129.オタクに優しいゲス

 俺の中学校で彼女の事を知らない人は、多分居なかったと思う。

 モデルかと思うほどに可愛くて人柄も良くて、勉強も運動も出来て、人を惹き付けるカリスマ性があって……

 そんな彼女と親しくなりたいと思いつつも、完璧すぎる彼女に勝手に気後れして、高嶺の花のように遠巻きに覗き見る生徒は少なくなかったと思う。

 俺――山田実やまだみのるも、そんな生徒の一人だった。


 思えば、中学校の入学式の時から、彼女は凄く目を引く少女だった。


「……なあなあ山田、あそこの女子めちゃくちゃかわいくね? もしかして芸能人かな?」


 校長のスピーチに飽きたのか、ヒソヒソと話しかけてくる友人につられて視線を少女に向けた時の衝撃は今でも覚えている。

 白い肌にツヤツヤのロングヘアーと大きな瞳。ピンと伸びた背筋に凛とした佇まい。

 住む世界が違う人間だと一目で感じた。

 彼女と同じ小学校から入学した生徒の話では、見た目だけでなく中身まで完璧な女の子という話が漏れ聞こえてくる。

『ああ、自分とは一生関わりの無い人間だな』というのが当時の俺の率直な感想だった。


 彼女とちゃんと会話した切っ掛けは、本当にただの偶然だった。


「……おっ、あのラノベ入荷してるじゃん。リクエストした甲斐があったな」


 近所の図書館で目当ての本を見つけた俺はホクホク顔でそれを手に取る。

 当時ライトノベルにハマっていた俺は、図書購入リクエストに自分が読みたい小説をよく投書していたのだ。

 漫画なんかは論外であるが、ライトノベルは購入リクエストが意外とよく通った為、中学生の乏しい小遣い事情では非常にありがたかったのを覚えている。


「あれ、山田くん?」

「――えっ?」


 貸出処理を終えて、さて自宅でゆっくり読もうかと図書館を出た俺は、彼女――音虎ねとら 玲子れいこと図書館の入口で鉢合わせたのだ。


「あー、えっと……ね、音虎さん。こんにちは」


 ろくに会話したことも無い自分の名前が覚えられていたことに、ただでさえコミュ障気味だった俺はいつも以上に覚束ない呂律で挨拶を返す。


「ふふ、こんにちは。山田くんも本を借りに来たの?」

「あ、ああ、うん。音虎さんは?」

「私は借りた本を返しにきたの」


 そういって彼女が取り出したのは、精神医学やらメンタルケアに関する学術書やら……中学生の女の子が読むには随分と異質な本だったのを覚えている。


「山田くんはどんな本を借りたの?」

「えっ、あー、俺は……」


 彼女と比べると、あまりにも子供じみた本を借りている事が恥ずかしくなった俺だったが、近所だからとカバンも持たずに図書館へ訪れていたせいで、手に持ったライトノベルを隠すことも出来ず彼女に表紙を見られてしまう。


「あっ、これ動画サイトのCMで見たことある。女の子が魔法で戦うやつだよね。面白いの?」

「え、えっと……俺は、その、面白いと思います……」


 オタク趣味丸出しのラノベを女子に見られていることに、自分の顔が熱くなっているのを自覚する。


「ふーん……あっ、ごめんね引き止めちゃって。またね、山田くん」

「う、うん……さようなら……」


 ニコニコと微笑みながら手を振る彼女が図書館へ入っていくのを見送った後、俺は思わず頭を抱えてしまった。


「あぁ~~……俺、キモすぎる……」


 今にして思えば自意識過剰もいい所だが、それでもクラスカースト頂点の女子に対してキョドりまくった挙げ句、オタク趣味を露呈するという思春期にはキツすぎる仕打ちを受けた俺に、冷静に状況を分析する余裕は無かった。


「はぁ……音虎さんはそんなことしないと思うけど、女子同士の会話でネタにされたらどうしよう……絶対に馬鹿にされる……」


 そんな最悪の妄想を膨らませながら、トボトボと家路についた数日後のことであった。

 朝のホームルームが始まる前に、音虎さんが俺の席へと興奮した様子でやってきたのだ。


「山田くんっ!」

「うえっ!? な、なに? 音虎さん……?」

「……読んだ?」


 こちらに顔を近づけてきた音虎さんが、秘密の話をするようにボソリと聞いてきた。

 彼女の端正な顔立ちと、薄っすらと香る良い匂いのせいで頭が真っ白になっている俺は、殆どオウム返しで彼女に問いかける。


「え? 読んだって、何を……?」

「だからっ、この間の小説っ! す~~……っごく良かったよねっ!?」

「……も、もしかしてこの間のラノベの話?」

「うん。山田くんが面白いって言うから、私も気になって読んでみたんだー」


 嘘だろ? 

 そんなちっぽけな理由で? 


「あ、あはは……音虎さん、変な冗談言うんだね……」


 からかわれているのかと思った俺は、曖昧に笑いながらそう返した。

 すると、音虎さんはキョトンとした顔で首を傾げる。


「え? 冗談って?」

「いや、だって……音虎さんみたいな人が、そんな理由でああいうオタクみたいな本を読むとか……」

「……? 私、そんなに変なこと言ったかな?」

「……えっ、本当に読んだの?」

「もうっ、さっきからそう言ってるでしょう? あの本が面白いって言ったのは山田くんじゃない」

「そ、それはそうだけど……」


 だって音虎さんは完璧で、いつもキラキラしている人達に囲まれているから。

 俺みたいな陰キャが楽しむような趣味に、彼女が触れることなんて……

 煮えきらない態度の俺を尻目に、彼女は机に前のめりになるように顔を寄せてくる。


「最後の戦いが終わった後の展開が本当に凄くって……あっ、それよりも山田くん最後まで読んだ? ネタバレにならない?」

「あ、ああ、もう読み終わってるから、それは大丈夫だけど……」

「そう? 良かったー。それで山田くんに聞きたいことが有ったんだけど、最後に出てきたあの人って――」

「ああ、それは作者の別作品のキャラで、同じ世界観の登場キャラが――」


 ――それから、彼女と話す時間が少しだけ増えた。


「前に山田くんから教えてもらった映画良かったよー」

「えっと、俺も音虎さんに教えてもらったインディーズの歌聴いたよ。今はスマホに入れて鬼リピしてる」


 朝のホームルーム前や、掃除当番が偶然重なった時なんかに、彼女と趣味の話をしたりした。


 完璧な女の子。

 住む世界が違う人間。

 そんなことを考えていた自分が馬鹿らしく思えるほどに彼女は……普通の優しい女の子だった。

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