一人だけ知らない未来のこと
広野 狼
一人だけ知らない未来のこと
なんだか妙に騒がしいくて、目覚めに近づいていた意識が、一気に覚めた。
パチリと目を開け、息を殺して耳を澄ましていると、ドタバタとかけるような足音が、いくつもしてくる。
なんだかこちらに近づいてきてるみたい。屋敷の奥まった場所にある私の部屋には、早々足音なんか聞こえてこないことに気がつく。
え? この部屋が目的?
とにかく逃げなくちゃ。でもどこに? まずはベッドから出よう。隠れるところなんて、たかがしれてるけど、一番はクローゼットかな。慌てて、クローゼットの中に隠れ、そっと音がしないように扉を閉めた。
小刻みにふるえる体を必死に両腕で抱えるようにして、体が触れて音が鳴らないように膝を抱えて縮こまる。
「シシェーリナ」
「ああ。シシェーリナはどこだ」
「シシェーリナ、シシー、どこなの」
間一髪、隠れた後で、無遠慮に開かれた扉と、ざわつく人の気配。
声は、兄、父、母の順な気がする。私のことなど、路傍の石ほどにも気にかけていなかった三人のひどく慌てた声に、よく似た別の誰かなのではないかと思い、クローゼットの隙間から、そっと外をうかがった。家具もなにもかも古いから、隙間が多くて助かるなんて、今日初めて思った。
そこにいたのは、紛れもなく、兄と父と母だった。寝起きのまま取り乱した姿で私を捜している様は鬼気迫っていて。
もしかして、何かの儀式だろうか。普通に怖い。
昨日まで、空気のように私の存在などあってもなくても目に入らないような態度をとっていた三人がこんな取り乱して私を捜しているのだ。
色々と通り越して、恐ろしいとしか思えなかった。
生まれてこの方、三人に人として扱われた記憶はない。いや、教育だけはされたので、かろうじて貴族と言うものであるとは、分類されているのかもしれないと思った時期もあったが、王子と婚約を結ばれたときに、高く売りつけるために、最高の躾をしたに過ぎないと理解した。
逃げ場になってくれるかと思った王子も、以下略なので、私にとって、この四人は、関わりがあるだけに、一番関わりたくない相手だった。
そんな中の三人が、こんな朝早くから取り乱したように私を捜しているなど、恐ろしいと感じて当たり前と思っていただけただろう。
だから私は、クローゼットの中で、未だ息を潜めて閉じこもっていた。
しばらくすると、使用人たちも部屋に訪れた。
「外にもお嬢様の姿はありませんでした。いま、下男たちを向かわせて、街まで捜索を広げております」
お嬢様? そんなのこの家にいただろうか? いや、居なかったよね。使用人すら、私の存在はゴミのようだったみたいだし。兄の婚約者でも来たのだろうか? そもそも、兄に婚約者がいるのかすらわからないが。
「なんてこと。なんてことなの」
「もうお終いなのか? 手遅れなのか?」
「まだ間に合うはずです。父上」
すっかりと取り乱した三人に、さらに取り乱した使用人が合流したことによって、混乱はさらに増し、正に混沌の様相だ。
この人たち、なにがしたいんだろうか?
もしかして、今更私と関係改善したいとか、頭のおかしなことを言うんだろうか?
いや、そんなこと言い出すなら、私今すぐ逃げる。だって、今更関係改善したいと思うなんて、絶対に下心がある。
下心があるってことは、何かしらの見返りを求めるってこと。
なにより、今までの態度を謝れば、これからでも挽回できる程度だと思ってるのか?
思ってるのだったら、それこそ恐ろしい。あの人たちにとって、私にした仕打ちって、謝れば許される、その程度の認識でしかなかったってことだ。
と言うことは、関係改善できないほどだとあの人たちが思う仕打ちって、私にとっては、もう殺されるくらいしか残ってないのだけれど、あの人たちは、そうは思ってないってことになる。
怖い。本当に怖い。自分たちのしてることを、こんなに正しく認識してなかったなんて。
ここにいたら、殺されるより恐ろしいことになる。
この家を出ることは、ずっと前から考えていた。ここにいればいるだけ、私にとっては不利益しかもたらさないから。そのために、今までコツコツと準備していた計画は、前倒しにするべきだな。
この騒ぎのおかげで、完全に朝食を食べ損ねてしまった。お腹は空いたけど、ご飯を抜かれることなんて良くあったし、このくらいの空腹は我慢できる。
このまま、私が見つからなければ、外にいるって勘違いして、もっと外の捜索に人を割くはず。部屋に誰もいなくなったら、着替えをして、こっそりと出て行くことにしよう。
私の顔なんて、まともに覚えている者は、この屋敷にはいないでしょうから、化粧でちょっと特徴のある顔にすれば、私だなんて思わないはず。
お祖母様の伝を頼って、隣国の方と連絡を取りながら準備をしていたが、まだ完璧ではないからと、様子を見ていた。仕上げは現地でも出来るのだから、この際、もたもたしている必要はない。
隣国との関係が良好なのも、今、逃げ出すことの安心点になる。国境を渡るのが比較的楽になるので。
妃教育なんてしているけれど、重要機密と思われるようなことは教えられていないし。多少、王家の外聞が漏れたところで、あの王子に下がる評価なんて今更ないでしょうし。
私程度の情報では、隣国が戦争を仕掛けるほどではないと思う。
けれども、家族のお祖母様嫌いもたいがいよね。
私がたまたま、お祖母様にかわいがられて、手づから教育されたからと言うだけで、幼い子供をないがしろに出来るのだもの。
まあ、お祖母様の教育のおかげで、こうして逃げる算段をとれる程度の知恵を付けていただけたと思うと、本当にお祖母様には頭が上がらない。
あら、こう考えると、私が家族と認識しているのは、お祖母様だけってことかしら。我ながら、少々薄情かもしれない。でも、路傍の石に愛情を持てるかと問われたら、皆さん、持てないとおっしゃるでしょうし、きっと仕方らしからぬことなのよ。
さあ、そろそろ皆さん慌てて今度は外を探しに出ることにしたようね。
後もう少しここでじっとしておきましょう。
慌てて出て見つかるなんて馬鹿らしいですしね。
ああ、隣国に行ったらなにをしようかしら。一応、隣国に小さな商会を一つ作って、知人に教えを請いながら運営を始めたけれど、まだまだ、黒字にはならないのよね。
私に出来ない部分は、ほかの方にお願いするしかないので、どうしても、報酬分が嵩むのよ。
商会を運営し始めて、初めて、人にかかるお金の方が大きいのだと知ったわ。でも、これを渋ると適当な人しかこないし、言うがままだと足元を見られる。
配分が難しくて、未だに教えを請うことが多いのよね。
筋は良いとほめてくださるのだけれど。
そんなことを考えている間に、すっかりとあたりは静かになった。
もう誰もいないかしら。誰か一人残っていたりすると、本当に困るのだけれど。
そっとクローゼットの隙間から外を見ると、どうやら誰もいないみたい。
部屋はかなり荒れた感じでひっくり返されているけど、クローゼットの奥まで探されなくて良かったわ。開けられたときは、この世の終わりかと思ったけれど。
私がどんな衣装を持っているのかも知らないのね。隠れるために、幼い頃の衣装を入れている箱のものを出したのだけれど、全く気が付いていなかったみたい。
あからさまに小さかったと思うのだけど。
まあ、おかげで見つからなかったのだから、よしとしましょう。
あとは、隠しておいたお出かけ用のワンピースを纏って、ちょっと野暮ったく見えるように、そばかすを描いて、念のため、顔が見えにくいように、ガラスのはまってない縁の大きな眼鏡を掛ければ出来上がり。
姿見に映る姿は、やはり私にしか見えないけれど、この程度で、十分なはず。
逆にこれで気が付いたのなら、諦めましょう。そこそこ私を見ていたのだと思って。
気配を殺しながら廊下に出ると、ほっと詰めていた息が漏れる。ここまでくれば、後は堂々と出て行けばいいだけ。
あっけないとはこのことかと、思わず呟いてしまったが、そう言ってしまいたい程度には、あっけなかった。
あの後、私は誰にも見咎められることなく、屋敷を抜け出し、辻馬車に乗り込むと、数日かけて、国境付近の町までたどり着いた。
そこで、検問をどうやって通ろうかと考えていたところで、隣国の知り合いを見つけたのだ。
「ルクロム様がこちらにいてくださったお陰で、検問も簡単に通れました」
一人だと、女であることも相まって、家に確認されるおそれがあり、悩んでいたのだが、そこでルクロム様に会えたことで、同行者として検問を通ることができた。
家族には後々ばれるだろうが、ルクロム様は隣国の公爵家の方だ。
そう簡単に目通りは叶わないだろう。
「いや、たまたま、こちらに用事があってね」
ふんわりと笑みを作ってるけれど、これ以上話す気はないと見て取れる。家族もルクロム様も、何かを感じて、行動を起こしているのは分かるけど、何故そうしているのかはさっぱり。
家族の様子から、余程恐ろしいことがあったのではないかと思うけど。
私の不信気な顔に、ルクロム様は少し慌てた様子で、弁解のように言葉を紡いだ。
「ああ。いや、誤魔化すはやめましょう。今日は、貴女に結婚の申込みをしようと思い、こちらに来たのです。まさか、国境を越えてすぐ、会えるとは思っていませんでしたが」
ルクロム様の言葉に、一瞬何を言われているのかと、理解出来ずに呆然としてしまうが、じわじわとその言葉が浸透してくる。
私に結婚を申込みに来たと。そんなそぶり、今までなかったのに、どうして突然。
そこに、家族の姿が過り、思わず不審な目を向けてしまう。
「そうですよね。貴女にとってみれば、突然のことで、不審に思われるのも仕方が無い」
ルクロム様は苦笑を浮かべて、言葉を続ける。
「ある人に言われたのです。明日やろうと後回しにして、明日が来ないときがあるのだと。それがたいした影響のないことであれば良いですが、人の生き死になど、分からないもの。私が躊躇った明日に、もしかして、貴女がいなくなってしまうかも知れないと考えたら、居ても立ってもいられなくなったのです」
やけに実感のこもった声に、私はなにも言えずに、ルクロム様を見詰める。どうにも私以外の人は、私が知らない何かがあるようだ。
しかし、家族と違って、ルクロム様には、信用がある。今まで手伝って貰ったこともそうだし、なにくれとなく気にかけてくれていたことも知っている。
これで、ルクロム様に騙されたなら、自分の人を見る目のなさを嘆こう。
「嬉しいです。まだ、その、ルクロム様を結婚の相手として考えたことがなかったので、そう言った意味で見ることが出来るのかは分かりませんが、その、いやではないです」
言葉にしている間に、どんどんと自分の顔が赤くなっているのがわかる。
火照る頬を隠すように両手を添えれば、ルクロム様がうれしそうに目を細めているのが見え、いたたまれなくなり視線を下げた。
「断られなくて良かった」
うれしそうな声音が上から降ってきて、じわりと心が温かくなる。
いつでもルクロム様は私を見つめてくれていた。この気持ちが愛なのかは分からないけれど、少なくとも家族に感じるような恐ろしさはない。
きっと、私はルクロム様をいずれ好きになるのだろうなと、考え、それがとてもうれしいことだと思った。
※ ※ ※ ※ ※ ※
あの日、私は悲報を聞いた。
シシェーリナが殺されたと。
言われなき罪を着せられ、王子と家族によって、無惨な死を迎えたと。
罪状は王子を弑しようとしたとかなんとか。
しかし、シシェーリナがそんなことをするはずがないことを、私は知っていた。
折を見て、逃げ出すために、なれない商会の運営をしていたのだ。
やっと軌道に乗ってきて、そろそろこちらに来るという話をしていた。そんな彼女が、王子を殺すはずがない。
いや、殺す気なのであれば、もっと早くにしていたはずだ。
彼女は家族と折り合いが悪いのだと言っていた。
祖母と疎遠だった家族と違い、彼女だけは祖母に目をかけられ、手づから教育を施したらしいのだ。
しかし、彼女を贔屓した祖母の気持ちは良くわかる。彼女は勤勉だ。決して器用ではないが、こつこつと努力が出来る。
出来ないことと出来ることをきちんと理解し、それを他者に頼ることが出来るのも、また才能だ。
すべてを出来ることはすばらしいだろうが、誰かに頼り、それをうまく采配することが出来るのであれば、一人ですべてをまかなうよりも、発展が望める。
実際、軌道に乗った商会は、彼女がいなくとも、仕事を回すことが出来る。
彼女が必要になるのは、方針を決めることや、新しい商品の吟味などだ。
だから通常は、彼女がいなくとも商会を運営できる。
彼女が探してきた商談などをこれから吟味してく手はずになっていた。
そんな彼女が、婚約者である王子を殺す意味が分からない。
おそらく、彼女が邪魔になったのだろう。だから冤罪をかぶせて、体よく廃した。
実に腹立たしいことだ。
それから私は、必死に隣国の情報を収集した。もとより、不要だと言うだけで、人の命を簡単につみ取れるような人間が王子だなど、恐ろしいだけだ。
今は友好国ではあるが、場合によっては、それを破棄してもいいとすら思っていた。
そうして必死になって集めたシシェーリナに関する情報は、聞くに耐えないものだった。
彼女は、家族に疎まれているのだと、王子に愛されていないのだとこぼしていたが、それは、彼女がかなり軟らかく表現していたのだとわかる。
疎まれているなどとなま易しいものではなかった、虐待いや、拷問を受け続けていたかのような生活。
その上、不要になったと簡単に切り捨てる。とうてい人のやることとは思えなかった。
「シシェーリナ。君を殺したあの国は、果たして生き残っている価値などあるのかな? 王子の所行を知らぬのであれば愚鈍、知っているなら悪だろう。そんな国を国として残しておく意味などあるのかな?」
シシェーリナの起こした商会の業績など、シシェーリナがいかにすばらしい女性であったのかをまとめ、王族に信書として送ることにした。
ただ単に、私が王族とあの家族を手に掛けるのを止められないためだ。
止められたら、叔父を脅す手ならいくらでもある。その何枚かを切ればいい。シシェーリナの状況を知らなかった私は、勿体ないと出し渋っていたが、知ったからには手は抜かない。
私に出来ることはすべてやろう。
私がシシェーリナの商会のことを認めた信書の返答は、彼の者の物であるのならば、侯爵の所有となるので、早々に引き渡せと書いてあった。
その返信と共に、私は王である叔父に隣国を蹂躙する許可を取る。
確かに商会は彼女が立ち上げたが、権利はまだ私にある。厚顔にも私の所有物を渡せと言ったのだ。
私にはそれにあらがう理由がある。
商会は私の所有であり、しかも、私の領地にある。それを引き渡せと言うことは、私の土地への侵略ともとれるのだ。
「隣国とはいえ、商会の権利者すらも調べられない、無能の治める国に明日などいらないでしょう、叔父上。
私の商会に手を出したのです。私の領地の物を引き渡せと言ったのです。十分な侵略行為ですよね」
にんまりと笑えば、叔父は疲れたような顔をして、静かに告げた。
「おまえの裁量で、好きにするといい。おまえの納める地のことだ」
本来であれば、国同士の争いだが、隣接領の小競り合いから、戦火が挙がったていでやれと、お許しがでた。
「ありがとうございます」
「出来るならば、ほどほどに、な」
「ええ、出来うる限り」
そうして、王族が私の領地に手を出したと声高に叫んで戦火を切ると、あっという間に、王都まで進めてしまった。
民にここまで見放されていれば、王都の蹂躙もあっという間だった。
王族とそれに連なる貴族が民草によって引っ立てられ、私の目の前に並べられた。
「無能に明日はやはりいらなかったみたいですね。
まあ、私のは私怨なんですが」
侯爵と王族にだけ、そっと囁く。
「シシェーリナをよくも殺したな。おまえ等は楽に死ねると思うなよ」
国盗りとしてはあっという間の、ひと月ほどの進軍で、一つの国が地図上からなくなった。
さすがに一国を領土にするわけにも行かず、叔父に後を任せることになったが、民草の大歓迎に、叔父も驚きが隠せないようだった。
聞けば、ずいぶんと前から圧政を敷いていたらしく、私が進軍しなくとも、反乱が起きていたらしい。
叔父は知っていたようだったが、瓦解するのを待っていたようだ。
領土が増えれば統治しなければいけないため、出来れば手を出したくなかったらしい。
それは悪いことをしたなと思うが、ひと月で、しかも、ほぼ無血で終わったのだ。
荒れるに任せれば、統治されない暴徒が私の領地に押し掛けていたかもしれない。
どちらにしろ、我が国で治める方が、何かと都合がいいだろうと叔父もあきらめ気味に、反乱の首謀者と話し合いをしているようだ。
シシェーリナの家族も王族も、私の心の赴くままにいたぶり、シシェーリナの苦しみの一端でも思い知らせることができたかと自分に言い聞かせるが、虚しさはなくならなかった。
もう、シシェーリナは帰ってこないのだ。
私がもっと早く、彼女を助けていれば。国のいざこざなど後からどうとでもなったのに。
もし、もしも、君が死んでしまうその前に、時が戻ったなら、私はもう、躊躇うことなく、君を迎えにいこう。
この世界に君がいる以上の幸せなどないのだから。
そんな私の願いが叶うなど、思いもよらず。
目覚めた私は、転がるようにベッドから這いだすと、最短で身支度を整え、とる物もとりあえず、隣国に向かって馬車を走らせた。
今度こそ、君と未来を歩むために。
一人だけ知らない未来のこと 広野 狼 @kaoichi1
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