74.せっかくなので誰か来るまで待ってみた


「――ん?」


 体育の授業後、トイレから教室に戻ってきた俺――来島くるしま 冬木ふゆきは、所在なさげにキョロキョロと視線を彷徨わせるユウキの背中に声をかけた。


「どうした、ユウキ?」

「あっ、フユキくん……その、レイちゃん見なかった?」

「レイ? いや、見てないけど。まだ戻ってないのか?」


 ユウキは俺の言葉に頷くと、レイの机に放置されているカバンを見て、困ったような表情を浮かべた。


「白瀬なら知ってるんじゃないのか?」

「白瀬さんは先生と進路相談中。僕が戻ってきた時には、もう席を外してて……」


 不安そうな表情を隠せないユウキに、自販機からパックジュースを買ってきた光一が、呆れた様子でユウキの頭を軽く小突いた。


「普通にトイレとかかもだろ。立花は心配しすぎなんだよ」

「う、うん……いや、でも、それにしたって……」

「……まあ、もう少しだけ待ってみて、それでも戻ってこないようなら一緒に探してやるから。これでも飲んで落ち着けよ」


 神田はそう言うと、手にしたパックジュースの一つをユウキに押し付けた。


「……うん。ありがとう、神田くん」

「光一~、フユキのはぇの?」

「知るか。テメェで買え」


 俺と光一の軽口に、ユウキは少し落ち着いたのか口元を緩めた。


「んじゃ、フユキもちょっと飲み物買ってくるわ」

「おう」

「うん、いってらっしゃい」


 ユウキと光一の返事を背中に受けて、俺は教室を後にする。

 渡り廊下に設置された自販機前で、俺は財布を取り出そうとして――その動きを止めた。


「……まさか、な」


 ふと、窓ガラス越しに視界に入ったグラウンドの一角――体育倉庫を見て、妙な胸騒ぎを感じた俺は、そちらへと向かって駆け出した。



 ***



「はぁっ、はぁっ……まさか、そんな漫画みてえな話は無いとは思うが……」


 駆け足で僅かに弾む息を抑えて、俺はグラウンドの片隅、体育倉庫の前へと辿り着いた。


「鍵は、掛かってないけど――んぎっ!? 硬っ! なんだこりゃ!?」


 施錠はされていない筈なのに、全く動く様子の無い扉に俺が驚愕していると、倉庫の内側からくぐもった声が聞こえた。


「――あ、あのっ! そこに誰か居ますかっ! 扉が開かなくなっちゃって……」

「レイっ!? まさかとは思ったけど、マジで居たのか……」

「フユキくん!? よ、良かったぁ。私、閉じ込められちゃって……その、助けて欲しいんだけど」

「ああ、ちょっと待ってろ! ぐぬぬっ……! クソっ、どういう建付けしてんだ!?」


 腕力にはそれなりに自信があるつもりだったが、それでも目の前の扉に関しては、自分一人でどうにか出来そうな様子では無かった。

 少し悔しいが、誰か人を呼んできて――


「…………ぐすっ」

「――ッ!!」


 微かに聞こえた、洟をすするような音。

 目の前で惚れた女が泣いている。

 それだけで、俺の頭は真っ白になった。


「こんのぉ……っ! 開けよぉぉッ!!」


 頭の血管が何本か切れたのでは無いかと思うような気合と力を籠める。

 すると次の瞬間、まるで扉を押さえていた何か・・が無くなったかのように、アッサリと鉄の板は横にスライドした。


「レイッ! 大丈夫か!?」

「…………あっ」


 開いた扉の向こうで、体操着姿のレイが瞳に涙を目一杯溜めて、床に座り込んでいた。


「…………ふ」

「ふ?」

「ぶゆ゛ぎぐんっ!!」

「おわっ!?」


 次の瞬間、号泣するレイが俺の胸に飛び込んできた。

 そんな彼女を優しくあやすように、俺はレイの艷やかな黒髪を軽く撫でる。


「はぁ……もう大丈夫だから落ち着けって。な?」

「うぶぶ……わ、私、もう出られないのかと思って……」

「そんな訳あるかよ。ほら、泣くなって」


 彼女の大きな瞳から零れる涙を、俺は手で軽く拭ってやる。

 その雫から感じる暖かさに、僅かに早くなる鼓動を押し隠して、俺はレイに優しく微笑んだ。


「ぐすっ……フユキくん、本当にありがとう。探しに来てくれて、嬉しかったよ」

「……あっ、そうだった。レイが中々戻ってこないから、ユウキが滅茶苦茶心配してたんだ。早く戻ってやろうぜ」

「えっ!? あわわ……で、でも私、今ひどい顔してるし……こんな顔、ユウくんに見せられないよぉ」

「なんだそりゃ。俺ならヒドイ顔見せてもいいってのかよ?」


 目の前でビーッと鼻をかんでいるレイに、俺が苦笑していると、彼女はバツが悪そうに眉を寄せて口をすぼめた。


「フ、フユキくんはいいのっ! 昔からずっと一緒だった、特別な友達だもん。ちょっとぐらい恥ずかしい所見られたって、気にしないんだから」

「……そりゃ光栄なことで」


 ぐしゃっと少し乱暴にレイの頭を撫でる。


「わわっ! な、なに!?」

「いいから帰んぞ。モタモタしてたら、今度は白瀬と光一まで心配し始めるからよ」


 俺は、お前に恥ずかしい所見られたくないしな。

 彼女の言葉で赤くなった顔を見られないように、俺はレイの前を歩くのだった。



 ***



 ――時間は僅かに遡る。



「……戻ってこないね。フユキくん」


 人も少なくなり始めた放課後の教室で、ユウキと光一はぼんやりとパックジュースのストローを啜っていた。


「教師か、運動部の連中にでも捕まったか? 今日はサッカー部は休みって聞いてたが……」

「……ちょっと、僕見てくるよ」

「おう。音虎かフユキと入れ違いになったら面倒だから、俺は残ってるよ」


 光一の言葉に返事をしつつ、ユウキは教室から一番近い渡り廊下の自販機へと向かう。しかし、フユキの姿はどこにも見当たらなかった。


「スマホのメッセージにも反応ないし……フユキくんは一体どこに――」


 何気なく、グラウンドが望める窓へとユウキは視線を動かす。



 そして、その光景を目にした。



「レイちゃん、フユキくん……?」



 グラウンドの片隅、体育倉庫の前で抱き合う二人の男女――それはユウキの想い人と親友だった。

 離れていても見間違える筈も無い姿に、ユウキの喉がヒリつくような渇きを覚えた。


「は、え? なん、で……?」


 泣きじゃくる少女の頬に伝う涙を、フユキが指先で優しく拭っている。

 気安い様子で、フユキが少女の髪を撫で下ろしている。

 その一挙手一投足に、ユウキは手のひらに爪が食い込むほどに拳を握りしめた。


「……酷いよ。フユキくん。僕がレイちゃんの事を好きなの、知っている癖に」


 頭が痛い。よろめいたユウキは、まるで二人から身を隠すように、校舎の柱にもたれ掛かる。


「僕の事、応援しているって言ってくれたのに」


 親指の爪を噛む。ざわめく心が静まらない。


「僕の方が先にレイちゃんの心配をしていたのに。僕の方が、先にレイちゃんを好きになったのに」


 友達なのに。親友なのに。どうして僕が嫌がることをするの。


「ずるい」


 頭が、痛い。




「ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい………………」


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