120.そして歯車は狂いだす

「ユリちゃんは、私にどうしてほしい?」


 私は――白瀬しらせ 由利ゆりは、最低な人間だ。


 レイちゃんに呼び出されてから、私はずっと怯えていた。

 私の愚かな行いがレイちゃんにバレたのではないかと。

 立花くんが、私の嫉妬に狂った醜態をレイちゃんに話したのではないかと。


 ……でも、レイちゃんはいつも通り優しくて。

 結局、罪悪感に負けた私は自ら今日の行いを自白した。

 償いや謝罪ではない。ただ自分が楽になるためだけに。

 それなのに……私の告白を聴いた彼女は優しく微笑むのだ。


 ――ユリちゃんは優しいね。


 ……違う。

 私は優しくなんてない。

 ズルくて弱い嘘つきの卑怯者だ。

 レイちゃんが私を責めなかった時……私は安心してしまったのだ。


『あっ、そういう風に考えてくれるんだ』

『このまま状況に流されてしまえば、レイちゃんに嫌われないで済む』

『まだ彼女の友達でいられるかも』


 そんな最低な考えが、私の頭を駆け巡ってしまったのだ。

 私は結局、独り本の世界に逃げ込んでいた昔から何も変わっていない。

 依存先が本からレイちゃんに変わっただけで……


「ごめん、なさい……」


 私は、最低な弱虫だ。


「ごめんなさい……」


 私は、こんな私が大嫌いだ。


「――ユリちゃん」


 まともに会話が出来なくなっていた私の手をレイちゃんがギュッと握りしめた。

 その感触に、知らず知らずの内に俯いてしまっていた顔を持ち上げると、そこには彼女の笑顔があった。


「少しお散歩しない?」



 ***



 喫茶店を連れ出された私は、レイちゃんに手を引かれるままに歩いていく。


「この公園覚えてる? 塾の帰り道にあったから、たまにここでユリちゃんとお喋りして息抜きしてたよね~」

「……うん」


 ご時世なのか、子供の数も疎らな公園のベンチにレイちゃんと二人で腰掛ける。

 思い出とも言えないような些細な日常の記憶を、彼女は心底楽しそうな笑顔で話した。


「私が遊具で遊ぼうとすると、いつもユリちゃんは心配して止めてくれたよね」

「だ、だってレイちゃんの服が汚れちゃったら大変だし……」

「でも、私がお願いするとユリちゃんも一緒に付き合ってくれたよね。渋々だけど」

「それは……レイちゃんのお願いだったから……今だから言うけど、結構恥ずかしかったんだよ?」

「あはは、ごめーん」


 言葉に反して悪びれた様子もなく笑うレイちゃんが、近くのブランコに足をかける。


「それから、御影の入学式で教室が分からない子を助けていたことも有ったよね」

「それは……たまたま私も行き先が同じだったから、ただのついでで……」

「中学の3年では、文芸部の部長もやってくれた」

「だ、だってレイちゃんは生徒会長で忙しそうだったし、私がやるしかないかなって……」

「あとは――」

「……その、レイちゃん? さっきから何の話をしているの?」


 意図を掴めないレイちゃんの思い出話に私がそう切り出すと、レイちゃんはブランコに軽く揺られながら答えた。


「ユリちゃんが優しい女の子だって話」

「……違うよ。私は、優しくなんてない。レイちゃんは心が綺麗だから、私を良く見ようとして――」

「そんなことないよっ」


 ブランコから降りたレイちゃんが、私をギュッと抱きしめた。


「レ、レイちゃ……!?」

「私はずっとユリちゃんを隣で見てきたよ。だから、ユリちゃんのことをユリちゃんよりも分かってるもん!」

「そ、そんな滅茶苦茶な……」

「だって……」


 私の腕にすっぽり収まってしまいそうな小さな体は震えていた。


「……私、ユリちゃんに凄く支えられていたもの」

「私が……レイちゃんを?」


 どういう事だろうか。

 逆ならばともかく、私がレイちゃんを支えていたなんて、そんなことは――


「……私ね、昔は全然友達いなかったんだぁ(前世の話)」

「えっ?」

「男の子からも女の子からも嫌われてて(前世の話)、本音を話せる相手が誰も居なかった(今世の話)」

「そんなこと……」


 初めて聞くレイちゃんの過去。

 今の明朗快活な彼女からはまるで想像がつかない話に、私は呆気にとられてしまう。

 思わず適当な作り話かと疑ってしまう私だったが、彼女の言葉と表情には有無を言わさぬ真実味があった。


「でも、そんな私の傍にユリちゃんはずっと居てくれた。ユリちゃんに、私は凄く救われていたよ?」

「……それは」


 ……それは勘違いだ。

 私は、私がレイちゃんの傍に居たかったから、隣に寄り添っていただけだ。特別なことなんて何もしていない。

 彼女に感謝をされるような謂れなんて何も……


「……だからね」


 レイちゃんが私の胸に体重を預ける。


「私の大好きな友達ユリのこと、ユリちゃんに嫌ってほしくないよ……」

「レイちゃん……」


 パッと彼女が私の腕から離れると、少し潤んだ瞳で満面の笑みを浮かべた。


「……だからね、私はユリちゃんのことが好きだって言い続けるよ。ユリちゃんは素敵な人だって、ユリちゃんに分かってもらえるまで!」

「……っ」


 彼女の言葉が、痛みすら感じる程に私の心を揺さぶる。

 やっぱり私は自分のことが嫌いだ。

 ズルくて嘘つきの弱虫だと思っている。

 それでも、私のことを好きだと言ってくれる彼女のために、私が出来ることは――


「……レイちゃん」

「うん」

「レイちゃんは……これから先、どうしたい?」


 何を示すのか、言っている自分自身も曖昧な問いかけ。

 彼女は少しだけ逡巡してから口を開く。


「……みんなとずっと仲良くしていたい。ユウくんとも、ユリちゃんとも」

「……そっか」

「うん」

「そっかー……」



 ***



「――あっ、白瀬さん」

「立花くん」


 後日、私は立花くんを近所の図書館に呼び出していた。

 談話スペースの一角に腰掛けていた私の姿を見て、彼は向かいの席へと腰を下ろす。


「ごめんなさい。レイちゃんに内緒で呼び出したりしちゃって」

「ううん、僕の方も白瀬さんと話したいことがあったから……」

「そうなの? それじゃあ立花くんからお先にどうぞ」

「え? いや、白瀬さんの方から声を掛けてくれたんだし、そっちからで……」


 ここで立花くんと譲り合いになっても話が進まないと判断した私は、先にこちらからの話を伝えることにした。


「それじゃあ私から。この間の海での事なんだけど、全部レイちゃんに話しちゃったの」

「……ええっ!?」

「だから立花くんもレイちゃんに、この間の事を隠したりしなくても平気だから。それを伝えておきたかったの」

「いや、ちょっ……! ぜ、全部って……!?」

「全部は全部よ。それで、立花くんの話って?」


 動揺する立花くんを無視して、私は話を進める。

 立花くんはガリガリと頭を掻いてから溜息を一つ吐くと、意を決した真剣な表情で私に口を開いた。


「……白瀬さんは」

「うん」

「白瀬さんは、どうすれば僕とレイちゃんとのお付き合いを認めてくれますか?」

「……えぇ?」


 彼の言っていることが理解出来ず、私は怪訝な表情を浮かべてしまう。


「……それって、私がどうこう言う事じゃないと思うんだけど」

「い、いや、そうなんだけどそうじゃなくて」

「レイちゃんと立花くんは両思いなんでしょう。二人が納得しているなら、私の意見なんて別に……」

「……そうじゃないんだ。白瀬さん」


 立花くんは、どこまでも真剣な様子で私を見つめる。


「レイちゃん程ではないけど、僕だって白瀬さんの事は見てきたよ。だから、それなりに分かっているつもりなんだ」

「……何を?」

「白瀬さんがどれだけレイちゃんのことを大事に想っているのか。レイちゃんがどれだけ白瀬さんのことを大事に想っているのか」

「……」


 少し前なら、きっと激昂していたであろう立花くんの言葉。お前に何が分かるのかと。

 だけど、今の私は不思議と彼の言葉をスッと受け入れることが出来た。

 それは自分の醜さと向き合った故の心境の変化なのか、それとも――


「だから、レイちゃんが大切にしている人を……白瀬さんが、僕の友達が大切にしている想いを蔑ろにすることは、僕には出来ない」


 ――それとも、この不器用でお人好しな恋敵を憎み切ることが、私には出来なくなってしまったからだろうか。


「だから、お願いします。僕とレイちゃんのお付き合いを認めてください」


 そういって、彼は深々と頭を下げた。


「――くっ」

「え?」

「あはははっ!」

「し、白瀬さん?」

「た、立花くん。前から思ってたけど、少しズレてるよね? レイちゃんのご両親に言うような台詞を、普通私みたいな友達に言う?」


 堪えきれず思わず吹き出してしまった私に、立花くんは納得行かないような不満げな顔をした。


「ズレてるって……僕、結構真剣に話してるんだけど」

「ふふ、ごめんなさい。別に馬鹿にしてる訳じゃないの」


 談話スペースとはいえ、あまり騒ぐのはよろしくない。

 私は込み上げる笑いを押さえ込むと、一つ咳払いをした。


「……そうね。レイちゃんを悲しませたり不安にさせたりしないこと」

「えっ?」

「……私からの条件はそれだけ。出来るよね、立花くん?」

「白瀬さん……」


 私の言葉の意味を理解して、彼がぱぁっと表情を輝かせたので釘を一つ刺しておく。


「もしも立花くんがレイちゃんに相応しくないと思ったら、その時は容赦しないから肝に銘じるように」

「え、えぇっ!?」


 狼狽える立花くんの姿に、私は僅かに残っていた溜飲を下げる。


「わ、分かった。僕がんばるから! レイちゃんにも、白瀬さんにも絶対に後悔させないようにするよ!」

「……ふふ、そうだね。期待しています」


 そして、レイちゃんが彼を選んだ理由も、少しだけ分かったような気がした。

 彼女が好きになった人は、とても温かくて優しい人。


 私も……彼やレイちゃんみたいになれるかな。

 人の心を光で照らせるような、優しい人に……



 ***



 あるぇ~~??? 


 予想とは違う展開になっているユウくんとユリちゃんの様子に、レイコは柱の影で不安になっていた。日課のストーキングである。

 お、おかしいぞ。私の想定ではここらでユリちゃんが私を寝取りに来る筈なのに。

 人間ってーのは基本的に自分以外を信用しない生き物だ。

 どれだけ物分かりよく賢いフリをしても、裏では互いが互いを牽制し合い、足を引っ張り合う。それが人間という生き物である。


 それなのにクソァ! ユリちゃんめ! 

 ユウくんの善性に浄化されたみたいなツラしやがって! 

 まだ教育が足りていなかったみたいだな。

 お前は自分の愛欲の為ならば、良心なんてクソの役にも立たねえパーツを捨てられる女だった筈だ。今に化けの皮を剥いでやる。人間の理性や良心なんて当てになるものか。私はベロリと舌舐めずりをした。


 だがしかし、しばらくはユリちゃんに対して直接的なアクションを起こすのは下策だな。

 今回は少しばかり私も動きすぎた。これ以上派手にやるのは誰かに怪しまれる可能性がある。

 急ガバ回れ。私は石橋を叩くことが出来る女。

 なぁに、私の手札はユリちゃん以外にも残っているのだ。万が一彼女が駄目でも打つ手はいくらでもある。今は深く深く地下に潜るのだ。ヒロアカのAFOみたいなものさ。


 私は結果だけを求めてはいない。

 大切なのは真実に向かおうとする意志なのだ。NTRという真実にナ。

 向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は寝取られなかったとしても、いつかは寝取られるだろう? 向かっているわけだからな……違うかい? そういうことである。

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