第二章:十四話

*** ***



 季節は秋を迎えていた。映像に映る俺たちに訪れた変化はといえば、まず、授業編成が新しくなったこと。それにより、俺たちは春学期にはあった水曜日の空きコマが被らなくなった。


それと各々の忙しさが増したこと。当時、この頃には確か、少し会うにも必ず事前にスマホのメッセージアプリを通じたやり取りが必要になっていた。


ちなみに、大学で再会してから俺たちはすぐに連絡先を交換した。また急に会えなくなって、連絡すら取れなくなるなんてことは避けたかったからだ。それはお互い同じ思いだったようで、再会したその日のうちに、どちらともなくスマホをいそいそと向けあったのを覚えている。



「卒論、どんな感じ?」


この日は授業後、待ち合わせをしてこれまで水曜日にいつも利用していた校内のカフェに入っていた。目の前にはクリームソーダを飲む彼。春、夏からこれといって特に変化は見られない。俺もコーヒーを飲んでいた。こちらはアイスからホットに変わったが。


「まぁ、ぼちぼちだな。実験がまだ全部終わってないから、先に進めない」


俺は、この年の夏前から始めた卒業論文の執筆に追われていた。これが提出できなければ卒業できない。


「そっか。そっちは実際に心理学の実験をしないといけないんだっけ?」


「あぁ。校内で被験者を募ってやってる。あと二回の日程が終わったら、一旦実験段階は終了だな」


「そこからは?」


「あとは一人でパソコンに向かって作業。データを抽出して、考察して、そのまま論文にまとめる」


「まだ道のりは長そうだなぁ」


「頭が痛いよ。なぁ、蛍琉も実験参加してくれないか? どっちかの日程」


「えっ、嫌だよ。お前の実験の餌になるってことだろ?」


「言い方……。別に変なことしてる訳じゃないからな。れっきとした研究だ」


「ごめん、冗談。分かってるよ。でもちょっと躊躇うかな。自分の心を覗かれるのって」


「そう、か」


「どうした?」


「いや、実験、というか研究する側としては、あくまでデータサンプルとして割り切って見てるからかな? ”被験者一人一人の個”って言ったらいいのか、そういうの、あんまり気にしたことなかったなと思って」


「そっか」


「でもそう考えると、心を研究してるはずなのに、なんか、あたたかみが無いというか、無機質な感じだよな」


「うーん。”研究”になると客観的に心を見る視点が重要視されるんだろ。そういう意味では、研究者は割り切ってていいんじゃないかな?」


「そういうもの?」


「納得いかない?」


「なんかもやもやする」


「別に、心を軽んじていいって言ってるんじゃなくてさ。なんだろ、寧ろ研究者としている時は割り切ってる分、一人の人としている時は心の柔さとか、重みとか、そういうの、誰よりも感じられる人がいたとしたら多分、そういう人を”いい研究者”って言うんじゃないかなって思ったんだけど」


「……目から鱗が落ちた」


「アハハ。それはどうも。俺としてはさ、積極的にデータを提供しに行く他学部の生徒の気持ちの方がよく分からないんだけど、どう?」


「そっちの理由は多分だけど、バイトとして学校から報酬が出るからじゃないか?」


「そんな制度あったっけ」


「学部主催の実験参加とか、ボランティア活動への参加とか、何種類かの活動が校内でバイトとしてカウントされる制度だよ。バイトだから実際のお金とか、他にもテストの点にプラスとか、何かしらの報酬が出る」


「あれ、じゃあもしかして先生に勧められた演奏会に、ボランティアで適当に参加してたら勝手にその先生のテストの点が増えてたのって」


「それだな」


「お金渡された時はびっくりして突き返したんだけど」


「それも多分校内バイトだ。先生困らせるなよ」


「いらないですって返したら、また先生から突き返されてさ。それでも受け取らなかったら、もう手に直接握らされて、そのまま先生逃げて行った」


「……完全に先生困ってるじゃないか」


「なんか悪いことしたな?」


「おいおい……。なぁ、そういえばお前の方は? 卒業制作。曲作るんだろ?」


「うん。こっちもぼちぼち進めてる。卒業制作と、後輩との合同作品発表と、あと年末のコンクール。年の瀬に向けて一気に忙しさが来るんだよなぁ」


「ちょっときつい」そう、彼の口からポロリと弱音がこぼれた。珍しいなと思った。彼はあまりそういうことを口にしない。本当は、しんどい時や辛い時は積極的に言ってほしいと思っているのだけれど、やはり俺では頼りないのかもしれない。


高校の時、あの別れの前に、一つの相談も無かったことが、ずっと胸に引っかかっている。だからこそ、再会した今は、後悔のない関係を築きたいと思っていた。


しかし、かく言う俺も俺で、未だに彼の心に踏み込むことに躊躇を感じてしまうものだから、結局あと一歩が埋まらない。


こんなに近くにいるのに、彼の存在を、酷く遠くに感じることが、時々ある。

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