117.白瀬由利は壊れていく
「レイちゃんと、別れてくれる?」
「――は?」
白瀬さんの発言の意味が分からず、僕――
……何かの聞き間違いではないだろうか。
あまりにも唐突な展開に、僕の思考は現実的かつ自分に都合の良い方向へと流れていく。
だって、白瀬さんがそんな事を言う理由が無い。
彼女はレイちゃんの親友で、僕の友達で……
僕とレイちゃんの交際を祝福してくれた彼女がそんな事を言う筈が――
「白瀬さん。あの――」
「聞こえなかった? レイちゃんと別れてって言ったのだけど」
「……っ!?」
追い打ちをかけるような白瀬さんの発言に、僕の楽観的な考えは呆気なく砕け散る。
信じていた日常が崩れていく気配に、僕は内蔵を絞られるような錯覚を覚えた。
「……ぁ、え、えっと……その、なんで……」
得体の知れない恐怖から逃れようと藻掻く僕は、停止した思考の中で必死に言葉を繋げる。
「嫌なの。立花くんとレイちゃんが一緒に居るのが」
ゾッとするような冷たい視線と声が僕の胸を射抜く。
いつもレイちゃんの少し後ろで、控えめに笑っていた少女と同一人物とは思えない無機質な瞳に、それでも僕は喘ぐように問いを重ねる。
「そ、そんな事を急に言われても納得出来ないよ。ちゃんと理由を説明してよ! ……僕、白瀬さんに何か嫌なことをした?」
「いいえ、何も。勘違いしているならハッキリ言っておくけど、立花くんは何も悪くないわ」
「だ、だったら、どうして……!」
「……それは」
僕の懇願するような言葉に、白瀬さんの瞳が微かに揺れる。
ほんの一瞬の沈黙の後、彼女は震える言葉で僕に告げた。
「……私が、レイちゃんのことが好きだから」
「……えっ?」
――そんな当たり前の事実を再確認するような白瀬さんの発言に、僕は困惑するように声を上げた。
「……う、うん。白瀬さんがレイちゃんの事を好きなのは知ってるよ。でも、それと一体何の関係が――」
「……知らないでしょ」
「えっ……?」
「知らないでしょ……! 立花くんは、私がどれだけレイちゃんの事が好きなのか……!!」
決して大きな声では無かった。
それでも……波が砂浜を洗う音も、遠くで遊ぶレイちゃん達の声も掻き消える程に、白瀬さんの言葉は僕の耳朶へ鮮明に鳴り響いた。
「私は……レイちゃんから貰ってばっかり。居場所も。自信も。友達も。嬉しいことは全部、全部レイちゃんが与えてくれた……!」
「白瀬さん……」
「想いの強さなら、立花くんにだって絶対に負けてない! な、なのにいつも見せつけるみたいに! あ、あなたは……! 私が、それをどんな気持ちで……!」
「ち、違うよ白瀬さん。僕はそんな……っ」
……何が違うというのか。僕の言葉が途中で止まる。
誰かを傷つける意思が無かったとしても、自分の幸福に目が眩んで周囲の――友人の変化に気付けなかったことは、本当に何の罪も無いのだろうか。
「私はレイちゃんのためなら何でもしてあげるのに……彼女は私に何も求めてくれなくて、彼女の一番は立花くんでっ! わ、私は彼女の何なの? ただ与えられるだけの関係なんて、そんなのペットか何かじゃない」
白瀬さんの祈るように組んでいる手が震えている。
彼女の静かな慟哭に、僕は声を発することも出来なかった。
「でも、立花くんは良い人で。今日だって私の事を助けてくれて。嫌う理由が見つけられなくて! な、なのに、レイちゃんの事を考えると、誰かに頭の中身を操られてるみたいに立花くんのことが憎くて、憎くなって……! 私、もうどうにかなりそう……!」
「白瀬さん! 落ち着いて……!」
僕は白瀬さんの尋常ではない様子に怯みそうになったが、彼女の指先が血で滲みそうな程に力が籠もっているのを見ると、慌てて彼女の腕を取ってその自傷行為を押さえ込んだ。
「立花くん、私は……私は、あなたが……レイちゃんが……っ!」
「……白瀬さん」
「………………」
「……ごめん。レイちゃんと別れることは出来ない。少なくとも、僕からは言えない」
……たとえ白瀬さんの願いでも、それだけは許容出来なかった。
僕の言葉に、白瀬さんが瞳を大きく見開く。
「……そう。そうだよね……」
それでも、彼女は涙だけは流さなかった。
疲れたような笑顔を作り、震える唇から言葉が紡がれる。
「……立花くんなら、そう言うと思ってた」
「白瀬さん……」
「……嫌なこと、沢山言ってごめんなさい。立花くんは何も悪くないのに」
「ううん、そんなこと……」
「……立花くん。本当に勝手なんだけど、一つだけお願い」
……僕は沈黙で、白瀬さんに続きを促した。
「今日のこと、忘れてください。私も立花くんとレイちゃんのことは、もう何も言わないから……」
「それは……」
「……レイちゃんに心配をかけたくないの。私も普通に振る舞うようにするから。お願い、します……」
「白瀬さん……」
深々と頭を下げる彼女に、僕は何も言えなかった。
「……ごめん」
何に対しての謝罪なのだろうか。
「本当に、ごめん……」
自分自身すら理解していない酷く不誠実な言葉が、僕と白瀬さんの間に虚しく横たわっていた。
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