59.前を向く者。恐怖する者。あとカス



「いただきます」

「……いただきます」


 音虎を家まで送り、帰ってきた俺――神田かんだ 光一こういちは両親とともに夕食のテーブルを囲んでいた。

 俺は水の入ったグラスを傾けて喉を湿らせると、目の前に座る父親に声をかける。


「あー……親父、今日は珍しく早いじゃねえか」

「……ん」


 俺から話を振られたことに、父親が僅かに驚いたような顔をして箸を止める。

 ……まあ、その反応も当然か。

 飯の最中に俺から親父へ、こんな雑談めいた話を振るなんて、思い出せないぐらい久しぶりだからな。

 俺は居心地の悪さを隠すように焼き魚を解体しながら、先程の音虎との会話を思い出していた。



 ***



「神田くんって、ご両親と喧嘩でもしてるの?」


 路地を出て立花と合流するより少し前、音虎は不意にそんな事を俺に言い放つ。


「お前なぁ……人んのデリケートな話に首突っ込むのは、ちょっとデリカシーがねえぞ」

「だってぇ、私だけ重い話知られてるのって不公平だもん。神田くんのそういう話も少しぐらい聞かせてよぉ」

「……」


 それを言われると、俺としては少し弱い。

 そんなつもりは無かったのだが、音虎の辛い過去――周囲から迫害されていたと思われる経験を聞き出してしまったのだ。

 ……詫びという訳ではないが、音虎が望むなら少しぐらい話してやるのも仕方ないか。


「……別に、大した話じゃねえぞ」


 そう前置きしてから、俺は両親との不仲を音虎に話す。

 甘やかして育てられた幼少期。

 そして、それが無関心の裏返しだと察した事。

 反抗心から、つまらない意地を張った結果、身を持ち崩した事。

 話していて恥ずかしくなるような拗ねたガキの屁理屈を、音虎は真剣な顔で聞いていた。


「――まあ、こんなところだ。……これでいいかよ?」

「…………はぁ~~」


 音虎は大きく溜息を吐くと、左手を腰に当てて右手の人差し指をピンと立てた。

 あっ、こいつお説教モードに入りやがったぞ。


「神田くん。私は神田くんのお父さんには会ったことが無いから、適当なことは言えないけど、少なくとも神田くんのお母さんは、神田くんのことが大好きだと思うよ?」

「……それは――」

「どうでもいいと思っている子供の友達に、お昼ごはんを用意したり、帰る時にお見送りしたりすると思う?」

「うっ……い、いや、それは、世間体とか、そういうのを気にして――」

「おばかっ。本当に世間体を気にしている人なら、神田くんが不良をやっているなんて許す訳ないでしょっ」


 ……そうなのだ。

 認めるのは少々癪だが、音虎達との穏やかな学園生活で心に余裕が出来たからなのか、最近の俺は両親に対して見る目が少し変わっていた。

 俺は父と母に対して、必要以上に悪意的な考え方をしてしまっていたのではないか、と思い始めていたのだ。


「……その、余計なお世話だっていう自覚はあるよ? ……でも、あんなに素敵なお母様なんだもの。分かり合えないって決め付けて、諦めちゃうのは勿体ないよ」


 音虎はそう言うと、少し困ったような顔で微笑むのだった。



 ***



「――息子と食事をする為に、早く帰ってくるのはそんなにおかしいか?」

「……あっそ」


 親父はいつもの無表情を崩さずに言う。そのあまりにも不器用な物言いに、俺は思わず苦笑いをしてしまう。

 素直に愛情表現を出来ない捻くれ者。

 ああ、やはり親子だな。

 やっぱり俺は親父が苦手だ。その理由はなんてことはない。ただの同族嫌悪だったのだ。


「光一」

「なんだよ、お袋」

「……今日のお昼ごはん、どうだったかしら」

「別に。ふつー……いや、塩味の唐揚げが美味かった。……その、また食いたい」

「……分かったわ」


 ぎこちない会話が響く食卓。

 だが、そこに漂う空気は決して冷めきったそれではなく、仄かに暖かさを感じさせるものであった。



 ***



 時間は僅かに遡る。

 レイコが路地裏で神田とモブ不良を使って、イメクラプレイ染みたお人形遊びを楽しんでいたその頃、立花たちばな 結城ゆうきは息を切らして日の暮れた街中を駆けていた。


「はっ……はぁっ、はぁっ……! レイちゃん、どこに行っちゃったんだ……!」


 神田がレイコのスマートフォンを届けに行くというメッセージが送られた後、ユウキはレイコの自宅に電話をしたのだが、応答したのは留守番電話サービスの機械音声だけであった。

 嫌な胸騒ぎを感じた彼はレイコの家を訪ねるが、そこには彼女はおろか彼女の両親も不在であることを示す、灯りが消えた家が彼を出迎えた。


「神田くんも連絡が付かないし……レ、レイちゃんに何かあったら、僕は……っ!」


 もしや入れ違いで、レイコが神田の家に向かっているのではないかという仮定を頼りに、ユウキはレイコの家から神田が暮らすマンションまでの道のりは、青い顔で駆け抜ける。

 その端正な顔を焦燥に歪める少年の姿は、レイコが見ていれば一眼レフで撮影していたであろうという程に、嗜虐心を唆る様相を呈していた。



 ……そして。


「――あっ! レイちゃ……っ!?」


 少年はついに、探し求めていた愛しい少女の姿を見つけた。



 ……その横には、友人である神田の姿があった。


 気遣わしげにレイコの隣を歩く神田と、そんな神田に優しい微笑みを浮かべるレイコ。

 その姿を見て、ユウキは思わず建物の影に身を隠してしまった。


(えっ……ど、うして、なんでこんな所に、レイちゃんと神田くん、が……?)


 彼女たちが出てきた場所は、人目から死角になっている路地裏の入口だった。

 不良が屯するような場所であり、お世辞にも治安が良いとはいえない、そんな場所でレイコと神田は何をしていたのか。

 少年の脳裏に、答えの出ない疑問がグルグルと駆け巡る。

 思い返されるのは、二年生になってから妙に神田と親しく接するレイコの姿。

 彼のために学級委員にまでなったと公言する彼女に、ユウキは僅かな嫉妬心と、彼女の優しい心に惚れ直していたのだが……


「いや……いや、違う。だ、だって、レイちゃんは、僕の事が好きだって――」


 ……言っていない。

 そう、レイコはユウキに対して、恋愛感情としての"好き"を明確に口にしたことは無かった。

 こういってはなんだが、レイコは異性に対しての接し方に、少々難がある気質をしていると、ユウキは前々から思っていた。



 ……もしや、両想いだと思っていたのは自分だけで、レイコが愛しているのは自分ではなく、神田なのでは? 



 その事に思い至ったユウキの全身に、氷柱が突き立ったような悪寒が奔る。


「い、嫌だ……ぼ、僕が、僕が一番最初に好きになったんだ……レイちゃんは、僕の――ッ」


 致命的な破局を恐れるが故に、ユウキは二人に見つからないように建物の影から二人の様子を覗き見る。

 しかし、神田の手がレイコの手を優しく握ろうとしていた光景を見た瞬間に、ユウキは堪らず飛び出して叫んだ。あたかも今駆けつけたのだという情けない小芝居を演じながら。


「――レイちゃんっ!」

「えっ、ユウくん?」

「立花?」



 ***



「おやすみなさい、神田くん」

「おう、じゃあな。音虎、立花も」


 神田がヒラヒラと手を振りながら立ち去るのを見送ると、レイコはユウキへと振り返る。


「ユウくんもありがとう、送ってくれて。良ければ上がってく?」

「あー、その……今日はもう遅いし、気持ちだけ受け取っておくね」


 ユウキがそう返すと、レイコは少しだけ残念そうにしたが、すぐに笑顔を浮かべた。


「そっかぁ、それじゃあ仕方ないね。おやすみ、ユウくん」

「うん。おやすみ、レイちゃん…………」

「……? どうしたの、ユウくん?」


 別れの挨拶を交わすも、背を見せないユウキに、レイコが愛らしく小首を傾げた。


「そ、その、レイちゃん。僕は、レイちゃんの事が……す、好きだよ」

「わっ。ふふっ、急にどうしたの?」

「……レイちゃんは、僕のこと、好き?」

「もっちろん。大好きだよ、ユウくん」


 邪気の欠片もない好意と笑顔に、ユウキの胸に鈍い痛みが奔る。

 ……その"好き"は恋愛感情としての"好き"なのか。

 それとも………………


「……うん、ありがとう。……おやすみ、レイちゃん」


 確かめて、もし望む答えとは違うものが返ってきたら。

 その恐怖に立ち向かうことが出来なかった少年は、少女から逃げ出すように背を向けた。

 この居心地が良いぬるま湯の様な地獄が、壊れることを恐れるように。



 ***



 ユウキを見送ったレイコが家の中に入る。

 主婦友達にでも捕まったのか、夕食の材料を買い足しに行った母親は、未だ帰宅していないようであった。

 夕食前ではあったが、小腹を満たしたくなったレイコは、リビングに置かれた果物カゴから、小ぶりなリンゴを一つ手に取る。


「……他人に取られることを忌避しているのに、自分のものだと宣言することは恐れる。人のものだと分かっているのに、自分のものにしようと爪を研ぐ。不合理で不条理。予測不可能な存在」


 手のひらで転がしたリンゴを一口齧ると、少女は歯を剥き出しにして哄笑した。



「やっぱ人間って面白っ!!」


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