ドグズバディ

八田部壱乃介

ドグズバディ

 私たちは兵士で、記録によれば何度も何度も戦場に出ている。けれどそんな記憶はないし、窓の外──宇宙そらに見える明滅と、配信されるニュース番組からでしか戦争のことを知らない。

 奇妙なことに、どんな現象にも名前が付けられていて、キャスター曰く、

「無人機による、歴史上もっとも平和的」な「血の流れない」争いであることから、無人戦争と呼ばれていた。


 ──無人機。


 一般市民に向けてはそういうことになっているが、実際にはそうじゃない。中にはきちんと人間が入っているし、一応、死のようなものはある。確かに血は流れないし、私みたいに戦争での記憶を持っている人間なんて居ないから、平和ではあった。

 ふと、隣の席で同じ番組を視聴していたジョニーが、皮肉だよなと言って、同意を求めてくる。

「何が皮肉なの……」と訊いてあげると、

「何もかもさ、エルサ」

 エルサというのは私を指す名前だ。けれど本名じゃない。お前はエルサって感じだ、と映画のキャラクターから取り、勝手に渾名されたのだ。

 それを思うと成る程、無人戦争という呼び方も、特に考えなしで付けられているらしい。指摘してみると、彼は大袈裟に笑い、違いねえやと首肯する。

「だがそれだけじゃない」

「何が?」と私。

「平和で血が流れないってのはよ、良いことばかりじゃないんだぜ。人が死なないからこそ、終わらない」

 それこそ無尽戦争だ、と笑って。

 記録では、戦争はもう二世紀も続いている。始まりは何だったのか、よく覚えていない。きっと些細ないざこざでもあったのだ。私が二十六歳になる前夜に始まって、今に至るまで終わらないのだから、相当な因縁でもあったのだろう。或いは泥沼化したのだろうか──わからない。

「いつになったら終わるのかねえ」と悠長に構えるジョニーに、

「終わりが来るなんて想像できない」と、私は返す。「人生の大半を戦争時代に費やしてきたからね」

「誰だってそうだろう。転生炉のお陰で死んでも溶かされて、設計図通りに出産され直す。そうしてまた蛸になってどんぱちだ」

 蛸というのは、無人機に対するあだ名だ。その名の通り八本足の、宇宙を漂う深海生物みたいな見た目をしている。特に武器装備はついてない。あるのは蛸らしく足についた吸盤と、獰猛な牙だけ。私らはそいつに乗って──いや、蛸になって──敵兵たる蛸を捕食する。

 同士討ちというか、共喰いというか。


 英雄機と呼ばれる分隊長と神経接続ニューラルリンクすることで、性能は段違いに引き上げられる。その上、分隊は知覚を共有できるから、多角的に見えるらしい。らしい、というのは覚えていないからで、すべてはサーバルームから得られた知識でしかない。

 ただひとつ言えるのは、

 戦争は変わった、ということ。

 すべては転生炉の出現によって変わってしまったのだ。

 サーバには私らの情報が載っている。十三桁という死と裏切りを意味する不吉な個人識別番号と、塩基配列に記憶物質。それらすべてが記録され、管理され、統制されているわけだ。


 だから資源──大人ひとり分の人体を錬成するのに必要な、〝水35L、炭素20kg、アンモニア4L、石灰1.5kg、リン800g、塩分250g、硝石100g、イオウ80g、フッ素7.5g、鉄5g、ケイ素3g、少量の15の元素〟さえあれば、私らは何の代償もなしに復活できる。


 この奇跡なき奇跡によって私らは不老長寿に無病息災、おまけに眠くもならないしお腹も空かないために、ただただ暇なのだった。だからこうしてニュース番組を観て、他人事のように戦争を語り合う。蛸になり、人間になり、時間を潰して過ごす日々。

 何のための戦争なのか、なんて誰も知りやしない。ここには正義なんて在りはしないし、理念もない。兵士としての経験も、転生の度に記憶は引き継がれないから、皆無なわけで。私は昔好きだった音楽を聴き直し、ジョニーは戦争映画を観て無情だなあ、なんて呟いてみたりする。

 それに比べて、アナは静かだった。

 アナもジョニーも、私と同じ分隊に属している。戦場ではお世話になっているのだろうが、こちらではあまり話したことがない。以前話したのはいつだったか。彼女は窓側の席に座り、特に変わり映えのしない郊外サバービアを眺めながら、ぼうっとしている。

 どんな話題を持ちかけたのか、やはり覚えていない。何をしているのか、とか暇つぶしに参加しないか、とか言ったのだろう。アナは大きな瞳を瞬かせ、こちらの話に耳を傾けた後、緩々と首を振った。

 ごめんなさいね、と微笑して。

「人を待ってるの」

「誰を?」私は訊いた。

 こんな場所──戦闘準備基地で、一体誰を待とうと言うのだろう。転生炉だってあるのだから、人員は既に揃っているというのに、待つことなんてないはずだ。純粋な好奇心から、私は食い下がる。彼女は困ったように、

「ゴドー・グレーテル」

 とだけ、教えてくれた。

 それからもアナ・ヘンゼルは、ゴドーを待ちながら窓際の席に座っている。今日も私は彼女の元へ赴いた。やあ、と気さくな挨拶を交わし、

「調子はどう」

「悪くないわ」と定型文で会話する。

「彼はまだ来ない?」

「ええ」

「ゴドーはどうしてここに来ないのかな」

「きっと人見知りなのね」

「彼は本当に居るの?」

 アナは小さく嘆息すると、「今はね。いつか、現れるわ」

 理由を話してくれたのは、四日後のこと。

 またあの女のところへ行くのか、と茶化すジョニーをシカトして、私は対面の席に座り込む。

 やあ、調子はどう。悪くないわ、云々。

「彼はどうして現れないのかな」

「それは……」彼女は言い難そうに俯いて、悩ましげに瞼を閉ざし、意を決したように目を上げた。「復活の優先度が低いから──よ」


 アナ・ヘンゼル曰く、転生炉は何の代償もなく復活させるわけではない。

 アナ・ヘンゼル曰く、資源を消費して大人ひとりを錬成している。


「その資源とやらはどこから来ると思う?」

「さあ、どこだろう」

「考えて」

 私は思いを巡らせて、「もしかして敵国からかな」

「そう」と、アナ。「具体的には、敵兵そのもの。捕食した蛸から作られる」

 人が食べたものから新しい細胞を作り出すように、蛸から得られた資源から人間は生み出されるのだと。だから彼女によれば、これは人という資源を巡る戦争だと言う。

 資源がある限り兵士は復活するわけだ。ならば、どちらかの資源が尽きるまで戦い合わなければならない。

「泥沼化しているのはそのため」

「成る程ね。ということは、復活の優先度が低いって──」

「私たちには、もう多くの資源が残されていないということよ」

「その通り」

 とは、分隊長の言葉。彼──ユーリは横からにこやかな顔で割って入り、同じ卓に着く。

「訊いてたんですか」アナは眉を顰め、

「聞こえてきたものでね」ユーリは素っ気なく言った。「しかしひとつだけ、ゴドーの復活しない理由は間違っている」

「それって何ですか?」私は首を捻る。

「知りたいかい?」

 アナは無論のこと、私も気になったので一緒になって頷いた。ではついてこい、とおもむろに立ち上がり、部屋を出ていこうとする。

「おい、どこへ行くんだエルサ」ジョニーからの問いかけに、

「さあ」と、私は分隊長を見やった。

「君も来なさい」ユーリは柔和に微笑んでみせると、扉を開けて、部屋を後にする。


 向かった先はサーバルーム。個人識別番号と塩基配列、それから記憶が眠った記録書庫。


 ユーリはプラグを引っ張り、首に突き刺した。次いで、君たちもやりなさいと手でジェスチャーし、私らは彼に従う。神経接続ニューラルリンクによって私らはひとつになり、記憶を閲覧する権限が与えられた。

 と、同時に戦場でのことが蘇る。知っていたはずなのに、引き継がれなかった記憶が、ユーリを通して語られた。

 転生炉で溶かされて、液体となった私たちは、蛸型の細胞兵器に注がれる。考える血液として内側から操縦することで、恒星間インターステラーを高速で移動しても躰への負荷が少ない。同じ技術を共有する敵国と共喰いする中で、記憶や経験が蛸の中に蓄積されていった。

 いわゆる細胞記憶とでも言うのだろう。

 私らは仲間と接続しているから、コミュニケーションが取れたけれど、時折り敵とも繋がってしまうことがあった。すると敵とも味方ともつかなくなり、不思議な共鳴シンパシーに襲われる。

 それが、ゴドー・グレーテルだった。

「そんな……」

 と、アナは泣き崩れ、共鳴している私らも涙が止まらない。彼は敵国の人間で、だからこそ会えるはずなかった。他にもたくさんの相手と繋がったことを思い出し、私は辛くなってプラグを外す。強制的に接続が絶たれ、重力が舞い戻る。

 地面に手を突くと、大量の汗が噴き出した。皆を見れば、アナは両手で顔を覆い、ジョニーは呆然とし、そんな私らの様子をユーリは、氷みたいに冷ややかな視線で観察している。そう……観察という表現が適切だ。彼は何かを見分けようとするかのように、カメラレンズみたく視線をこちらに寄越す。

「どうだった?」試すような物言いで、「君は渾名だと思っているけれど、あちらでは確かにエルサという名で過ごしているんだ」

 私の口から乾いた笑みが漏れ出た。ユーリは私から目を移す。

「それからジョニー。君は──」

「わかってる」分隊長の言葉を遮って、半ば叫ぶようにそう言った。「俺は、ゴドーだ。あちらでは、ゴドー・グレーテルと呼ばれていた」

 アナは悲痛な眼差しでジョニーを見る。

 ゴドー・グレーテルは、ジョニーが転生した姿なのだ。

 私はエルサという女から転生している。


「個人識別番号が同じらしい。対応する相手が居れば復活できず、こちらが目覚めれば、相手は復活できない」ユーリは目を細めて、「これがどういう意味かわかるかい」

 私らは顔を見合わせた。個人識別番号が同じで、所持している記憶も同じ。けれど、名前が異なっている。それはつまり、出力装置としての転生炉は別として、

「サーバーは同じものを使っている」ということ。

「そう」ユーリは満足気に口角を持ち上げてみせ、「要するに、我々は我々と戦っている」

 私らはあまりのことに二の句も継げない。ジョニーに至っては、ストレスのあまりお腹が緩んでしまったらしい。転生炉に頼って以来、こんなことは珍しかった。何故といって、健康な状態で記録された設計図を基にして生まれてくるからだ。彼が受けたストレスは相当なものだろう。

 対してアナは、あちらではゴドーの伴侶として暮らしていたらしい。彼女の抱いた幻想は、少なくともすべてが白昼夢というわけではなかった。確かに彼は存在し、近しい関係にある。

「でも、どうしてそんな記憶が残っていたの……」私は上擦った声で疑問を口にする。


 復活しても記憶は引き継がれないというのに。それなのにどうして、彼は覚えていたのだろうか?

「私が原因かもしれないな」と、ユーリは苦笑した。「分隊長は記憶が消されないんだ。けれど、皆は私と繋がっている。君たちの記憶を一身に浴びた、この私とだ」

 普通ならば、こんな綻びは生まれないという。記憶が漏れる前に、特定の部分を消化してしまうからだ。

 これで知っていることは全部だ、と彼は言う。だが、私はまだ気になることばかりだった。どうして、相手国と同一のサーバーを使用しているのか。どうして戦争が始まり、続き、終わらないのか。

 どうして私らの記憶は引き継がれないのか。

「そんなこと、私にもわからんよ。だから知りたいと思う」分隊長は一拍置いて、「どうだろう、私について来る気はないか」

 彼は無謀にも、第三勢力として二国に楯突こうとしているという。そうして戦場の王ロード・オブ・ウォーとなった暁には、全ての記憶を解放するのだ、と。そう言うのだった。私は突然の提案に戸惑いながらも、その考えに希望を見出してしまっている。

 アナも同じらしい。もしかしたらユーリに乗せられているのかもしれないな、と思った。

 ジョニーはしかし、降りると宣言する。

「そんなことは不毛さ。ゴドーとしての暮らしを思い出しちまったら、俺はあちらに帰りてえ。わかるか……、この気持ち」

「わかるわ」アナは賛同して、「幸せだった」

「ああ……」

「どうしたい?」ユーリは感情を表に出さず訊いた。

「先に行ってて。いつか迎えに行くから」

 アナはにこりとして、気丈に振る舞う。

 斯くして、ジョニーは戦場へ行った。転生炉にかけられて、仮死状態にある。このまま誰かが目覚めさせない限り、冷たい眠りに浸ったまま、二度とその名は呼ばれない。

「それで良いのよ」と、アナは瞳を閉じて言う。「彼はゴドーに戻っただけなんだから。私には帰る場所がある」

「さあ行こう。まずは我々の仲間を集めなくては」

 ユーリの言葉に、私らは立ち上がる。

 いつか私たちの戦争に平和が訪れることを祈って。

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ドグズバディ 八田部壱乃介 @aka1chanchanko

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