125.激神・音虎玲子
日が沈み薄っすらと暗くなっていく街並みを、街灯が明かりを灯して照らし始めていく。
アルバイトの制服から私服に着替えた俺――
「……なんか、夢みたいだな」
液晶画面に映る動画に全く集中出来なかった俺は、スマートフォンをポケットに突っ込むとぼんやり空を見上げた。
中学時代の片思い相手である音虎さん。
進学先が分かれてしまった後は特に接点もなく、別の高校に入学した大半の同級生達がそうであるように、俺と彼女の交友関係は自然消滅していくものだと思っていた。
そのことに未練が無かったとは言わないが、彼女と俺とでは元々住む世界が違うのだ。
この分不相応な片思いの記憶も、いつかは小さな痛みと共に忘れられると思っていた。
――それなのに。
「山田くん、おまたせっ」
「あっ、う、うん……」
何の因果か、彼女は再び俺の前に姿を現した。
学校から直接ディアボロに出勤した為、御影学園の制服であるブレザー姿の彼女が輝くような笑顔で俺の前に立っている。
「それじゃ、行こっか。ふふ、山田くんは私をどこに連れて行ってくれるのかなー?」
「ええっ!? お、俺が店決めるの?」
「だって言い出しっぺは山田くんだしー。期待してるよ~?」
そんな軽口の応酬をしながら、俺達は店の前から歩き始める。
「そういえば、山田くんは初めてのお給料って何に使ったの?」
「えー……貯金?」
「あはは、山田くんっぽいな~」
「そ、そういう音虎さんはお給料どうするのさ?」
「うーーん……貯金?」
「俺と同じじゃんっ!」
ころころと笑う音虎さんにつられて、俺も思わず吹き出してしまう。
あの頃と……中学時代と同じだ。
彼女とじゃれ合うようなやり取りをしているだけで、胸が温かくなって……それと同じぐらい心が締め付けられる。
「あー、楽しいなぁ」
「はぁ……俺、そんなに変なこと言ったかなぁ……」
「違う違う、そうじゃなくて……」
この再会に意味なんて無いのかもしれない。ただの偶然、そう片付けてしまうのが合理的で常識的だ。
「山田くんと、またこうしてお話出来るなんて夢にも思わなかったから。すごく嬉しいなって」
「ね、音虎さん……」
邪気の欠片もない澄んだ瞳に見つめられて、俺は呼吸が止まりそうになってしまう。
……もしも、この出会いが神様のくれた最後のチャンスだったとしたら。
胸の奥で燻っていた恋心に、行き場を与えることが出来るのなら……俺は……
「お、俺も……音虎さんとまた話が出来て、すげー嬉しいと思ってる……」
「えぇ~? もうっ、そんなこと言われたら照れちゃうなぁ」
俺の言葉に、恥ずかしそうに頬を染めながら音虎さんが微笑む。
……この気持ちを伝えたい。
「……音虎さん」
「山田くん?」
たとえ、それがどんな結果になろうとも……この恋心を隠したまま、またいつか彼女と離れ離れになるなんて……言えなかったことをずっと後悔して生きていくなんて、俺は嫌だ。
「音虎さん、俺は……!」
俺が後戻り出来ない言葉を告げようとした次の瞬間、俺と音虎さんの前で一人の男が立ち止まった。
「……」
「えっ? ……あの、何か?」
吐息がかかりそうな至近距離で立ち尽くす男の顔を見る。
……見覚えのない顔だ。
音虎さんにそれとなく視線を向けると、彼女も首を横に振って男が知人ではないことを言外に示した。
「……」
「……音虎さん、行こう」
虚ろな瞳でこちらを見つめる男の不気味な様子に、俺は思わず音虎さんの手を取って来た道を引き返す。
「や、山田くん?」
「ごめん。でもちょっと嫌な感じがしたから……」
背後を振り返ると、男がこちらを追いかけてくる様子は無かった。
「……」
……ただ、じぃっとこちらを見つめている様子に、俺は背中に薄気味悪い何かが張り付いているような嫌悪感を覚える。
「――山田くんっ!」
「へっ……わぷっ!?」
背後に気を取られていたのが良くなかったのか、俺は前方に居た誰かにぶつかってしまった。
音虎さんの制止する声も間に合わず、俺は間抜けな呻き声をこぼしながら反射的に相手に謝罪をする。
「す、すいませ――」
虚ろな瞳をした男が、無表情な顔でこちらを覗き込んでいた。
「なっ……!?」
思わず悲鳴じみた吐息が口から漏れる。
先ほどの男とは別人だったが、その生気が抜け落ちた表情を見るに、未だに背後でこちらを見つめている男と無関係とは到底思えなかった。
「や、山田くん……」
怯えるように震えた声で俺を呼びかける音虎さんの姿が、恐慌に陥りそうな精神を繋ぎ止めてくる。
「……音虎さん、少し走るよ」
「う、うん」
俺は少し力を込めて音虎さんの手を握ると、男の脇をすり抜けるように駆け出した。
あの男達が何なのかは分からないが、とりあえず人目がある所に逃げれば、そうそう妙なことはしてこないだろう。
そう思っての行動だったのだが……
「おかしいだろ……なんで、こんなに人が居ないんだ?」
走り始めてから少しして、周囲の異常自体に遅まきながら気づく。
いくら暗くなり始めているとはいえ、廃墟に居る訳じゃないんだぞ。それなのにこの人気の無さは一体どういうことなのだ。
いくら走っても、振り切るどころか先回りしている異様な様子の人間達。
……いや、そもそも俺達は一体どこを走っているのだ?
夢中で逃げていたとはいえ、ここまで全く見覚えのない街並みに迷い込むとは思えない。
……何か悪い夢でも見ているようである。
「はっ、はっ……や、山田くん……」
「……あっ、ごめん音虎さん。走りっぱなしで疲れたよね」
「ご、ごめんね……」
「大丈夫だよ。……周囲にあの変な奴らもいないみたいだし、少し休もうか」
そう言って、俺と彼女は道端に座り込む。
ポケットからスマートフォンを取り出して、助けを呼べないか試してみるも、液晶画面は通信状況の圏外を示していた。
「……クソ、案の定だな」
思わず悪態をついてしまった俺の手を、音虎さんの白い手が優しく包みこんだ。
「……だ、大丈夫だよ山田くん。きっと何とかなるから。ほら、家族とか友達が心配して警察とかに連絡してくれるだろうし」
「音虎さん……」
……自分だって不安だろうに、俺なんかを安心させようとしてくれているのか。
その事実に、心が少しだけ楽になるのを感じながら、なんとしてもこの少女を守り抜かなければと、俺は決意を新たにする。
「……ん?」
そんな時だった。
少し離れたところに、俺は見覚えのある人影を見つけた。
あれは……
「……神父様!」
「えっ?」
この異常な状況で面識のある人間と出会えた安堵感に、俺は思わず声を上げて彼に近づいた。
「神父様! よかった……やっと知っている人と会え――」
ゴトリ、と神父様が何かを地面に落とした。
サッカーボールぐらいの大きさのそれに視線を向ける。
それは綺麗な球体ではなく、凸凹とした起伏があちこちに有るのを見て『持ちにくそうだな』なんて、のんきな感想を俺は抱いた。
そして、落とし物をしてしまった神父様の顔を見上げようとする。
神父様の首から上が無かった。
なるほど。
地面に転がっているボールみたいなものは神父様の――
「――ぃ」
状況を理解した俺の口から、絶叫が溢れそうになる。
根源的な恐怖。生命の危機。現実の否定。それらを全て混ぜた本能的な叫びが。
……違う。
今、俺がするべきことは意味のない叫び声を上げることなんかじゃない。
俺の後ろで、恐怖に固まっているであろう彼女の生存確率を少しでも上げることだ。
男だろ! 山田実!
惚れた女の前でぐらい、少しは格好つけてみせろ!
「音虎さん!! 逃げ――」
俺は勢いよく振り返る。
次の瞬間、俺がまだ死んでいなければ、彼女の手を取って走り――
「山田くん。君は本当に良い男だな」
「は?」
ニッコリと笑う音虎さんの顔。
そんな状況にそぐわない彼女の表情を頭が認識する前に、俺の意識は腹部への衝撃と共に刈り取られた。
***
山田くんをボディーブローで気絶させた後、彼の身体をそっと道の端っこに寝かせた私――
「ふふふ……まったく人をイライラさせるのが上手い奴だ……」
本当なら今頃、山田くんとお茶をしている最中に、彼とユウくんが遭遇するように仕向けて、その心に消えない傷跡を刻みつけて楽しんでいた筈だというのに……
「ゆ、許さん……」
私はギロリと今回の下手人――ケタケタと笑いながらこちらを見つめる悪霊くんに向かって激昂した。
「絶対に許さんぞ虫ケラども!! じわじわとなぶり殺しにしてくれる!!」
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