95.懐玉―弐―



「冬木ー! かましたれー!」

「玲子ちゃーん! 叩きのめしちゃえー!」


 放課後の校庭にて。

 グラウンドに設置されたサッカーゴール周辺を囲むように男子と女子が集まり、彼らの視線は俺――来島くるしま 冬木ふゆきと、目の前で苦笑している少女――音虎ねとら 玲子れいこに向けられていた。


「なんでこうなるかねー」

「ほんとにねー」


 ため息混じりに呟いた言葉に、音虎が苦笑いしながら同意する。

『サッカーの1on1で男子と女子のどちらが偉いか決める』なんて、論理の前後も左右も意味不明な勝負の代表選手に選ばれていたこともそうだが、何でこういう時だけ男女で一致団結して盛り上がれるのだろうか。


「まあ、こういうノリの良さが有るから、男女仲が悪くても学級崩壊までは行かないんだろうねー、ウチのクラス」

「神輿にされてる俺や音虎にはいい迷惑だけどな」

「まあまあ。それで、ルールは?」


 音虎の言葉に、俺は一般的な1on1ルールを多少簡略化したものを話すと、彼女はすんなりと了解した。

 ……普通、女子ってこういうの聞いてもピンと来ないと思うんだけど、音虎って結構サッカー詳しいのか? 運動は出来る方らしいけど……


「それじゃ、ボール持ってるし来島くんからお先にどーぞ」

「こういう時はレディーファーストじゃねえの? まあ、いいけど」


 音虎に促されるままに、俺は軽く身構える。

 ……さて、どうするか。

 流されてこんな状況になってしまったが、女子相手に――それもサッカー部の自分が本気を出すというのは、いくら何でもカッコ悪すぎる。

 適当にいい勝負っぽくして、引き分けのような形にするのが無難――


「気、抜きすぎ」

「――は?」


 次の瞬間、足元にキープしていた筈のボールが、音虎によってコートの外へと運ばれていた。


「フフン。来島くん、どーせ女の子だから手加減してあげようとか思ってたんでしょ?」


 軽くリフティングをしながら、音虎が端正な顔に勝ち気な笑みを作った。


「優しい男の子は好きだけど……たまには本気で遊ぼうよ。来島くん?」



 ***



「私の勝ちーっ!」

「はぁっ……はぁっ……マ、マジ、かよ……っ」


 満身創痍の体で地面に倒れ、荒い呼吸を繰り返している俺の横で、音虎が満面の笑みでこちらにピースサインを向ける。

 ……完敗だ。

 最初の一本を音虎に取られてから、俺は完全に本気で戦った。

 しかし、こちらが本気を出しても尚、音虎には全く敵わなかった。

 傍目には互角の勝負に見えていたかもしれないが、未だに立ち上がることも出来ないこちらに対して、音虎は軽く呼吸を弾ませる程度で全く消耗していないことからも、遊ばれていたのは明白である。


 ……だが。


「どう? 楽しかった?」

「ちょ……ま、待て……呼吸、整えさせろ……」


 こちらを覗き込む音虎に、俺は意地と気力で立ち上がると、深呼吸を一つする。


「……まあ、悪くはなかったよ」

「ふふ、そっか」


 ……そうだ。悪くなかった。

 自分で言うのも何だが、運動も勉強も人並み以上に出来る方だった俺は、誰かに――特に同年代の相手と何かを競い合う時は、常にどこか力をセーブしていた。

 場の空気を乱さないように。

 皆が楽しめるように。

 孤立しないように。

 傲慢ではあったが、それは思いやりのつもりでもあった。

 だから、こんな風に全力でぶつかって受け止めてくれる相手は、本当に久しぶりで――


「玲子ちゃんすごーい!」

「やっぱり音虎さんなんだよなぁ!」


 そんな感傷に耽っていると、音虎はクラスの女子達に囲まれて揉みくちゃにされていた。

 一方、俺の方にも心配そうな顔をした男子達が集まってくる。


「来島、大丈夫か?」

「ん、ああ……悪いな。負けちまったわ」

「いや、あれは仕方ないって。音虎の奴、運動出来るとは聞いてたけど、アレは化け物だわ」

「あいつボール蹴る時に地面が抉れてたもんな……人間じゃねえよ」


 男子達がそんな風に俺を慰めていると、女子達が勝ち誇った表情でこちらへとやって来た。


「フフン、これで分かったでしょ! 4-Aは男子よりも女子の方が偉いってことが――」

「いやいや、そうはならないでしょ」

「ちょ、玲子ちゃんっ!?」


 高らかに勝利宣言をする女子を遮って、音虎が困ったような笑顔で割って入る。


「そもそも私は女子の代表になったつもりないし、来島くんだって流れでこうなっただけで、別に男子の代表ってつもりじゃないでしょ?」

「ん、ああ、まあそうだな」

「だから――」


 そこで音虎はパンと手を叩いてから、にっこりと花が咲いたような微笑みを作った。


「どうしてもそういう事を決めたいって言うなら男子と女子、みーんなで遊んで決めないと、ね?」



 ***



 そして、俺と音虎の決闘(?)から数週間後。

 音虎が言った通りというか、彼女がそうなるように誘導したのか。あの出来事を切っ掛けに、俺たちのクラスの男女仲は見違えるように改善していった。


『元々兆しは有ったからねー。女子の方も男子と仲良くしたいけど素直になれないって感じの子が多かったし、私はちょっと皆の背中を押しただけだよ』


 とは音虎の談である。

 何だか最初から最後まで彼女の掌の上だったような錯覚すら感じそうな先読みである。今後、彼女を怒らせるようなことは控えようと俺は決心するのだった。

 それから、変わったことがもう一つ。


「はい、今日も私の勝ち~」

「だあっ、勝てねえーっ!」


 放課後、音虎とのスポーツ対決が俺の日課に加わったのだ。

 競う種目は様々だが、今日はバスケットボールである。

 ……ちなみにあらゆるスポーツで俺は音虎に対して連敗記録を更新している。

 だが、正直気分は悪くない。

 本気の自分を受け止めてもらえるというのは、思った以上に俺の心を晴れやかにしてくれていた。

 病弱な妹のことや、それに付随する両親への遠慮や気遣いといった心のモヤモヤを、音虎とのひと時が忘れさせてくれた。


 ……だから、気がつけば俺は音虎に対して、単なる友人以上の想いを――


「――レ、レイちゃん。お疲れ様」

「あっ! ユウくん!」


 音虎の隣に、小太りの気弱そうな男子がやって来た。

 音虎の幼馴染であり、彼女と親しくなってからは、一緒に遊ぶこともある彼の名前は――


「よっ、ユウキ」

「う、うん。こんにちは、フユキくん」


 こちらが軽く手を上げて挨拶すると、少年――立花たちばな 結城ゆうきは柔和な顔立ちに笑顔を浮かべた。


「はい、レイちゃん」

「わっ、タオルだ。ユウくんありがと~っ」


 言葉とは裏腹に、差し出されたタオルを無視して音虎がユウキに抱きつく。


「あわわっ! レ、レイちゃんっ! い、いきなり抱きつくのは止めてって、いつも言ってるのに……」

「そんな寂しいこと言わないでよぉ。幼馴染なんだからこれぐらいふつーふつー」


 ぐりぐりとユウキの頭を撫でる音虎に、俺は軽くチョップを入れた。


「あいたっ」

「そんぐらいにしとけよ。ユウキが嫌がってるだろ」

「い、嫌がってないもんっ! ユウくん、私とくっつくの嫌じゃないよねっ!?」


 俺の言葉に、音虎が顔を青くしてユウキに詰め寄った。


「え、えっと……嫌というか、その、恥ずかしいから人目の有るところでは、ちょっと……」

「カヒュッ」

「あわわっ! レ、レイちゃんの顔色が凄いことに!? お、落ち着いてレイちゃん! 別にレイちゃんが、その、嫌ってことじゃないからっ!」

「……本当に? ユウくん、私のこと嫌いじゃない? 私のこと、好き?」


 ユウキの言葉に、瞳を潤ませたレイが問いかけた。


「すっ……!? そ、それは、その……」

「うわーん! 言葉に詰まってるっ! やっぱり私がベタベタ引っ付いてくるの、実は嫌だったんだーっ!」

「えええっ!? そ、そんなこと無いよ! ぼ、僕は……レイちゃんのこと、す――」


 ……ユウキの言葉が終わる前に、俺はレイの頭を軽く小突いた。


「あいたっ」

「騙されんなよユウキ。普通に嘘泣きだぞコイツ」

「ちぇ、あとちょっとだったのにぃ」


 けろりと表情を変えた音虎の姿に、ユウキは珍しく怒ったように眉を吊り上げた。


「ひ、ひどいよレイちゃん! 僕、レイちゃんが本当に泣いてるのかと思って――」

「あはは、ごめんごめん。怒らないでよ~」


 音虎が笑いながらユウキの頭を優しく撫でる。

 その視線はどこまでも優しくて、少年に触れる指先は、まるで大切な宝物を扱うように丁寧で――


「……ユウキはもうちょい人を疑った方がいいな。まあ、そういう所がお前の良い所なのかもだけど」

「ちょっと! ユウくんに変なこと吹き込まないで。ユウくんは今のままでいいのっ」

「そうは言うがな音虎。あんまりお人好しなのも大概に……」

「大丈夫、なんとかなるって。ユウくんには私がいてるんだもの」


 恥ずかしがるユウキに抱きついたレイが、太陽のように輝く笑顔で俺に告げる。


「私達は――最強なんだ」


 ――そんな音虎とユウキを見ている俺の喉に、黒く苦い何かが流れ込むような錯覚を感じた。

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