99.玉折―壱―
「ハルちゃんも来年は中学生かー」
「はい! レイコさんと同じセーラー服、実は結構憧れてたので、着るのが楽しみです!」
「ハルちゃん絶対似合うよ~。今度写真送ってねっ」
きゃいきゃいと楽しそうに
『ユウキさんのこと、レイコさんのことも。本当に大事に想っているなら、ちゃんと言わなきゃいけないことってあるんだからっ』
……ハルカの言葉が頭から離れない。
ずっと胸に秘めていたレイへの恋心。ユウキへの友情と――嫉妬。
これから先もずっと、そんなものを抱えて二人と向き合っていくのか?
「……本当に大事に想っているなら……」
レイとユウキと、これからも親友でいるのなら……俺は、自分の心と正面から向き合うべきなのだろうか。
それが、これまでの関係を崩壊させることだとしても――
「――にぃ? ……おにぃっ!」
「……ん? なんだよ、ハルカ」
思考の泥沼に沈んでいた意識が、妹の声によって引っ張り上げられる。
俺の気の抜けた返事に、妹は溜息を吐く。
「はぁ、受験終わったからって気が抜けすぎ。……私、ちょっと友達に呼ばれちゃったから、今から出ないといけないの」
「……お前、それは――」
妹の要らぬお節介だと気づいた俺は視線を険しくするが、ハルカはどこ吹く風である。
「だから、おにぃはレイコさんのこと、ちゃんと家まで送ってあげてね。レイコさん、ごめんなさい。私から誘ったのに……」
「あはは、別にいいよ。こっちこそ、お祝いのプレゼントありがとう。大事にするからね」
そう言って、レイはハルカからプレゼントされたパスケースを掲げた。
高校は電車通学になるとレイから聞いていたらしい妹が、貯金していたお年玉で購入したらしい。
別に誰かに呼ばれてなどいないだろうに、スマホ片手に小芝居をしながら家を出ていく妹を白い目で見送った俺は、頬を掻きながらレイに向き直る。
「あ~……どうする? 帰るなら送ってくけど」
口にしてから、自分が妹の厚意を全力で無下にしていることに気づいたが、覆水は盆に返らない。
意中の女子と二人きりだというのに、我ながら無害な男が板についてしまったものだと自嘲してしまう。
――だが、そんな俺の言葉に対するレイの返事は、予想とは違ったものだった。
「ん~……フユキくんが良ければ、少しお喋りしない?」
「へ? ……まあ、俺は別に構わないけど」
「ありがと。最近、みんな忙しそうだったから、友達とゆっくり話す機会も無くて寂しかったんだぁ」
照れくさそうに微笑みながら、そんなことを話す彼女の姿に、俺は胸が締め付けられるような心地になる。
――ユウキも、他の皆もいない。
レイと二人きりの時間なんて、いつ以来だろうか?
「試験が終わったら、みんなで卒業旅行とか行きたいなぁ」
「うーん、急だしシーズン的にちょっと厳しくないか?」
「え~……じゃあ、遊園地とか!」
「まあ、何にしてもユウキ達の試験結果次第だろ。大丈夫だとは思うけどな」
そんな他愛のない雑談に、コロコロと表情を変えるレイに愛おしさを感じていたのも束の間。興が乗ったのか、レイの話が何やらおかしな方向へと転がりだした。
「……ねぇ、フユキくん。私って、そんなに魅力無いかなぁ……」
「はぁ? いきなり何の話だよ」
唐突なレイの発言に俺が胡乱な目を向けると、レイは悲しむような怒っているような複雑な表情を浮かべる。
「フユキくんだから言うけど、私ってユウくんの事が好きでしょ?」
「……ああ、まあな。長い付き合いだし、見てりゃ分かるけど」
「私、これでも結構ユウくんにアピールしてるつもりなんだけど、ユウくんってば全っっっ然そういう素振りを見せてくれないのっ!」
「おいおい、なんの愚痴なんだよ。勘弁してくれって」
……冗談めかして俺は茶化すが、その言葉は嘘偽り無く本心であった。
惚れた女が、他の男への恋慕を語る姿を見たい男など何処に居るというのか。
「いいじゃない、親友の愚痴ぐらい聞いてよぉ。フユキくん以外にこんなこと話せないもん」
「……そりゃ光栄なことで」
「これだけユウくんにアタックしてるのに、全く相手にしてくれないというか、何だか困ってるみたいな顔して躱されちゃうと、流石に自信無くすよぉ……」
……レイが潤んだ瞳で俺を見つめる。
俺は、そんな彼女を抱きしめたい衝動を抑えつつ、彼女を慰める。
「あー……その、なんだ。レイは可愛いよ。俺の目から見ても、凄く魅力的な女の子だ。お世辞とかじゃなくて、本気でそう思ってる。……だから自信持てって」
「フユキくん……ふふ、ありがと。少し元気出たかも」
「……そりゃ良かったよ。クサい台詞言った甲斐もある」
力なく笑うレイの姿に、俺は胸の内で小さな怒りを覚えた。
彼女からこんなにも愛されているというのに、こうして彼女を悲しませているユウキの不甲斐なさに、俺は――
「私の好きな人が、フユキくんだったなら……こんなに辛い気持ちにならずに済んだのかな……」
「……っ」
その残酷な言葉に、俺は心臓を氷柱で刺されたような心地になる。
結局、俺はどこまで行っても彼女の"親友"でしかないと告げられたようで――
「……なら、俺にしろよ」
「えっ?」
俺はレイの手を掴むと、彼女を壁際に押し込んだ。
「ふ、フユキ、くん?」
「……辛いなら、もう止めちまえよ。俺なら、レイを傷つけたりしない。不安にさせたり、悲しませたりしない」
俺なら。
そうだ、ユウキじゃない。
俺なら、レイのことを――
「………………ユウくんっ」
怯える彼女が小さく呟いた言葉に、頭を強く殴られたような錯覚を覚えた。
「――ほらな」
「えっ?」
――だから、俺は逃げた。
掴んでいたレイの手をパッと離すと、悪童めいた意地の悪い笑みを意識して作る。
全ては演技だったのだと、彼女にそう思わせるように大袈裟に。
「そんだけユウキの事が好きなのに、軽々しく『他の人を好きになれば良かった』なんて言うなよ」
「……あーっ! もしかして騙したのっ!?」
「つまんねえ愚痴だか惚気を聞かされたんだ。これぐらい大目に見ろよ」
「もうっ! 私、本当に怖かったんだからねっ!」
軽く笑う俺の肩を、レイがポカポカと叩く。
心が悲鳴を上げる。
キリキリと胃が痛む。
それでも、俺はこの醜い嘘で必死に、壊れそうになった友情を塗り固めて補修する。
――そこから先の事は、よく覚えていない。
当たり障りのない雑談をいくつか交わした後に、レイを家まで送り届けた俺は虚ろな目で帰宅した。
妹が帰ってくると、自分が居なかった間のことを根掘り葉掘り問い詰めてきたが、適当にあしらうと俺は浴室へと向かう。
レバーをひねり、頭からシャワーを浴びる。
肌を叩く水流が、自己嫌悪を紛らわせてくれるかと期待したが、むしろ逆効果だった。
喝采のようなシャワーの音が、自分と外界を断絶することで、思考はより自己の内面へと向かっていく。
分かっていた筈だ。
レイの好意が自分に向いていないことを。
レイとユウキが両思いだということは、周知の事実だった筈だ。
知った上で、俺は彼女たちの親友であり続けた筈だ。
なのに、今日の俺は何だ?
劣情に身を任せて、ユウキから彼女を奪おうとした。
レイのユウキへの想いを、俺で上書きしようとした。
なんという醜悪。
理性の有る人間のすることではない。
そう、これではまるで――
「――――猿め」
魂にこびり付いた自己嫌悪が、排水溝へと流れる様子は無かった。
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