130.実食

「――ぅうん……?」


 無意識という水面からゆっくりと浮上するように、曖昧だった意識が緩やかに覚醒していく。


「ここは……?」


 俺は寝かされていたベッドから上体を起こすと、辺りを見回した。

 ベッドに小さな机と壁時計。必要最低限といった風情の内装には一切の見覚えが無く、そんな状況に困惑していると部屋の扉が開いた。


「あっ、山田くん! もう起きてたんだね~」

「……音虎さん?」


 ニコニコと嬉しそうに微笑みながら、彼女は両手に持っていたコップの片方を僕に手渡した。


「えっと、音虎さん。ここは……いや、俺はどうして眠って――ッ!?」


 口に出すことで、俺が意識を失う直前の光景が脳裏にフラッシュバックする。

 迷い込んだ見慣れぬ街並み。

 生気のない異様な様子の人々。

 そして、首の無い神父様の――


「山田くん、大丈夫? 顔色悪いよ?」

「ね、音虎さん……お、俺は……」

「大丈夫だから落ち着いて? ほら、お水飲んで?」

「う、うん……」


 混乱する頭を冷やすためにも、俺は彼女に促されるままにコップに注がれた液体を一息に飲み込んだ。


 次の瞬間、喉を焼かれるような灼熱感と強烈な目眩が俺を襲った。


「がっ!? ぐえっ……!?」

「……どうしたの山田くん? まるで毒でも盛られたみたいじゃない」


 手からこぼれ落ちたコップがパリンと音を立てて割れる。

 音虎さんはそんな俺の様子を、クスクスと微笑ましいものでも見るように見守っていた。


「安心して? 毒なんて入れてないから。ですよね、神父様?」

「ええ、命に別状はありませんよ。多少は苦しい思いをするかもしれませんが……」

「し、んぷ様……?」


 息も絶え絶えな有り様ではあったが、俺は力を振り絞って目線を上げる。そこにはちゃんと頭が有る五体満足の神父様が、穏やかな微笑みを浮かべて音虎さんの隣に立っていた。


「飲ませると二時間前後の記憶が消える薬ねぇ……叡合會えいあいかいは随分とおっかないものを作っているのね?」

「摂取後の低下した意識レベルを上手く操作出来れば、そのようなことも可能というだけですよ。人間心理を熟知した高度なメンタリスト技術が必要ですので、そんなに便利なものでもありませんよ?」

「なら、私の得意分野ですね」


 彼女たちが何を言っているのか分からない。

 インフルエンザを数倍酷くしたような体調に、朦朧とした意識を必死に繋ぎ止めていると、音虎さんの細い指が僕の顎を持ち上げた。


「私って前世はよく『人の心が無いのか』なんて言われてたけど、酷い言いがかりよねぇ。私ほど人の心を大切にしている女の子って中々いないと思うの。大切なものが分からなければ、何を壊せばいいのか分からないじゃない?」

「ね、とらさん……」

「おっと、いけないいけない。山田くんも辛そうだし、早く終わらせてあげないとね。それじゃあ私が『契闊けいかつ』と唱えたら――」


 ……彼女から届く甘い香りと蠱惑的な声を聞きながら、俺の意識は深い深い闇へと転げ落ちていった。



 ***



「――だ。おーい、山田?」

「……んん?」

「そろそろ起きろよ。もう放課後だぞ?」

「あれ……? ああ、うん……」


 クラスメイトの声に、机に突っ伏していた俺はむくりと起き上がった。

 何だっけ……何か変な夢を見ていたような気が……


「山田が居眠りなんて珍しいよな」

「つーか、最近ぼーっとしてること多くね? 何かあった?」


 高校に入学してから出来た友人達が、心配半分興味半分といった割合で声をかけてくる。


「あー、いや別に大したことじゃ……」

「よっしゃ、当ててやるよ。……ズバリ、女関係だろ?」

「……っ!?」


 思わず反応してしまったことを後悔するも後の祭りである。


「えっ? マジで? 適当こいただけだったんだけど」

「おいおい、まさか山田に彼女が……!」

「ち、違うって。そういうのじゃないから……」


 話題の種を提供された友人たちが、凄い勢いで食いついてくるのを俺は必死に抑え込もうとする。


「でも女関係なんだろ? バイト先にタイプの女でも入ってきたとか?」

「うぐっ!」

「うわ、さっきから当たりまくりで怖いんだけど……」

「山田のバイト先って喫茶店だったよな? 年上のおねーさんとか?」

「いや、中学時代の同級生で……あっ」


 まだ頭が寝ぼけているのだろうか……

 迂闊に口を滑らせてしまった俺は、ここぞとばかりに質問攻めに遭ってしまう。


「やっべー! マンガじゃん!」

「なになに、もしかして山田の初恋相手とか?」

「そ、そういうのじゃ……いや、まあ……憧れてはいたけど」

「ならチャンスじゃん。偶然の再会とか、向こうも絶対に運命感じてるってー」

「他人事だと思って適当言うなぁ……」


 友人たちの適当な言葉に、俺は呆れたようにため息を吐いた。


「あはは、わりーわりー。そんじゃあ詫びついでに奢ってやるから、これからスタバ行こうぜ?」

「……言っておくけど、これ以上俺の話をほじくり返すなら怒るからな?」

「そんなんじゃねえって。姉ちゃんからギフト券もらってさぁ、男一人で行くのもなんだろ? 付き合ってくれよ」

「まあ、そういうことなら……」


 口車に乗せられているような気はしたが、せっかくの誘いを無下にすることも無いだろう。

 金銭的な負担が無いというのなら、遠慮なくご馳走になることにしよう。そんな考えで、俺達は駅前のコーヒーチェーンへと足を向けた。


「席取っておいてくれるか? 山田の分も買っておくから」

「それじゃあ新作の抹茶のやつで」


 友人に注文を伝えると、俺は店内を軽く見回して空いているテーブル席に腰掛けた。


「ふぅ……」

「――あれ、山田くん?」

「っ!?」


 不意に背後から声をかけられた俺の全身がビクッと震える。

 恐る恐る振り返ると、そこには先程まで話題の中心であった少女――音虎ねとら 玲子れいこが立っていた。


「ね、音虎さんっ!?」

「やっほー、偶然だね。山田くんもここのスタバよく来るの?」

「あー、その、今日は友達に誘われて……」


 俺がそんなどうでもいい説明をしている間に、トレイにドリンクを乗せた友人達が怪訝そうな顔でこちらへやって来た。


「席取りサンキュー……って、そっちの子は?」

「こんにちは、音虎玲子って言います。山田くんとは同じバイト先で働いているから、つい声を掛けちゃって」


 音虎さんの言葉に、友人が驚いたように声を上げた。


「ああ! 君があの!」

「……"あの"?」

「ばっ……! おまっ……!」


 友人の迂闊な発言に、俺は思わず叫びそうになってしまった。

 そんな俺の様子を見て、音虎さんは可愛らしく頬を膨らませて問い詰めてくる。


「ちょっと山田くん? 君はお友達に私のことをどんな風に話してるのかな?」

「え、えっと、変な意味じゃなくて……」

「あー、ごめんごめん。山田がバイト先に凄い美人が居るって話していたからさ。君のことかなって思って」

「や、山田くんっ!? お友達に変なこと言わないでっ!」

「い、いや、それは……!?」


 く、くそっ! 確かにニュアンスとしてはそんな事を言ったけども! 

 音虎さんが恥ずかしそうに頬を赤く染めているのを見て、友人が『援護してやったぜ?』みたいな顔をしていた。あとで殴ろう。

 しかし、俺のそんな内心を知らずに、友人が余計なお節介を続けようとしてきた。


「音虎さん、だっけ? 良ければ一緒に座らない? 山田ってバイト先のこと全然話してくれないからさー。こいつの普段の様子とか聞けたら嬉しいなー」

「お、おま! 何言って……!」


 俺の様子を見て、友人が心配するなと言わんばかりの表情で、こちらに耳打ちしてくる。


(安心しろって。俺達は適当な所で消えるから)

(そういう事を言ってるんじゃないっ!)


 しかし、そんな俺達を尻目に音虎さんは少し困ったように笑いながら、モジモジと髪を弄った。


「えっと……誘ってくれたのは嬉しいんだけど……その、実は人と待ち合わせをしていて……」




「――レイちゃん?」

「あっ、ユウくん!」


 彼女の後ろから、端正な顔立ちの男子が現れる。

 男の声に振り向く彼女の顔は――俺が初めて見る表情をしていた。

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