61.ヒプノシス



『寝取られ』とは、星の数ほどある性癖の中でも、トップクラスに位置する異常性癖である。


 ましてや私――音虎ねとら 玲子れいこの場合は、そこにTS願望も混ざっていたので、もはや地球人との和解は不可能と思われるレベルですらあった。

 故にNTR愛好者の擬態は硬く堅牢なものとなる。己の性癖を覆い隠す戦車の装甲よりも分厚い鎧は、外から見れば善良で品のある紳士淑女に私達をカモフラージュしてくれる。

 誰も知らない知られちゃいけない。異常性癖を暴かれまいとする弛み無い努力が、変態たちの上っ面をダイヤモンドよりも強固に仕上げているのだ。


 しかし、そんな私も一皮剥けば、雨に濡れたか弱い子犬のようであった。

 NTRなくしては生きていけない憐れで無垢な存在。性癖という抗いがたい宿命に翻弄される孤独な放浪者。それが私なのである。なんて可哀想なんだ。私。


 性癖とは、まるで祝福と呪いのようであった。水星の魔女ね。

 自己を確立するよすがであり、己を縛り付ける鎖でもある。それは時に自らを傷つけ、時に水底の魔性のように足を引くことだろう。

 だが私は諦めない。何故なら私は正しいからだ。だから私は強い。正しさは止まらない。

 オルガ団長は止まらなかった。ならば、私も進み続けよう。ユウくんのイベントCGをコンプする、その日まで……



 話が逸れ過ぎてアーマード・コアならば、エリアオーバーでミッションが失敗になっている事を察した私は閑話を休題した。

 やろうと思えば、ここからアーマード・コアの新作について数時間喋り続けることも出来るが、流石に本筋を進めよう。


 つまり何が言いたいかというと、私の外面は品行方正文武両道のパーフェクト美少女であり、クラス委員長でもある私は教育実習生の火風野ひふの 静雄しずお氏と関わる事が多いという話である。


「失礼します。火風野先生、学級日誌を持ってきたんですけど……」

「ああ、ありがとう。音虎さん」


 職員室で火風野先生に学級日誌を手渡すと、彼は端正な顔に柔和な笑みを浮かべてお礼を告げる。

 なるほど。ちょっとしたアイドルレベルの容姿に、物腰の柔らかい紳士的な態度。クラスの女子達が黄色い声を上げるのも納得である。


「音虎さん。今、少し時間はありますか? 申し訳ないのですが、プリントを運ぶのを手伝って貰いたくて……」

「ええ、もちろん。構いませんよ先生」

「ありがとう。助かりますよ。量は多くないのですが、種類が多いから一人で運ぶには少々手間でして……」


 申し訳無さそうに苦笑する彼に笑顔を返し、私は火風野先生の後をついて廊下を進む。

 彼がこの学校に来てから、既に半月が経過していた。

 一般の教師陣よりも年齢が近い分親しみやすく、かといって同級生達とは違う大人の余裕を持ったイケメンの存在に、女子達からの火風野氏に対する人気は鰻登りである。


 ――が、私からの彼に対する評価は、正直そう高くは無かった。

 なんというか、使い道・・・が無いのだ。

 彼が教育実習でこの学校に居る期間は一ヶ月間。既に半分を消化してしまったし、何か仕込むにしては時間が無さすぎる。彼自身も教育実習で忙しそうにしているし、あまり学生である私が介入出来る余地が無いのだ。

 教師属性の間男を用意するなら、やはり高校生になってからだな。

 まあ、私がクラス委員長である都合上、何かと火風野先生と関わることは多いので、将来に向けたテストベッドとして多少のデータ収集は出来るが、逆に言えば私が彼に求めるのはそれぐらいである。



 まあ、それよりも一番の問題点は――――


「おっと、そういえば……」


 プリントを運び終えた帰りに、隣を歩く火風野先生が不意に何かを思い出したように立ち止まる。


「どうかしましたか、火風野先生?」

「いえ、放課後でこの辺りは人も少ないですし、ちょうどいいなと思いまして」


 そう言って、彼はポケットからスマートフォンを取り出すと、そのディスプレイを私に向けた。



日課・・の時間ですよ。音虎さん」



 次の瞬間、火風野先生の持つスマートフォンのディスプレイが眩く発光した。



 ***



「…………」

「音虎さん、私の声が聞こえますか? 聞こえていたら両手でピースしてください」

「……はい」


 俺――火風野ひふの 静雄しずおは目の前の少女に語りかける。すると、うつろな目をした少女はぼんやりとした様子で両手をチョキの形にして、顔の横に持っていった。


「……よし、ちゃんと効いているみたいだな。ご苦労"アルファ"」

【いえいえ、マスターの為ならばこの程度。それよりも、人通りが無いとはいえ、早く場所を移された方が良いのでは?】


 手に持ったスマートフォンから、慇懃無礼な男の声が響く。

 言う事はもっともだったので、俺は空き教室のひとつに音虎を連れ込むと、内側から鍵をかけた。


 俺が"アルファ"――この自我を持つ『催眠アプリ』を手に入れたのは全くの偶然であった。


 今回の教育実習が始まる数日前。古い型遅れのスマートフォンを処分しようと整理していた時に、何やら身に覚えのないアプリケーションがインストールされているのを見つけたのが始まりだった。

 そのアプリは、こちらが触れてもいないのに勝手に起動したかと思うと、機械音声とは思えない流暢な言葉で自己紹介を始めたのだ。


【初めまして、マスター。私は催眠アプリケーション"アルファ"と申します。……ふふ、細かい説明は省きますが、貴方が"催眠アプリ"と聞いて、想像していることは大抵実現可能なスペックを持っていることを保証いたしましょう】


 その言葉の通り、アルファは俺が想像するようなことは殆ど実現可能な、夢のようなアプリだった。

 この催眠アプリを使って何が出来るのか。検証したいことは山程有ったが、それはこの教育実習が終わってからでも構わないだろう。

 俺はひとまず、このアプリを使って"性欲"を満たすことにした。


「さて、とりあえずこっちに来なさい。音虎」

「……はい」


 こちらの言葉に従って、近寄ってきた音虎を抱きしめると、俺は少女の胸や尻を弄って、その柔らかい肉の感触を楽しむ。この学校で教育実習が始まってから、既に何度も繰り返した行為ではあるが、その興奮と歓喜は全く色褪せることは無かった。

 ――音虎玲子。ひと目見た時から、美しい少女だと思っていた。その未成熟な身体を味わいたいとも。

 一回り近く年齢の離れた相手に欲情するとは……自分に小児性愛の趣味は無いと思っていたのだが、今はそんなアブノーマルな願望を持っていたという事実すら、自分を興奮させるスパイスになっていた。


「ああ、本当に君は綺麗だね、音虎。出来ることならば、今すぐこの場で君を抱きたいところだが……」


 いくら催眠アプリがチート染みた能力だとしても、それを持つ自分が無敵という訳ではない。

 可能性は低いが、仮に今この瞬間を誰かに目撃されていて、それに自分が気付かなければ……いくら催眠アプリを持っていたとしても破滅は免れないだろう。


「だから、君の身体を楽しむのは教育実習が終わってからだ。皆には内緒で、二人きりでね」


 この学校から離れてさえしまえば、プライベートで隠密にこの少女を誘い込むのは決して難しくない。

 だから、今はこの"お預け"すらも後のメインディッシュを愉しむ為のスパイスとして味わうことにしよう。



 ***



「――――音虎さん?」

「……えっ、あ、はい」


 渡り廊下で呆然と立ち尽くしていた音虎が、火風野の呼びかけにぼんやりと応じる。


「大丈夫ですか? 何だかボーっとしていましたが……体調が優れないのでは?」

「えーっと……いえ、大丈夫です。すいません、何だかぼんやりしていたみたいで……」

「いえいえ、何か気になることが有れば、いつでも言ってくださいね」

「はい、ありがとうございます。火風野先生」


 少女の様子に、記憶の改竄が問題なく成立していることを確認した火風野はほくそ笑む。


「それじゃあ、私はこれで。さようなら、火風野先生」

「ええ、手伝いありがとうございます、音虎さん。気をつけて帰ってくださいね」


 そう言って火風野は少女を見送る。彼女を待っていたのか、クラスメイトの立花たちばな 結城ゆうきが少女と合流すると、仲睦まじい様子で一緒に下校をしていった。

 恋人同士なのだろうか。詳しくは知らないが、そう見える程度には、二人は親密な仲のようであった。


「……ふふ、恋人どころか本人すら知らない間に身体を穢される、か……いいね。凄く唆る状況じゃないか」


 火風野の顔が醜悪に歪む。遠からず、味わうことが出来る青い果実の美味を夢想して。

 普段の周囲から慕われている温厚な美男子の姿は、そこには無かった。


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