107.トライアングラー
カーテンが開く音と
「んん……くぁ、もう朝――」
「おはよ、チーちゃん」
「………………はぁっ!? え、な、レ、レイッ!?」
ベッドに腰掛けて此方を見下ろしてくる少女――
「おま、なんで……!」
「あはは、まだ寝ぼけてる? チーちゃんは昨日、地元からこっちに引っ越して来たんだよ?」
「いや、そうじゃなくて……! 朝っぱらから許可なく人の部屋に入ってきてんじゃ――」
「冷たいなあ。従姉弟なんだからモーニングコールぐらいしてもいいじゃない」
暖簾に腕押し。糠に釘。
クスクスと笑う少女に何を言っても無駄だと察したチヒロは、溜息を一つ吐くと手を振って少女を追い払おうとする。
「はぁ……とりあえず、着替えっから出てけ」
「手伝おっか?」
「俺は幼児か。はよ行け」
「はーい。朝ごはん出来てるから、準備出来たら降りてきてね?」
少女を追い出すと、部屋の中で寝巻きを着替えながら、チヒロは独り言ちた。
「……相変わらず、男として相手にされてねーというかなんというか……い、いや、少なくとも嫌われてはいないんだ。ひとつ屋根の下で暮らすんだし、距離ならこれから詰めてけばいいんだよ。うん」
そんな風に現状確認を済ませたチヒロはリビングへと向かうと、キッチンに立っていたレイコの母親へと声をかけた。
「おはようございます、おばさん」
「おはよう、チヒロくん。朝ごはん用意出来てるわよ~」
その言葉に、チヒロはテーブルへと視線を向ける。
だし巻き卵に焼き鮭、ひじきの煮物に味噌汁と、絵に描いたような朝食メニューにチヒロは思わず声を上げる。
「うおっ、すげ……」
「うふふ。実は
「え?」
「あの子ったら、チヒロくんに美味しい朝ごはん食べさせるんだ~って張り切っちゃってね」
「あーっ! お母さん、バラさないでよっ! チーちゃんが食べてから教えたかったのに!」
サプライズの失敗に憤りつつも、レイコは茶碗にツヤツヤの白米を盛り付けると、チヒロの前に差し出した。
「はい、どーぞ」
「お、おう。サンキュー」
礼を告げつつ、チヒロは喜び半分緊張半分で憧れの少女の手料理を口に運んだ。
「――うまっ」
「ほんとっ?」
「あ、ああ。マジで美味いよ。お世辞抜きに」
「やったー!」
キラキラとした瞳でこちらを覗き込んでくる少女に、動揺を隠しつつチヒロは応える。
「いーっぱい食べてね! おかわりもあるから!」
「お、おう。ありが――」
「沢山食べて身長伸ばさないとねっ」
「うぐっ」
唐突に抉ってきた少女の言葉に、チヒロは思わず呻く。
そう、少年の身長は現在160cm(mm単位切り上げ)。
一般的な中学三年生男子の平均身長よりも小柄な彼は、未だにレイコの身長に追いついていないのであった。
「お、お前、人が気にしていることを……」
「ちなみに私は162cmでーす」
「がーっ! 2cm差とか誤差だ誤差! ぜってー今年中に追い抜いてやるっ!」
レイコの煽るような言葉に、チヒロは気炎を揚げながら朝食をかき込んでいく。
その様子をレイコはニコニコと楽しそうに見守っていると、少年が落ち着いたタイミングで声をかけた。
「チーちゃん、ごはん食べたら今日はお出かけしよっか」
「お出かけ?」
「家の周りのお店とか案内したいし、学校までのルートだって確認しておいた方がいいでしょ?」
「あー……それもそうか。んじゃ、休みの日に悪いけど頼めるか?」
「もちろん。まっかせて!」
平静を装いつつも、憧れの少女との街歩きの機会に、チヒロの心は浮足立つのであった。
***
という訳でチーちゃんとお出かけである。
こんにちは、
「あっ、この公園覚えてる? チーちゃんがまだ小さかった頃に、ここで一緒に遊んだよね」
「あー……なんとなく覚えてるような……」
私に微笑みかけられて、ふいと視線を逸らすチーちゃんの愛らしさに、私はベロリと舌なめずりをした。
思いがけず『金の雛鳥』か……
当初はNTRルートに加える予定の無かったチーちゃんという思わぬ拾い物に、私はご満悦だった。
おまけに同居という美味しすぎるシチュの確保にまで成功してしまったのだから、笑いが止まらないというものである。ゼハハハハ。
まあ、この状況を成立させるために裏で私が暗躍してるんだがな。私のパパママとチーちゃんのご両親にそれとなーく情報を流しつつ、印象操作と話術でコツコツと地道に洗脳していったという寸法よ。
私は清廉潔白なナローシュ聖女の如き女なので、嘘をつかずに他人を騙すことなど朝飯前なのだ。
「あはは! ブランコって久しぶりにすると結構怖いかも!」
「あんまはしゃぐなよ。恥ずかしい奴だな」
「えー、チーちゃんもやろうよ~。昔はブランコ大好きだったじゃない」
「何年前の話してんだよ……そろそろ次行こうぜ。商店街案内してくれんじゃないのかよ」
「はーい。よっと」
チーちゃんの言葉に、私はブランコからぴょんと飛び降りる。
「わっ、ととっ」
「――!? バカ、あぶねえっ!」
着地時にバランスを崩した()私の体を、チーちゃんが咄嗟にガッと掴んで受け止める。
「大丈夫か、レイ!?」
「う、うん。ありがとう、チーちゃん」
私の返事にチーちゃんは安堵のため息を吐くと、呆れたような表情で私のデコにチョップした。
「あたっ」
「お前もう高校生だろ? ちったぁ落ち着きってやつを持てよな」
「あはは、ごめんなさーい」
私がにっこり笑うと、チーちゃんは首を痛めたみたいなイケメンポーズでそれ以上何も言えなくなってしまった。
「それにしても、チーちゃん何だか逞しくなったね~」
「ん、そうか?」
「そうだよ。今まで気づかなかったけど体つきもガッシリしてるし、受け止められた時に"男の子"って感じでちょっとドキッとしちゃった」
「んぉ、お、おう、そか」
私の言葉に、チーちゃんが視線をあらぬ方向に逸らして曖昧な返事をする。うーん楽しい。
「あとは身長がもうちょっと伸びれば完璧だね! そしたら女の子からモテモテだよ!」
「お前、次に身長いじりしたら流石にキレるぞ。つーか俺より2cmでかいぐらいでマウント取ってんじゃねえよ!」
「ふふ、私は今のチーちゃんも可愛くて好きだけどな~」
「はあ!? お、男が可愛いとか言われても嬉しくねえっての!」
「あはは、ごめんごめん。商店街で何かご馳走してあげるから機嫌直して?」
そんな軽口を交えながら、私とチーちゃんは歩みを進める。
書店にCDショップ、ゲームセンターに喫茶店に野良猫の溜まり場まで。
あちこちに寄り道しながら、私達は楽しい時間を過ごした。
「ここのたこせん、安くてめちゃウマなの! 奢ってあげるから一緒に食べよっ」
「ふーん、レイのおすすめは?」
「チーズか明太マヨかなー」
ああ、平和な光景だ。のんびりとして、穏やかで。
「うまっ。これで100円は確かに安いな」
「でしょー。たまに買い食いとかしてるんだよねー」
ジャンクフードに舌鼓を打ちながら、私とチーちゃんが微笑み合う。
なんてことのない少し退屈で、幸せな日常。
……しかし、この平穏は決して絶対的なものではない。
世界には私如きでは及びもつかないような、ただひたすらに他人の絶望と破滅を望む吐き気を催す邪悪が息を潜めていることを私は知っているからだ。
まあ、私はその邪悪を直接見たこともなければ、話したこともないし、なんなら誰からもそんな存在ついては一切聞かされていないのだが、世の中にありえないなんてことはありえないからな。私程度が令和最新版最強邪悪ランキングNo.1なんてことは無いだろう。絶対に私より上のカスは居るに違いないのだ。
残忍にして狡猾! 自分の目的のためならば、何の罪もない人間を平然と不幸に陥れる真の邪悪が!!
私は守護ってみせる。この美しい世界と愛すべき人たちを。私は決意を新たにした。
「――レイちゃん?」
「あっ、ユウくん!」
「……えっ?」
おっと、もうそんな時間か。
私はユウくんの行動パターンをほぼ正確に把握している。この辺で時間潰してりゃ~会えると思ってたよ。
唖然としているチーちゃんを尻目に、私は角から歩いてきたユウくんに輝くような笑顔で手を振った。
「こんにちは、ユウくん! ユウくんもお散歩中?」
「えっと、僕はちょっと買うものが有って……その、隣の男の子は? 随分、レイちゃんと仲が良いみたいだけど……」
ユウくんの問いかけに、私はチーちゃんの肩に手を置いて紹介した。
「この子は
「あ、ああ……前に話してたあの――」
「高校受験の関係で、これから一年間一緒に暮らすことになったの!」
「え゛っ???」
同棲宣言に硬直したユウくんを尻目に、私はくるりと反転すると今度はチーちゃんに向かってユウくんのことを紹介する。
「チーちゃん、この人は
「ゔぉあ???」
固まったユウくんとチーちゃんの姿を見て、私はとても清々しい気分になった。
他人の幸せを踏みにじるこの瞬間は何度味わってもたまらない。まるで世界の解像度が上がったような気すらするぜぇ~~。
絶ッ望ゥ~~の声を聴かせろヲヲヲヲ~~!!
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