第四章:二話

 夏川蒼馬くんは私の後輩研究員であり、今回の被験者である私の弟、雪加蛍琉の友人だ。蛍琉にとって、特別な友達。


夏川くんの第一印象は、妙に大人びている人。後輩なのに、なんかかわい気ないなぁなんて、最初は思っていた。


ここは研究施設で、そういう所に集うのは、わりと熱量のある人たち。未知の研究に子どもみたいに心を躍らせて打ち込む人、夢治療で人を救うことに使命感にも似た何かを持っている人、ただ単なる研究バカもいたけれど、そういう人も含めて、なにかしらやっぱり心に熱いものを持つ人が多かった。


私もその一人。弟を夢から目覚めさせるために、私は当時、必死で研究に明け暮れる毎日を送っていた。


蛍琉が昏睡状態に陥ったのは、私がここに所属して、まだ一年目の時。勤め始めてから、私は親元を離れて独り暮らしをしていた。だから弟とも時々連絡は取りあっていたものの、そんなに頻繁に会えてはいなかった。


そんな私に、その知らせはあまりにも突然だった。母からだったか、父からだったかはもうはっきり覚えていないけれど。一日の仕事が終わったあと、家に帰ろうとしていた時だったのは覚えている。


私がスマホを開くと一件の留守電が入っていた。それは、蛍琉が病院に運ばれたことを知らせるものだった。


その日から、何日経っても蛍琉は目覚めなかった。精密検査を受けても、体のどこにも異常は見られない。私が毎日のように目にしている症例と、ほとんど同じだった。


将来こうなる定めだった弟を救うために、私はこの仕事に就くことになったのだろうかと、そんなことを当時は思ったりもした。


それから更に、約三年の時が経ち、私は勤め始めて四年目で、後輩指導の担当となった。私たちの研究室に配属された研究員は、二年目までは同期の中でいくつかのグループにわけられ、グループ単位で先輩研究員の仕事の補佐を行う。その二年間は、ほとんど雑用係みたいな下積みの時期だ。


そして三年目になると、四年目の先輩に一対一で直々に指導を受け、実際に個人で初めて被験者を担当することになっている。


そして私のもとにやって来たのが彼、夏川くんだった。晴れてこれまでの雑用期間が終わり、初めて仕事らしい仕事ができるようになるというのに、彼には他の子たちとは違って全く浮足立った様子がなかった。ただ淡々と、私の研究を横で見て、言われたことをこなしていた。


そんな彼の様子を見て、なんでこの子はここに来たのだろう、と、私は疑問に思った。単に給料がいいからか。福利厚生などの待遇がいいからだろうか。


でも、この職場の労働環境は、そうした条件だけで割り切って続けていけるようなものではない。


研究室での仕事は日付をまたぐことも間々あるし、被験者が人間である以上、管理は徹底している。休みの日や夜中、早朝に呼び出されることもざらにあった。


だから上っ面の条件だけ見てこの研究センターに就職した若者は、三年が経つ前にここを去る。残るのはある程度、何か別の目的や目標、思いがある者だけ。


彼は基本、何でもそつなくこなすタイプだったし、それなら他の就職先がなかった訳でもないだろう。それでもここに来て、これまで残っている理由、それが気になった。


「夏川くんはさ、なんでここに来たの?」


一日の仕事終わり、私と夏川くんは、机に山と積まれた書類を手分けして一枚ずつ捌いていた。少し休憩をしようと、給湯室で二人分のコーヒーを淹れ、戻って来た時だった。


差し出されたマグカップを受け取ろうと手を伸ばしていた彼が、唐突な私の言葉に一度、その動きを止めた。


「なんで、ですか」


「うん。ねぇ、早くカップ取って。こぼしちゃいそう」


私の言葉に「すみません」と言いながら、彼は止まっていた手を動かして、両手でマグカップを受け取った。


「熱いから気をつけてね」


「はい。ありがとうございます」


「それで?」


「俺がここで働いている理由、ですか?」


「うん」


そう言うと、彼は受け取ったマグカップをそのまま机に置いて、少し考えるような素振りを見せた。何かを言おうとして口を開いて、また引き結ぶ。言うかどうか迷っているみたいだった。


私は、もしかしたら教えてもらえないかもしれないなと思いつつ、でも急かすことはせずに待っていた。彼が言いたくないなら無理に聞くようなことはしてはいけないし、するつもりもない。


しばらくの間、私はコーヒーから立ち昇る湯気が、空気と混ざりあって消えていくのをただ黙って見ていた。


「俺が、目覚めさせたい人がいるんです」


その声は唐突に聞こえた。私の横から。それは私の隣に座った彼から発せられたものだった。


「俺は、彼の傍にずっといたのに、救えなかった。でも、大事な人なんです。だからもう一度会って、話がしたい」


それ以上、彼はもう何も言わなかった。だから私は口を開いた。


「へぇ。ちょっと意外」


それまでこちらを見ていなかった彼が、私の方を見る。


「意外、ですか?」


「うん。ごめんね。こんなこと言ったらなんだけど、正直、君はそんな思いを持っているような子には見えなかった」


そう言うと、彼はちょっと困ったように両眉を下げて笑った。


「俺、いつもこんな感じですから。冷めてるとか、よく言われるんです。実際、人よりそういう面があるのかもしれないですけど。でも俺にもちゃんと、思いはあります」


「そっか」


「先輩はどうなんですか? 俺にだけ語らせるって、狡いですよ」


「語るって程喋ってなかったけど。まぁ、いいや。私もね、夢の中から救いたい人がいるんだ」


「じゃあ俺と一緒ですね」


「うん。いいコンビになれそうだね、私たち」


「……」


「ちょっと、そこは元気に『はい!』って言うところでしょ。かわいくないなぁ」


「先輩は従順な後輩をご所望なんですか?」


「……まぁ、少しくらい生意気な方が躾がいがあるかな。ビシバシ指導してあげるから、絶対その人、目覚めさせてあげなよ」


「……はい。先輩も、必ず救ってあげてください」

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