68.仄暗いお湯の底から



「っあぁ~~……」



 グランピング施設にて、レイと共に至れり尽くせりの野外アクティビティを楽しんだ俺――山茶花さんざか 千尋ちひろは、夕食のバーベキューを平らげると、宿泊するテントから少し離れた露天風呂へと訪れていた。

 思ったよりも熱めの湯船に浸かり、皮膚が僅かに痺れるような感覚に、思わず獣じみたうめき声を漏らしてしまう。

 少しばかり品に欠ける仕草ではあったが、気にすることもあるまい。この露天風呂は家族風呂――要は貸し切りである。流石に泳ぐようなことはしないが、人目をはばからず吐息を漏らすぐらいは良いだろう。


「……すげー星」


 お湯の浮力に身を預けて、ぼんやりと仰向けに夜空を眺める。

 都会の灯りに邪魔されない星空は、陳腐な言葉ではあるが、まるで宝石箱の様であった。

 星明かりの余韻を楽しむように瞳を閉じると、一日の出来事を振り返る。非日常的な大自然の中を散策し、よく遊び、よく食べ、よく楽しんだ一日だった。

 ……そして、どの場面を切り取っても、自分の傍らには想い人の少女――レイの姿が有って……


「……来て、良かったな」


 そんな純粋な気持ちを、目を閉じたままポツリと零した。




「――うん、本当にそうだねぇ」

「…………は?」


 独り言に対する返答が返ってきたことに、俺は間抜けな声を上げて目を開ける。


「やほ。おっきいお風呂だねー、4人ぐらい入っても余裕あるんじゃないかな?」


 声の方向――浴場の入口付近に視線を向ける。

 ……そこにはバスタオルを身体に巻いたレイが、こちらにヒラヒラと片手を振っていた。


「――――はぁっ!? な、ななな……っ!? ばっ……お、おまっ……!?」

「コラッ、大きな声出さないの。ここ家族風呂に他のお客さんは居ないけど、近くに泊まってる人に迷惑でしょ?」


 思わず浴槽の中で後ずさる俺を、従姉弟はなんでも無い様子で小さく窘めると、ズカズカとこちらへ近づいてくる。

 タオル一枚で隠された少女の肌から、俺は理性を総動員して必死に目を逸らすと、目の前の馬鹿に猛烈な抗議をした。


「ば、馬鹿っ! ウルトラ馬鹿っ! マジで何考えてんだテメェーっ!?」

「もうっ、静かにって言ってるのに……ふふ、お昼はあんなに遊んだのに、本当に元気だねぇ、チーちゃん」


 現在進行系で身体の一部が元気になり始めている俺は、倫理観をどこかに置き忘れてきた可能性のある従姉弟に、泡を飛ばす勢いで食って掛かる。


「会話をしろぉー! 俺、中1! お前、中2っ! マジでどうかしてんぞっ!?」

「えぇ~、でも家族風呂だし。従姉弟なら別に良くないかな?」

「従姉弟なら大丈夫とか、そういう問題じゃ……あー、くそっ! お前は恥ずかしくねえのかよっ!? お、男に裸見られんだぞっ!?」

「えっ? 裸……?」


 俺の言葉に、レイがきょとんとした顔を浮かべた後、ニヤリと悪戯めいた――否、ゾッとするような妖艶な笑みを浮かべた。


「……ふーん。チーちゃん、気になるの?」

「な、何が……っ」

こ・れバスタオルの下。ふふ、チーちゃんも男の子だもんね。そういうこと、興味持っちゃうお年頃かぁ」


 クイ、とバスタオルの胸元にレイの指が掛かる。


 ――は? いや、マジで? ど、どう反応するのが正解だっ??? 


 本能は今すぐに土下座してでも見たい! と叫び声を上げているが、こんな弄ばれている事が100%分かっている状況で、レイの――片思いをしている少女の素肌を見てしまうのは、男としてあまりにも不本意だった。

 ……たとえ、それで俺が良い思いを出来ると分かっていても。彼女から恋愛対象として見られていないとしても、恋心という矜持は捨てたくない。


「――い、いらな……」


 なけなしの理性を振り絞って、俺は拒絶の言葉を紡ごうとする。

 ……しかし、そんな俺の返答すら、レイには想定内であったかのように、彼女は笑みを深くした。


「……残念。時間切れ」

「ばっ……や、やめ――ッ!?」


 はらり、と彼女を包むバスタオルが浴場の床に落ちた。




「み、水着……?」


 バスタオルの下、レイはいつかのビキニタイプの水着を着込んでいた。

 呆然自失な俺の様子に、レイは少し呆れた顔で指を立てた。


「もうっ。チーちゃんは私を何だと思っているの? いくらなんでも、私が裸だったらチーちゃんも困るでしょ? それぐらいのTPOはちゃんと弁えていますっ」


 どの口が言ってんだ、と抗議したかったのだが、俺が声を上げる前にレイは掛け湯をしに、洗い場へサッサと歩き去ってしまった。


「……いや、よく考えたら何も解決してなくねぇかっ!?」


 レイの水着姿なら海水浴などで見慣れているとはいえ、ロケーションが温泉というだけで……むしろ温泉に水着という非日常なビジュアルが、脳のよく分かんない所にグサッと刺さってしまった。

 入浴で促進された血流が一部に集まっているのを、俺は慌ててタオルで隠す。

 戻ってきたレイがその姿を見て、ムッと眉根を寄せた。


「こらっ、チーちゃん。湯船にタオルを入れるのはマナー違反だよっ」

「お前の存在がマナー違反なんだよっ!?」


 流石にキレた。

 中学生男子の性欲をあまりにも軽く見ている従姉弟から、腰に巻いたタオルを死守する俺の戦いが始まる。


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