124.迫りくる破滅の時

 チリンチリンとお客様の来店を告げる鈴が店内に鳴り響く。

 その音に素早く反応した音虎さんが、入口へ向かい見事な営業スマイルを作った。


「いらっしゃいませー……あっ、神父様!」

「どうも、音虎さん。いつも通り一人なんですが、入れますかな?」


 来店した青年はそう言って、音虎さんに負けず劣らずの爽やかな笑顔を浮かべた。


「はい。ご案内致しますね」

「ええ、ありがとう」


 彼は最近、この喫茶店近くの教会へとやって来た神父様である。

 教会でのミサが終わると、こうしてたまに食事を取りに来てくれるのだ。

 私は宗教に詳しい訳ではないが、こうしたプライベートでもキャソックを脱がない変わり者の青年である。

『迷える羊にいつでも声をかけていただけるように。この格好ならば、私が神父だと一目で分かっていただけるでしょう?』とは青年の談である。


「ブレンドとキュウリのサンドイッチをいただけますか?」

「かしこまりました! 神父様、サンドイッチお好きですね?」

「ええ、ここのは特に絶品ですから」


 そんな会話を耳に入れつつ、私はサンドイッチの準備を始める。

 少し厚めにスライスして食感を出したキュウリに気持ち多めの塩とお酢。パンには種入のマスタードにバターをたっぷり。チーズやハムは敢えて入れない。キュウリとパンだけのシンプルなサンドイッチだが、先代から受け継いだレシピで出来上がるこれには奇妙な中毒性があり、この店の隠れた人気メニューの一つである。


「サンドイッチ上がったよー」

「はーい」


 サンドイッチが乗った皿を、音虎さんが神父様の席へと運ぶ。

 ついでに一言二言雑談を交わして微笑みを交わす二人の姿は、中々絵になるワンシーンであった。神父様も音虎さんも美形だからね。


「……」


 そして、そんな二人を羨ましそうに見つめる青少年が一人。


「山田くん」

「えっ、あっ、はいっ!」

「ボックス席のナポリタンとカレーライス。運んでもらえるかな?」


 慌てて返事をする彼の姿に苦笑しつつ、私は用意した料理を指差した。


「はいっ! 了解ですっ!」

「ふふふ、慌てて転ばないようにね」


 若者の元気の良い返事にエネルギーを貰いつつ、私は仕込んでおいたソースやパスタの湯で時間を確認する。そろそろ夜の分の仕込みも始めておくか……

 この喫茶店は、夜にはアルコールも提供する大人の社交場としての顔がある。

 まあもっとも、その時間帯は殆ど馴染の常連だけのゆったりとした営業なのだが、最近は昼の時間帯が忙しいこともあって夜の時間帯もバイトを入れようか検討中なのである。

 本当は山田くんや音虎さんが働いてくれるなら理想的なのだが、夜間に未成年を働かせる訳にはいかない。

 ……それに酒の入ったおじさん達を相手に、昼間営業でも固定ファンを作り出している音虎さんがどれだけ無双をしてしまうのかと考えると、身内ながら少し恐ろしくなってしまうしな。

 うちはキャバクラでもボッタクリバーでも無いのだ。女の子を餌に中年達から酒代を巻き上げるような真似はしたくない。


「マスター、カウンター席オムライスとミートソースです」

「はいよ。山田くん、ちょっと厨房手伝ってくれる?」

「了解です。音虎さん、3番テーブルのリセットお願い」

「はーい」


 バイト二人に指示を出しつつ、今日もそれなりに忙しい店内を回していく。

 これがここ最近の私の生活パターンであった。



 ***



 夕暮れ時。

 お客様が一通り退店したのを確認して、私は入口に準備中の看板を立てる。夜間営業までのちょっとしたハーフタイムである。

 そして山田くんと音虎さんの未成年コンビはここでお役御免だ。


「二人ともお疲れ様……はい、これ」


 そう言って、私は懐から取り出した茶封筒を二人に手渡した。今日は給料日なのである。


「山田くん。今月もお疲れ様」

「ありがとうございます!」

「音虎さん。初めてのバイトで大変だったろうけど、すごく助かっているよ。これからもよろしくね」

「ありがとうございます、マスター!」


 銀行振込ではなく手渡しなのは、先代から受け継いだ慣例の一つなのだが、こうして彼らの喜ぶ顔を直接見ることが出来るのは中々悪くない。


「ははは、浮かれて帰りに落としたりしないようにね? それじゃ、お疲れ様」


 そう言って夜の準備に向けてキッチンに引っ込もうとした私だったのだが……


「……ね、音虎さん」

「ん、どうしたの山田くん?」


 ……山田くんのただならぬ雰囲気に、私は趣味が悪いことを自覚しつつも物陰で二人の会話に聞き耳を立てた。


「こ、この後なんだけど……何か用事とかあったりするかな?」

「ううん、特に何もないけど……」

「……あ、あの! 良ければなんだけど、音虎さんは初めての給料日だったし、良ければどこかでお疲れ様会でもしないかな……!」


 うおおっ!? が、頑張ったな山田くん! 

 シャイボーイな青少年が勇気を振り絞って女の子を誘っている現場に、私は思わず息を呑んだ。


「おっ、いいね~! やろうやろう! どこかファミレスでも行く?」

「う、うん! 俺ごちそうするから、音虎さんの行きたいところでいいよ!」

「あはは、そういうのはいいってば。私だってお給料貰ったばっかりなんだし。気持ちだけ受け取っておくね?」

「あ、あはは……うん、そうだね」


 マジかよ! 良かったな山田くん! 凄いぞっ! 

 私は思わず隠れていることを忘れて拍手しそうになる腕を抑え込む。

 仲睦まじく話しながらバックヤードへ向かう二人の姿に、おじさんの胸はキュンキュンしてどうにかなりそうだった。

 いやあ、いいもの見せてもらった。

 まだ音虎さんから山田くんへの恋愛感情的なものは感じられないが、それでもこれは大きな前進である。


 次に彼らがシフトに入る時は、それとなーく今回の打ち上げの様子を聞き出してみたいものである。

 青春の甘酸っぱい香りを感じながら、私は足取り軽く夜間営業の仕込みを始めるのであった。

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