105.UNTRUST


 何事もはじめが肝心。

 緊張を解すように、軽く呼吸をしてから俺――山茶花さんざか 千尋ちひろは笑顔を作って挨拶した。


「今日からお世話になります。山茶花さんざか 千尋ちひろです」

「ようこそチーちゃん! 音虎家へ~!」


 そう言って、一際俺を強く歓迎してくれたのは従姉弟の少女――音虎ねとら 玲子れいこだった。


「チーちゃんがウチに来るのって何年ぶりだっけ、お母さん?」

「たしか6年ぶりだったかしら? チヒロくんもすっかり大きくなったわねぇ、パパ?」

「チヒロくんも受験の準備とかで色々と大変かもしれないが、何か困ったことが有ればいつでも頼ってくれて構わないよ」

「ありがとうございます。おじさん、おばさん」


 事の起こりは、俺が進学先に御影学園を選んだことから始まった。

 中学入学早々に、高校受験に向けて本腰で取り組んでいた俺の姿を見た両親が、環境に慣れる為にも中学三年の一年間は向こうで過ごしてみてはどうだろうか、と提案したことが始まりである。


 そんな中、俺の居候先として立候補してくれたのが、この音虎家だったのだ。

 両家の親戚付き合いが良好であったとはいえ、それでも育ち盛りの男一人を住まわせる事を決めるのは簡単なことでは無かったと思うのだが……聞いた話では、レイの奴が強く両親を説得してくれたらしい。

 本当にお人好しというかなんというか……あとで、ちゃんと礼を言っておかないとな。


 その結果、俺はこうして音虎家でとりあえず春までの一年間を一緒に暮らすことになったのだった。


「2階にチーちゃんのお部屋用意してあるよ! ほら、行こ行こっ」

「お、おいっ! 挨拶もまだ途中なのに……」


 ぐいぐいと俺の腕を引っ張ってくるレイの姿に、おじさんとおばさんが微笑みを浮かべる。


「そんなに気を遣わないでいいよ。チヒロくんの事は赤ん坊の頃から知っている訳だし」

「そうそう。レイも、チヒロくんの荷解きを手伝ってあげなさいね」

「はーい」


 そうしてリビングから2階へ案内された俺は、いくつかのダンボールが置かれただけの空き部屋へと足を踏み入れた。


「それにしても凄いよね~。中学もこっちの学校に転校してきちゃったんでしょ?」

「ん、まあ迷わなかった訳じゃねえけど……」


 向こうに友達だって居たし、家族と離れるのも何だかんだで寂しくない訳ではない。

 それでも、諦めたくない気持ちがあったから。

 俺は――


「私ね、ずっと楽しみにしてたんだよ?」

「ん、何がだ?」


 上の空で私物を整理していた俺の顔を、レイが覗き込んできた。


「大好きなチーちゃんと、これから一緒の家で暮らせるんだもん。昨日なんかワクワクして眠れなかったんだから」

「んぉ、お、おう。そ、そうか」


 やっぱりこいつ俺の事好きだろっ!? 

 思わず色々と暴走しそうになる己を沈める為に、私物のハンドグリップをガチャガチャと動かして煩悩を紛らわせる。

 落ち着け俺。これから一年間一つ屋根の下で共同生活をするのだ。

 迂闊な行動で気まずい関係になってしまったら、マジで目も当てられない。実家に送り返されるようなことになれば、両親に合わせる顔すら無くなってしまう。


 その後、何とか平常心を取り戻した俺とレイで荷解きを終えると、時刻は既に夕食時。

 歓迎会ということで、おばさんの手料理や出前の寿司等をご馳走になった後、新しい自室で人心地ついていると、ノックの音がドアから響いた。


「チーちゃん、入っていい?」

「ん、開いてるよ」

「お邪魔しまーす。今日は長距離移動で疲れたでしょ? お風呂お先にどーぞ」

「あー……いや、居候が一番風呂ってなんかなぁ……」


 俺がそんなことを言うと、レイはコロコロと笑った。


「変なこと言わないの。これから一年間一緒に暮らすんだから、今からそんなに気を回してたら疲れちゃうよ?」

「……まあ、それもそうか。そんじゃ、お言葉に甘えようかな」

「それとも――」


 次の瞬間、レイの笑顔が純真無垢なものから、艶を帯びた妖艶な笑みに変わる。


「一人だけ一番に入るのが気になるなら、私と一緒に入る? ウチのお風呂、おっきいから」

「………………」




 俺は無言でバカの額にデコピンをかました。


「あいたっ」

「アホなこと言ってんじゃねーよ。アホ」

「むぅ、スカしちゃって可愛くなーい。昔のチーちゃんはこういう事するとアタフタしてくれて楽しかったのに」

「レイのやる事はワンパターンなんだよ。毎年同じようなネタ振られてたら流石に慣れるわ」

「ちぇー」


 不満顔で頬をふくらませるレイを尻目に、俺はバスルームへと向かう。

 服を脱ぎ、シャワーで身体を洗い、湯船に入ってから一つ深呼吸。




 エッッッッロォ!! 


 湯船に顔を突っ込んでから俺は叫んだ。

 本当になんなのアイツ!? 

 いい歳した従姉弟の距離感じゃねえだろ! いい加減にしないとマジで押し倒すぞ!? 


「いやいや待て待て冷静になれ俺……それだけレイに信頼されているってことだろ。それなのに俺がレイをエロい目で見てどうするんだ……」


 湯気を揺らしながらブツブツと呟いていると、外で扉が開く音がした。


「チーちゃん、ちょっと入るねー」

「ごぶっ!? レ、レイ!?」


 浴室のすりガラス越しにレイのシルエットが浮かび上がる。

 ま、まさか本気で一緒にお風呂に……!? 


「ごめんね、タオルの場所教えてなかったよね?」

「へ、タオル?」

「洗面所の下に入ってるから。一応バスタオル置いとくけど、足りなかったらそこから出してね」

「お、おう……」

「それじゃ、ごゆっくり~」


 ……そんな簡単なやり取りの後、特に何事もなくレイは外へと出ていった。

 気の抜けた俺は、そのまま湯船に頭まで沈んでいく。


 こ、これが約一年も続くのか? 色々と耐えられるのか俺? 

 こんなの絶対に青少年の育成によくないって……

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