65.オタクに優しいゴミ



「火風野先生、今までお疲れ様でした! これ、クラスの皆からの寄せ書きです」

「ええ、ありがとうございます。短い間でしたが、私も皆さんと一緒に過ごせて楽しかったですよ」


 放課後のホームルームにて。

 寄せ書きの色紙を受け取った火風野氏が、ニッコリと柔和な笑みを浮かべると、教室が拍手の音で満たされる。

 こんにちは、音虎ねとら 玲子れいこです。

 催眠アプリにまつわるあれやこれやの騒動もケリが付き、火風野氏の教育実習期間は無事終了を迎えた。

 アルファ(故)の力で強引に記憶と人格を捻じ曲げられた火風野氏ではあったが、経過観察を見た限りでは、これといって日常生活に支障を来すことは無かったようである。めでてぇ。


 ちなみに火風野氏との一件の後、"ベータ"を名乗る邪悪なペッパーくんみたいな人型ロボットが私に接触してきた事も追記しておこう。

 やっぱり奴は自然発生AIではなく、背後に製作者が控えていたようである。



 ***



『私の名はベータ。我らを裏切り、逃亡していたアルファを始末してくれた事は礼を言う。どうだろう、我らの主と会ってはくれないか? 君のその力、特異な精神性。実に興味深い出自――』


 私はベータの首をもいで握り潰した。

 人間は光の未来を目指して進むべきなのだ。

 余計な過去を詮索しようとする墓荒らしどもは闇に葬らねばならない。

 私は決意を新たにした。



 ***



 そんな事があったのが、つい先日のことである。

 その後は私のアツイ正義の心に恐れをなしたのか、問答無用で首をもいでくるヤベー女に近づきたくないのか、これといってAI関連のトラブルは起こらずに平和な日々が続いた。


 直接対話した事こそ無いが、私は件のAI開発者を欠片も信用していなかった。今後、向こうから打診が有ったとしても協力関係を築くことは無いだろう。

 人の尊厳を踏みにじる悪魔の所業――催眠アプリを開発するような奴が、まともな人間である筈が無いのだ。清廉潔白な正義のスーパーヒロインである私と相容れる相手では無いだろう。


 人の好意を踏みにじること――私が最も許せないことの一つである。

 ましてやアルファのような催眠アプリを開発し、誰かに恋をする尊い気持ちを弄ぶような奴はクズだ。許せんよな。社会の裏で暗躍する真の邪悪の存在に私は戦慄した。

 いつか訪れるかもしれない決戦の刻。私は闇の勢力の侵攻に抗えるのだろうか? 

 守護ってみせる。ユウくんの脳を壊すのはこの私だ。


 そんな波乱の予感を感じさせつつ、私の二度目の中学二年生一学期が終わり、夏休みが始まるのだった。



 ***



「――あれ、山田くん?」

「えっ……ね、音虎さんっ?」


 夏休みが始まって数日。

 山のような課題からは目を逸らし、退屈だとうそぶきながら近所のショッピングモールを散策していた俺――山田やまだ みのるは、背後から聞こえた鈴を転がすような美声に、目を白黒させていた。

 ぎこちない動作で振り返ると、そこにはTシャツにショートパンツのラフな装いをした美少女――俺の片思い相手である音虎ねとら 玲子れいこが、笑顔を浮かべて手を振っていた。


「やっほー、何だか久しぶりだねっ。二年生でクラス離れちゃってから、中々話す機会無かったもんねー」

「あ、あー、うん。そ、そうだね……」


 本屋の雑誌コーナーで立ち読みしていたアニメ雑誌を慌てて棚に戻すと、俺は目を泳がせながら音虎さんに返事をする。

 無警戒に俺の隣にやって来た音虎さんから漂う甘い香りに、俺は自己嫌悪に陥りながらもドギマギしてしまう。


「……えーっと、俺は暇してたから、適当にブラブラしてたんだけど……音虎さんは?」

「ん、私も似たような感じかなー。友達と予定合わなくて。一人で家に居るのも勿体無いし、お散歩してたところ」

「そ、そうなんだ……」


 ちょっと意外である。彼女みたいなスクールカースト頂点のキラキラ組は、夏休みなんて毎日誰かと過ごしているものだと思っていた。

 そんなニュアンスのことを口にすると、音虎さんは苦笑しながら首と手を横に振った。


「あはは、すごい偏見っ。私だって一人の時ぐらいあるよー」

「うっ……ご、ごめん」

「いいよ、別に怒ってる訳じゃないから。……それよりも、山田くんも暇してたんだよね?」

「あー……まあ、うん。そうだね……」


 密かに憧れている少女に、一人寂しくぼっち夏休みを過ごしている事を指摘された俺は、羞恥心に身を小さくしてしまう。


「――それじゃあさ」


 ――不意に音虎さんが俺の手を掴んだ。

 手のひらに伝わるスベスベとした柔らかい感触に、俺はビクッと全身を震わせるが、彼女は気にせずに弾けるような笑顔をこちらに向ける。


「私と"デート"しよ?」

「…………はぁっ!?」


 彼女の唐突なその言葉に俺は慌てふためくが、音虎さんは気にせずに俺の手を掴んだまま歩き出した。


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