75.好き好き大好き


 夕暮れ時、住宅街の一角。

 音虎家の入口に立つ一人の少年――立花たちばな 結城ゆうきが、玄関の呼び鈴を鳴らした。

 程なくして、開いた扉に向かってユウキは柔和な笑みを浮かべる。


「こんばんは、おばさん」

「いらっしゃい、ユウキくん。さっ、上がってちょうだい」


 レイコの母に促されて、ユウキは宅内へと足を踏み入れる。


「すみません。いつもお世話になってしまって……」

「あらあら、そんな気を遣わなくていいのよ? ユウキくんのご家族とは、もう長い付き合いになるんだし。私もユウキくんのことは息子の様に思っているんだから」


 立花家は両親が共働きということもあり、彼の母親の帰りが遅くなる時は、ユウキは偶に音虎家で夕食をご馳走になる事があるのだ。


「なんなら、本当に義息むすこになってくれてもいいのだけど?」

「お、おばさんっ!? ぼ、僕とレイちゃんは、そういうのじゃ――」


 そこまで口にして、ユウキの頭に先日の光景が蘇る。

 校庭の片隅で抱き合うレイコと親友フユキの姿。

 その残像に、ユウキは心に暗く重い何かが満ちていく心地になった。


「僕、は……」

「ユウくんっ! いらっしゃい!」


 自らの内側が昏い色に染まり切る前に、明るい声がそれを掻き消す。

 リビングの方からやって来たレイコが、花が咲いたような笑顔を浮かべながら、ユウキの手を掴んでグイグイと引っ張る。


「今晩はカレーだよ! 私もお母さんと一緒に作るの手伝ったんだー。たくさん食べてね、ユウくんっ」

「う、うん。ハハ……た、楽しみだな……」


 一欠片の闇も穢れも感じさせないレイコの笑顔と体温を感じて、ユウキは自分の醜い心が表に出ないように押し隠す。

 そうだ。彼女に悟られてはいけない。この薄暗く、歪んだ想いは。


 レイちゃんは僕のものだ。

 他の誰かに取られるぐらいなら、いっそ無理やり――


「ユウくん?」

「……あっ、な、なに? レイちゃん?」

「えっと、どこか具合でも悪い? 何だか怖い顔してたから……」


 レイコの言葉にユウキは慌てて首を横に振ると、空元気を絞り出す。


「ううん、何でも無いよ。……その、お腹ペコペコだったから、少し暗い顔をしちゃってたかな?」

「……そっか! それじゃあ、早くごはんにしよっ」

「うん。でも、その前に手を洗ってくるから。少し待っててくれるかな」


 ユウキはそう言うと、洗面所に入る。

 鏡に映る自分の目は、どこか生気の無い灯りの消えた瞳のように思えた。



 ***



「えっ! ユウくんも御影学園に行くの!?」


 食事を終えて、レイコとユウキは並んで食器を洗っていた。

 一緒に食事をした時は、子供たちで後片付けをするというのが、幼い頃からの慣例となっているからである。

 まあ、もっとも最近では、両想いに思えるお互いの子供たちの距離を近づけたいという、大人たちの下世話なお節介も多分に含まれている都合ではあるのだが。

 汚れを落とした食器を拭きながら、ユウキはレイコの言葉に応える。


「うん。まあ、今の学力だと少し難しいかもしれないけど……頑張ってみようかなって」

「そっかぁ~……もし、そうなったら高校でもユウくんと一緒に過ごせるね! 私、応援するから! 困った事があったら何でも言ってね!」

「はは、ありがとう。白瀬さんも御影を希望してるって聞いたし、また今のみんなと同じ学校に通えるなら、僕も嬉しいよ」


 一通りの食器を洗い終えたユウキがエプロンを外しながら、何気ない風にレイコに問いかけた。


「……そういえば、白瀬さんの進路相談の日。レイちゃん、体育の後に教室に戻ってくるのが随分遅かったよね?」

「え? ……あぁ、うん。ちょっと、ね。色々あって……」


 歯切れの悪い様子のレイコに、ユウキは微笑みを崩さずに口を開く。


「……体育倉庫の前で、フユキくんと一緒に居たみたいだけど」


 その言葉に、レイコの肩がビクッと震えたように見えた。


「あー……その、実はあの時、体育倉庫に閉じ込められちゃって。たまたま近くに居たフユキくんに助けてもらったの」

「そっか。……ねえ、レイちゃん。どうして、僕にその事を秘密にしてたの?」

「えっ? 秘密?」


 ユウキは微笑みを顔に貼り付けたまま、レイコの肩を掴んだ。


「何か、僕に言えない理由でもあった? レイちゃん、フユキくんと何かあったの?」

「ええっ!? ち、違うよ! その、ユウくんに余計な心配をかけたくなくて、私……!」


 目に見えて慌てふためくレイコを見て、ユウキは彼女自身には何もやましい事が無いのを確信する。

 ユウキ自身が、後ろめたい気持ちや迷う心を抱え込みやすい気質であるが故に、他人のそういった仕草には人一倍敏感であったからだ。

 レイコから、そういった迷いや罪悪感といった暗い気配が一切感じられなかったユウキは、人知れず胸を撫で下ろした。


「……ごめん。問い詰めるような言い方しちゃって」

「え?」

「確かに、僕がさっきの話を聞いてたら、要らない心配をしちゃってたかもだよね。レイちゃんとフユキくんには気を遣わせちゃったね」

「う、ううん。私の方こそ、変に隠してたせいで、ユウくんを逆に不安にさせちゃってたよね。ごめんね……」


 しゅんと項垂れるレイコの頭を、ユウキは軽く撫でる。


「そんな悲しそうな顔をしないで。レイちゃんもフユキくんも、僕のために秘密にしていただけなんだから」

「ユウくん……」



「……でも、それって僕が頼りないから、だよね」


 ユウキの言葉に、レイコはハッとしたように顔を上げた。


「だからこそ、余計にレイちゃんのことが心配だよ。僕のために、何か辛いことが有っても隠してしまうんじゃないかって」

「ユ、ユウくん?」

「レイちゃん。僕はもう、君の後ろに隠れてなきゃ何も出来ない子供じゃないよ。何かあれば君を守ってあげられるし、君のためなら何だってする覚悟もある」


 少女の艷やかな黒髪を撫でていた手が、柔らかな頬へと動く。


「だけど、レイちゃんは優しいから。僕がこう言っても、きっと何かあれば自分よりも僕のことを優先しちゃうよね。それなら、いっその事――」


 ユウキはあくまで平静に、微笑みを崩さずに続けた。


「レイちゃんが危ない目に遭わないように――僕の隣から離れられない逃げ出さないように、君を縛ってしまえばいいのかなって」


 少年の歪んだ想いは、もはや止められなかった。

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