11、図書室とマリーちゃんと私(前編)

 今日は、いずみ小学校での勤務の最終日だ。


 この半年と変わらない、同じ一日の始まりに、安堵感と寂しさを覚える。

 明日からは、この日常は存在しない。

 そう思うと、ひどく今が愛おしく、切ない気持ちになった。

 私は、教頭先生にこの半年に入力した約三千冊の目録のデータと貸し出しシステムを引き渡す。


 成果物としてはなかなかの出来だと胸を張れると思う。

 ただし、学校規模に対しての蔵書数としては少ない。

 学級数を元にした基本の蔵書数という目安がある。それを満たしている数値ではなかった。

 実際の蔵書数としてはもう200冊くらいは多かったが、蔵書数を水増しするために読書に耐えられない状態の本が書棚にあることは子供の図書室離れや読書離れにつながるものなので、私は書棚から外した。

 読書に耐えられない状態の本というのは、補修が不可能で経年劣化がひどい物のことだ。

 つまり、ぼろぼろで汚い本。子供が触りたくもない状態の本のことだ。


 図書館には資料の収集・保管という目的があるが、学校図書室において優先されることは図書の回転率だと私は考える。

 子供が手に取るのが嫌だと思うような、汚い状態の本を書棚に置くことは不利益しかない。

 あくまで、学校図書室は教科書の延長線上で調べ物ができる資料とドキドキわくわくできるような読み物が詰まった宝物のような場所であるべきだと私は思う。

 そうするために、常に蔵書の状態の確認、メンテナンス、必要に応じて本の廃棄もするべきなのだが、目標蔵書数がある都合上、簡単に廃棄は出来ないのが現実だ。

 そのことに矛盾を感じながらも廃棄する権限は私にはないため、倉庫に保管させてもらった。



 やっとできた電子目録、貸し出しシステムだが、常に現行化してメンテナンスをしなければすぐに意味がなくなってしまう。

 専任の司書がいたらいいのにと、願わずにはいられない。

 私は、ひととおりのシステムの使い方、メンテナンスの仕方などを教頭先生にレクチャーする。


「これだけの目録のデータベースを作るのは大変だったでしょう。おつかれさまでした」


 ねぎらいの言葉に、私は満足感を味わう。


(本当に大変だった……)


 先輩司書がいるわけではなく、すべての仕事が手探りであった。

 私にあるのは、1冊の司書のテキストだけ。それで分からないことは、さらに図書館へ行き調べた。

 それらで学んだ一番大切なことは、司書とは本と人との橋渡しをする者のことだと言うこと。


 本だけを見ていたのでは駄目であり、利用者が何を求めているのか、利用者の使いやすい図書館を常に考えるという精神だ。

 私はただ本が好きで、それだけで司書の資格を取った。

 その勉強の中で知ったのは、司書は人も好きでないといけないと言うことだった。

 

 

「あとはこれのデータを定期的にメンテナンスできればいいんですけどね。本の登録自体はパソコン操作ができれば簡単だと思いますが、新規登録の本が一気に来るとなかなか先生は時間が取れないですよね」


 これが私の心配するところだ。

 何でもそうだが、メンテナンスを怠るとすぐに形骸化して使えなくなってしまう。


「そうですね。その辺は、司書教諭のある先生と私と事務の先生にも頼んでカバーしていきたいと思います」


 この図書室のデータベース化は、元々は教頭先生の発案であったそうだ。この後のことはすべて任せても大丈夫だろう。


「貸し出し、返却操作は生徒でもできるので図書委員さんに教えてもいいかと思います。ただ、勝手に履歴を見たりは良くないのでその辺は指導が必要ですね」


 この考えは司書としての基本だ。

 本来、図書の貸し出し記録は極秘とされる。


 図書委員も介在する小学校の図書室に、プライバシーと言う概念を取り入れていいかどうかは、難しいところだが無暗に人の読んだ本を詮索したりは良くないと言うことは知っておいたほうがいい。当番に立つ子には、私はそう声をかけてはいた。


「あと、分類に少し私の癖があると思うので、分類に迷ったときは類似の本の分類番号を参考にしてもらえればいいと思います」


 分類表と出力した目録リストを手渡す。そうして、あれこれ説明を終えるとあっという間にお昼になった。

 

   *


 この日、私が校長先生の検食と同じく少し早い給食を食べたのには理由がある。

 離任の挨拶をお昼の休みの放送テレビでしてくれると言うのだ。

 恥ずかしいが、何も言わずに消えたらそれは生徒も本当に怪談だと怖がるだろうから避けて通れない。

 

 私は、放送室でカメラの前に座り前髪を撫でる。

 挨拶は手短にするつもりだ。

 人前で話すことは得意ではない。長く話すと何を話しているか分からなくなり、しどろもどろになってしまう。

 とにかく簡単に簡潔に、噛まないで済むようにと自分に言い聞かせて、手元の小さなメモを見る。

 しかし、本当に言いたいことはこのメモにはおさまりきらない。


(それをどう伝えればいいのだろう?)


 思ったよりも自分が不器用な人間であると感じられた。



「いずみ小のみなさん、こんにちは。

 今日で私の図書室でのお仕事はおしまいです。次の小学校でも、図書室の整理をしてがんばります。

 いずみ小のみなさんは、本が大好きでとてもうれしかったです。

 これからも、元気に本をたくさん読んで下さいね」



 にっこり笑えただろうか?

 最後まで、私は先生のようにふるまえただろうか?


 そんな不安はよぎるが、もう終わったことだ。

 次の小学校ではもう少し上手に立ち回れるといいのだが……。

 

 *


 私が放課後、最後の貸し出しに図書室にいると生徒が集まって来た。

 どの子もよく見慣れた子だ。

 全校生徒が200人足らず。はじめて見る顔はいない。


 手には皆、手紙やしおりを持っている。

 色とりどりの紙片に絵を描いてしおりにする習慣は、私がこの小学校で広めたものだ。


「先生がいなくなっちゃうのさみしいよ」

「いままでありがとうございました」

「先生が図書室をキレイにしてくれたから、いっぱい本を読むよ」


 かわいい便せんに手紙を書いてくれた子や立派な絵や折り紙を折ったものをくれた子もいた。


 6年生は授業で書かせたのか、どんと全員分の手紙が来てびっくりもした。

 4年生のクラスは写真入りの寄せ書きをくれた。


 どの子も『ありがとう』『だいすき』『わすれないでね』と書いてあり、目頭が熱くなる。

 それは、私がお願いしたい言葉だ。

 

 生徒たちは、私にお別れを言うと名残惜しいと言うよりもすっきりした顔で帰って行った。

 それは、別れと言うものをあまり経験をしていないがゆえのように思う。

 どこか明日もまたいるような、そんな気がしているのかも知れない。

 私自身もまだ、この図書室を去る実感がない。


 物語を書いていたリコちゃんは、私に小説の続きを送ることを約束して去って行くと、図書室には私とマリーちゃんだけが残った。


 

 私は、もらった手紙や絵、折り紙をひととおり読んだ後、丁寧に大きな紙袋に入れその返事を図書室の黒板に書く。

 黒板に文字を書くなど、いかにも先生のすることのようで少し笑ってしまう。


『いずみ小学校のみんなへ

 春からの短い間ですが、みんなとマリーちゃんと図書室で過ごせてとても楽しかったです。

 これからも、たくさん本をよんでください。

 げんきないずみ小学校のみんなが大好きです。

 いままで、ありがとう 図書室のせんせいより』


 白いチョーク、ピンクのチョーク。

 青も黄色も緑もある。

 私は、それらを使いカラフルに文字と絵を描く。

 丸い顔の自分の似顔絵と本のイラストを添えてメッセージは完成した。


 最後に、自分を先生と書いたのはとても恥ずかしい。

 けれど、そう書かないと伝わらない気がし、先生と名乗ってみた。

 先生であろうとした自分の努力は認めてあげてもいいかもしれない。


 

 そして、私は図書室のマリーちゃんに別れを告げる。


「今までありがとう。これからもこの図書室を見守ってね」


 私は人形の入るケースを撫でる。

 当然、マリーちゃんは何も言わない。


 けれど、いつもは物憂げな青い瞳が、今日は私をねぎらい『あとは任せなさい』と微笑んでくれているような気がした。

 

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