、颯太はなるべく炎を怖がらない素振りを見せて、オーモバイルを差し出した。ここで怖がっていては余計舐められる。そう思ったからだ。

 しかし颯太の所持金は最初に渡された1万円のみ。これが盗られれば今日の食事すら買えず生活の危機か……? と、思ったその時。


「見つけたよひめちゃん! そのままなぎ倒していい?」

「ええ、許可します」


 路地の方から一組の男女が走ってきた。

 一人はぶかぶかなシャツと7分丈のズボンを履いた男性。もう一人はシンプルなブラウス型ワンピースを着た長髪の女性。どちらかといえば不釣り合いな容姿だが、息の合うやり取りをした後、男性の方だけ加速してこちらへ突っ込んできて、炎を掲げていた赤髪の男に蹴りを入れた。直後、赤髪の身体は自動車にぶつかったかのような勢いで弾き飛ばされ、そのままアスファルトの上に倒れこんだ。

「な、なんだ?」

 おそらく赤髪の男がリーダーなのだろう。残ったヤンキーたちは困惑し、逃げようとする素振りを見せるが、蹴りを入れた男は既に次のターゲットを見定めているようだ。

「おかしいな、手加減したはずなんだけど」 

 と呟きながらくるりと身を翻し、即座に戦闘態勢に入った。

「やめなさい、近衛このえ

 そこへ、後から追いついた少女がやってきて、攻撃をやめるよう告げる。そしてリーダーを失った男たちに向き合うと、

「あなたたちに情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地を与えましょう」 

 と言ってにっこりと微笑んだ。

「な、なんだよ偉そうに」

 と、赤いジャンパーの不良が喚くが、少女は表情一つ変えない。それどころか、この場に不釣り合いなほどに慈悲深い笑みを浮かべてみせる。

「私たち【王国】に二度と手を出さないでください。もし再び私たちの前に現れた場合……骨の一つや二つでは済まないことも覚悟しておいてくださいね」

「お、王国……? じゃあお前たちはもしかして……!?」

 【王国】という名を聞いた途端、男たちが震え上がる。そうしてリーダーに駆け寄ると、彼を四人がかりで抱えて一目散に逃げ去った。

 傍観者である颯太にとって、それはあまりに唐突すぎる出来事だった。

 おかげで、ちっとも頭がついていかない。


「あら……あなた、雪々せつせつさんを守ってくださったのですね」

 颯太が呆然としていると、先ほどまで凛とした笑みを浮かべていた女性がふわりと優しく微笑んで、颯太の方に向き直った。

 雪々というのはこの子どもの名前らしく、颯太から離れて彼女の方に抱きついてゆく。フリルのついたスカートがふわりと揺れた。

「守った? ただ立ってただけなんじゃないの?」

 しかし、金髪の少年は少女の隣に立って訝しげな目を向けてきた。

「いえ。逃げずにただ立っているだけでも十分勇気のいることですわ」

 彼は少女にそう言われバツの悪い顔をしながらも、颯太に向ける目は未だ変わらない。それに、ただ立っていただけのことは紛れもない事実だ。

「あの、俺……ほんとに何もしてなくて……ただそのの前に立っていただけなんで」

 この場から逃げたい一心でそう告げる颯太に対し、二人は目を丸くした。

 何かまずいことを言っただろうかとたじろぐ颯太の手を、少女がすかさず握る。そうして、

「何故、雪々さんが男の子だと分かったのですか?」

 と、聞いてきた。

 確かに、この子どもは髪を可愛らしいゴムでくくり、フリルのあしらわれた天使のようなワンピースを着ている。幼く弱々しい表情も女の子に見えなくもないが、それでも僅かな体格の違いや顔つきで男の子だと判断した。それは、ひたすら鍛え抜いた颯太の観察眼なら造作もないことだった。

 そのことをかつまんで話すと、少女は余計に目を輝かせ

「あの、よろしければお礼をさせていただけませんか?」

 と、告げてくる。隣の男があからさまに嫌そうな顔をしたのもおかまいなしだ。

「え、でも俺まだここに来たばかりで……」

「でしたら、この街のことも案内しますわ!」

 そう言って、手を取られてしまえばもう逃げようがない。颯太は流されるように頷いて、奇妙な少年少女についていくことになってしまった。


◆   ◆  ◆


「あの、ここは……?」

「ここがOOD の所有地となる前、宿泊施設として使われていた建物のようです」

 石造りの門に取り付けられた木のプレートには、かろうじて「旅館」という文字が残っているのが分かる。大きな引き戸のついた木造二階建ての建物は、確かにどこかの旅館を思わせる雰囲気があった。一方で、目の前の手入れのされていない松の木やその周囲の刈られていない雑草からは、この建物が旅館としてはもう機能していないことも読み取れた。

「そして、今は私たち【王国】の住処です」

「王国……」

 先ほども、その【王国】という言葉は出てきていた。おそらく一国の国を指すというよりは、彼らのチーム名か何かなのだろう。中に入るといくつもの靴が散乱しており、木の板が時折軋む廊下を歩いている際も、左右にある部屋の障子の向こう側から子どもたちの声が聞こえてきた。


 颯太を案内する少女は「葵の間」と書かれた部屋の扉を開けて明かりをつける。

 どうやらここは昔の宴会場のようだ。少し色あせた畳の和室が広がっており、中心に長机が二つくっつけるようにして置かれている。

 用意された薄い座布団に座った颯太は一息吐き、

「楽園街にも昔の建物が残っていたりするんですね」

 と感想を言う。それに対し少女は一瞬呆然として、

「楽園街……そういえば、そのような名前もありましたね」

 と、呟いた。

 確かに楽園街は通称で、外の人間がそう呼んでいるだけでもある。やはりここではOODの生活区程度にしか呼ばれていないのだろうかと思った颯太が聞いたのは、耳を疑う名前だった。

「私たちはここを無法地帯と呼んでいますので」

「無法地帯……?」

 まるで、楽園とは程遠い名前だ。いつの間にか雪々の姿はいなくなっており、机を挟んで少女と少年に対峙したまま、唖然とする。

 そういえば、颯太が面接時に出会った不思議な少女も「無法地帯」という言葉を口にしていた。

「ええ。だって……この街に法律などありませんもの。強請り、暴力、盗み……そして殺人。何をやっても警察など出てはきません。殺しがあればその亡骸はOOD職員によって回収されますが、殺したものが罪に裁かれることはありません。ここは、そういう場所です」

「な、なんで……?」

 ここは一応【特異】たちを保護するという名目の施設ではないのだろうか。

「OODの真の目的は【特異】たちを監視し、実験材料とすること。争いが起きること前提の金銭制度を導入し、目をつけた【特異】を回収しては実験を行う……こうやって無意味に残された施設も、謂わばグループを作って戦わせるための仕掛けです」

 実験とは一体なんなのか。戦わせるとはどういうことなのか。今まで見てきた情報とのギャップのせいで、颯太の頭はついていけない。

「えっとね、OODはマッドサイエンティストの集まりなの。俺たちの様子を逐一観察して、気になる【特異】がいたら攫って実験して殺す。それだけの奴らだよ!」

「そんな……」

 そんなこととはつゆ知らず、詐欺行為だけで乗り込んでしまった。

「でも、今まで【特異】が消失して出てきたって人たちはそんなこと一言も……」

「それはですわね。特異が消失した事例は見たことがありませんし、一度ここへ入れば、おそらく死ぬ以外に出ることはできません。今はまだ」

 颯太の手が小刻みに震える。世の中には知らない方がいいことも多々あるが、今はまさにそれだった。

 目的を達成し、あとは【特異】が消失したと言って脱出する。そんな、当初の目論見が崩れてしまった。

 というよりも、そもそも今まで抱いていた倫理観というものが崩されてしまった気がする。

 端からOODを疑っていなかったわけではないが、ここまで真っ黒だとは思いもしなかった。

 勿論、彼女たちが本当のことを言っているのであれば、の話だが。


「あ、でも、今はまだ……って」

「俺たちがOODの壁を壊すからかな」

 颯太が焦っていると、背後から男の声が聞こえた。振り向くと、黒いフードを被った男がこちらへ入ってくる。いつの間に襖を開けたのか、いつからそこにいたのか、颯太は全く気がつかなかった。

 入ってきた男は、颯太の隣に座ってじっと見つめた後少女に視線を移し、

「珍しいね、お客さんなんて。新入り? 女王様」

 と、声をかけた。女王様……また変なワードが聞こえてしまい、颯太は頭を抱えたくなる。

「ああ、自己紹介がまだでしたね。私の名前は菰野こもの陽芽ひめ。皆からは女王様と呼ばれています」

 にっこりと微笑むその仕草は、確かに貴族を思わせるような可憐さがあったが、女王様とはどういうことか。しかもそれを自分から名乗るというのはどういうことだろう。

「ひめちゃんは俺たち【王国】のリーダーだからね。あ、俺は九重ここもえ近衛このえ。ひめちゃんを護る騎士ナイトだよ」

「近衛、ひめとは呼ばないでくださいといつも言っているでしょう」

「いいじゃん、ひめちゃんはひめちゃんだもん」

 どうやら少女は自分の本名を呼ばれるのが嫌いらしい。しかしいきなり女王様と呼ぶのも気が引けて、颯太は

「近衛さんと……菰野さんですね」

 と、彼女のことは苗字で呼ぶことに決めた。

「俺は蒼井あおい維吹いぶき。よろしく」

 フードを被った男性はそう言って、被っていたフードを外す。すると中からは、色素が薄く白に近い色の髪が出てきた。

 【特異】の中には、身体に特別な特徴を持つ者もいると聞いていた。彼の髪もその一つなのかもしれない。

「あ、そういえば菰野さんの目も……」

 颯太は呟いて、それから口を覆う。あまり身体的特徴を指摘されたくない女性がいることくらいは颯太でも知っている。彼女の目の色が左右で違い、左目が蜂蜜のような黄色になっていることを告げていいべきか分からなかった。しかし陽芽はニコリと笑い、

「これは事故で後天的にできたものですわ」

 と、微笑む。ひとまず地雷を踏んだということはなかったのだろうと息を吐くと、何故か近衛から睨まれていた。事情は分からないが、もう苦笑いを浮かべて、

「あの、俺は樋川といかわ颯太そうたです」

 と、控えめに自己紹介するしかなかった。


「それで、あなたたちは一体……どういう集まりなんですか?」

 OODの意外な側面についてもさることながら、やはり彼女たちについてもまだまだ疑うべきところは多い。

「無法地帯にはね、生きるために身を寄せ合う集団がゴロゴロいるんだ。【王国】もその一つ。中には金集めのために暴力を振るう集団もいるけど、【王国】はそんなことはしない。仲間が危機に陥ったら全力で助けるし、仲間が金銭不足で困っているのなら助ける」

 確かに、あの時雪々という子どもが危機に陥った時、陽芽と近衛が素早く駆けつけ相手の男たちを蹴散らしていた。なかなか、強引な手段で。

「目には目を。相手の出方によっては暴力を振るいますが、自ら突っ込む真似はしませんわ」

 颯太の訝しげな目に気づいたのか、陽芽はそう言って微笑んだ。目には目を……にしては先ほどの暴力はやりすぎてはなかったか……そう思ったが、口にするのはやめた。

「それから俺たちは、自分たちを危機にさらすOODを倒そうと目論んでいる。これはまだ先になりそうだけどね」

 維吹はそう言った後、

「近衛、お茶でも淹れてきてくれない?」

 と、近衛に声をかける。

「なんで俺が!?」

「この前の勝負、俺が勝ったでしょ? その罰ゲーム」

「くそっ、次は絶対勝ってやる!」

 近衛は、悔しそうな顔をしながら立ち上がって部屋を出て行く。彼が淹れたお茶は飲めるのか心配だ、と颯太は思った。


「で、君の【特異】は何?」

 後から入ってきたのに、いつの間にか会話の主導権を握った維吹はオーモバイルを持ったまま興味ありげに尋ねる。陽芽も教えてください、と頼んできた。

「えっと……」

 颯太は迷った。ここでOODの職員を前にした時のように「【予知の特異】です」と答えてもいいが、今は相手を騙す必要もないだろうし、変に期待を持たれても困る。だから迷った末、

「俺は【特異】ではありません」

 と、素直に告げることにした。

 案の定、二人はやや信じられないという顔をする。

「自己申告して……詐欺で職員の方を騙して……それで」

「そんな……あの職員たちがちょっとやそっとの演技や手品じゃ騙されないと思うんだけどな」

 維吹の目が薄く細められる。そういう彼らはどんな【特異】を持っているのか。赤髪の男に炎を向けられた後だからか、少し怖気付いてしまう。

「えっと……一応、3秒後の未来を予知できるという設定で……」

 一応見せた方がいいと思いコインを取り出す。そして職員の前で見せたことのようなものをやってみた。

「それ、俺が投げても?」

 と、案の定維吹に言われたので答えて、コインの軌道を見ながら予測を口にした。

「それで本当に【特異】ではないのですか?」

「え? 今の【特異】じゃないの?」

 お盆に乗せてお茶を運んできた近衛は、陽芽と颯太の前にお茶を置き、自分の分のお茶を持って陽芽の隣に座った。何故か維吹の分はない。

「意地が悪いな」

 維吹は肩をすくめたが、大して怒る気はないらしい。それよりも、颯太のコインの方に興味深々のようだ。


「これは単なる技術です。自分で投げるときはどちらの向きに落ちるか調節していて、人が投げる時はコインの軌道から落ちる向きを予測するだけ……サイコロとかでも一応できるんですけど、そちらはあまり精度がよくないのでコインで乗り切りました。まあ、一人にはバレたみたいなんですけど……」

 手の中でコインを弄ぶ。流石に三人がかりで見つめられると怖いなと思いながら告げると、維吹に「バレた?」と反復される。

「はい……職員の方ではないと思うんですけど……真っ赤なリボンのツインテールの女の子が俺のこれを『観察力』だって見抜いたんです。それなのに何故か【特異】ってことで通ってしまったんですけど……」

 本当に彼女は何者だったのだろう。そう考えながら三人を見れば、一様に驚いたような顔をされた。

「あの怪物にあったの?」

「え……ああ、確かにあの子『怪物』って名乗っていましたけど……」

 今でもはっきりと容姿を思い出すことができる。真っ赤なスカートのまるで人形みたいな見た目をしているのに、言葉には冷たい毒を持ち、一人称を「僕」とする少女。一体彼女は何者なのかと、彼女を知っていそうな三人を見つめると、維吹が

「どうしてあいつが一般人を……」

 と呟いた。

 そして、

「女王様、颯太を【王国】に迎え入れない? 彼の観察眼は役に立つし、あいつが颯太を無法地帯に入れたことも気がかりだ」

 と陽芽に申し入れる。

「ええ……そうですわね。颯太さん、私たちの仲間になりませんか? まだ無法地帯のことも分からないでしょうし、生活に慣れるまでの間で構いません」

 陽芽がこちらに手を伸ばすが、颯太は伸ばされたその手を取るかどうか迷った。

 【王国】が完全に安全な組織かは分からない。しかし、もしあのような暴力沙汰が日常茶飯事として行われているとしたら、頼れる者がいる方が安全だ。それに、颯太はここへきて成し得なければならない目的がある。

「こちらこそお願いします……仲間に入れてください」

 そう言って陽芽の手をとれば

「決まりですわね」

 と微笑まれた。 

「ところで、颯太さんは何故ここへ?」

 それは、颯太が詐欺行為を働いてまで楽園街へ乗り込んだのだと知った者からしたら当然の疑問だろう。一瞬迷ったが、隠してばかりではフェアではないと思い一言で告げた。

「幼馴染を探しに来ました」

 と。

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