58.副音声は聞こえない
「……そういえば、どうして神田くんがこんな所に?」
「そりゃこっちの台詞だってぇの……ほら」
先程のひと悶着から、ようやく少し落ち着いた音虎が俺――
俺は鞄から音虎のスマホを取り出すと、彼女に手渡した。
「あっ、私のスマホ。やっぱり神田くんの家に忘れてたんだ」
「……その感じだと、お前も俺の家に行こうとしてたみてぇだな。フユキか立花から連絡無かったのか?」
「えっ? 私は何も聞いてないけど……」
どうやら、タイミング悪く行き違いになっていたようである。
まあ、こうして無事に合流出来たのは良かったのだが……
「……おい、こんな時間に女が一人でウロウロしてるのは、どういう了見だ?」
「えっ、あ、その……」
「大体、テメェの親は何も言わなかったのかよ?」
「た、たまたまお父さんとお母さんがちょうど家に居なくて……神田くんの家、そんなに離れてないし平気かなって……」
「アホ。現に変な奴らに絡まれてるじゃねえか。もう少し危機感を持て」
俺の低い声に、音虎が身を縮こまらせる。
その姿に多少の罪悪感を感じたが、ここはキツく言うべき場面だ。
たまたま俺が近くを通ったから良かったようなものの、そうでなければ今頃どんな事になっていたか……
「……せめて、立花かフユキに話して付き合ってもらえば良かっただろ。アイツ等なら、その程度のことを迷惑なんて思わねえよ」
「……はい、ごめんなさい」
俯いて、小さな声で音虎が返事をする。
……俺は一つ溜息を吐くと、その頭にポンと手を乗せた。
「……まあ、お前に何もなくて良かった」
「神田くん……」
手のひらに伝わる彼女の熱と、サラサラと手触りの良い黒髪に、心臓の鼓動が僅かに速くなる。
「……私、本当に分からないな」
「あぁ?」
音虎が俺の手を優しく握ると、その手を胸元に引き寄せる。
「神田くんは、こんなに優しい人なのに……さっきの人も、学校のみんなも。どうしてあんなに嫌な目で見ているのか。本当に分かんない」
「それは――」
……俺は、そんな大層な奴じゃない。
ただ、気になっている女に少し優しくしているだけの、どうしようもないクソガキだ。
「……それは、音虎がお人好しなだけだ。むしろ、さっきのアイツ等みたいな反応が普通なんだよ」
「そんなことっ――」
「……ちょうどいい。前から気になってたんだ。音虎は、どうして俺にそんな構うんだ?」
俺の言葉に、音虎が不思議そうな顔をする。
「どうして、って……」
「初対面の時は"俺が寂しそうだったから"とか言ってたな。……だけどよ、それだけで不良だなんだって良くねえ話が聞こえてくる相手と、ツルもうなんて普通は思わねえだろ?」
「…………」
まだ浅い付き合いだが、それでも音虎の人となりはそれなりに分かっているつもりだ。
こいつが俺に良からぬ企みを持っているとまでは思わないが、こうまで過剰に親しみを持たれている理由はてんで分からなかった。
「……別に、言いたくねえならいい。でもな、俺は結構嬉しかったんだ」
「えっ?」
俺は赤くなりそうな顔を隠すように、音虎に背を向けて言葉を紡ぐ。
「学校に居づらくて、サボってゲーセン行って。絵に描いたみたいな不良やって。当然の如く周囲からは腫れ物扱いだ。自業自得だけどよ。……あ、一応言っておくが、恐喝だの万引きだの、真面目にやってる奴らに迷惑かけるようなことは一切やってねえからな?」
「分かってるよ。信用してるもん」
「ケッ、そいつはどーも……とにかく、そんなだったから、お前や立花達が普通に接してくれて、その、友達になれて……割とマジで嬉しかったんだ」
クソッ、今の俺はどうかしている。こんな小っ恥ずかしい台詞をペラペラと……
チンピラから惚れた女を助けるなんて、漫画みたいな状況に精神状態がハイになってしまっているのだろう。
……まあ、だから普段は言えないことを言ってしまおう。シラフじゃあとても無理だからな。
「だからっ! お前にどんな真意が有ったとしても、俺はお前に感謝してるし、俺と仲良くした理由を言っても言わなくても、お前への気持ちは変わらないってことだ! 言いたいのはそれだけっ!」
「――ふふっ」
「わ、笑うなっ!」
「ご、ごめん。でも……くふっ、神田くんが可愛いんだもの」
あぁ~~クソッ! やっぱり慣れないことはするもんじゃねえ!
堪えきれない様子でコロコロと笑う音虎に、俺はガリガリと頭を掻きむしって羞恥心を紛らわそうとする。
音虎は一頻り笑うと、ドキッとするような真剣な眼差しを俺に向けた。
「……えっとね、"似てる"と思ったんだ」
「……はぁ?」
「あなたと仲良くなりたいなって思った理由。私と神田くん、何だか似てるなーって思ったの」
……似ている? 俺と音虎が?
冗談にしても笑えない。方や品行方正文武両道な優等生、方や不良の問題児。似ている点を探すほうが難しいのは一目瞭然だった。
「……私もね、昔は周りから色々よくないこと言われてたんだぁ」
……しかし、音虎の言葉に嘘や冗談の匂いは欠片も感じられなかった。
そして、彼女の口から伝えられた言葉は、あまりにも衝撃的な事実だった。
「……人の心が分からない屑(前世で言われた)。犬畜生以下(前世で言われた)。鬼、外道の極み(前世で言われた)。男の子からも女の子からも、色々言われたなぁ(残念でもないし当然)」
「……なんだよ、それ」
彼女には到底相応しくない罵詈雑言の数々。
そんな心無い言葉をぶつけられたと、音虎は少しだけ寂しそうに笑って話した。
「みんなと仲良くしたいと思って、色々(洗脳。偽装工作。コミュニティ破壊。寝取り)やったんだけど……何か失敗(大成功)しちゃったのかな。そんなつもりは無かったのに、みんなを怒らせちゃったみたいでね。それで……」
「……そんな、馬鹿な話があるかよ」
こんな馬鹿みたいにお人好しで、善意の塊みたいな少女がそこまで悪しように侮辱される理由が、俺には丸で分からなかった。
思わず険しい表情を浮かべてしまった俺を安心させるように、音虎は殊更明るい声で続ける。
「あっ、もちろん今は違うよ? ユウくんも、フユキくんも、ユリちゃんも、みーんな良い人達ばっかりだから!」
「…………っ」
その笑顔の裏で、どれほど辛い経験をしてきたのか。
俺は思わず奥歯を噛みしめるが、音虎は己の傷など大したことはないとばかりに微笑み、知らず知らずに握りしめていた俺の拳を優しく解いた。
「……だからね、本当はすっごく優しいのに、みんなから誤解されてる神田くんを見て……勝手に親近感を感じてたんだ。あぁ、この子と友達になりたいなー、って。……えへへ、身勝手だよね? 幻滅しちゃった?」
「……んな訳、有るかよ」
……俺は、本当に馬鹿だ。
こんな風に優しく笑える女の子に、勝手に何か裏が有るなどと邪推して、思い出すのも辛い筈の過去をほじくり返して……
「――もうっ! そんな暗い顔しないのっ!」
「ふがっ」
むにーっと音虎が俺の頬を掴んで上方向に持ち上げる。
俺に無理やり笑顔を作らせると、音虎は少し怒ったように頬を膨らませた。
「そんな顔して欲しくて話したんじゃないもの。神田くん、ただでさえ顔が怖いんだから、もっと日常的に笑顔を作りなさいっ。……いや、それはそれで怖いかも?」
「おい」
「ふふ、元気出た?」
音虎のおどけた様子に、俺は苦笑を浮かべる。
「……そういえば、まだ言ってなかったよね?
助けてくれて、ありがとう。カッコよかったよっ!」
「……どーいたしまして」
ああ、駄目だ。
音虎の太陽のような笑顔に、俺はどうしようもなく自覚してしまう。
俺は、この少女が好きだ。
その笑顔を、心を、独り占めしたいと強く願ってしまった。
……たとえ、彼女の心が立花に向いていたとしても、だ。
「――んじゃ、帰るか。送るぞ」
「えぇっ、そんな悪いよ」
「アホ。また変な奴に絡まれたらどうすんだ。さっさと行くぞ」
「あ、ちょっと! ……もうっ!」
そういって俺がさっさと歩き出すと、音虎は慌てて俺の隣に小走りで駆け寄る。
その横顔に愛しさを感じる心を気取られないように、俺は平静を装うのだった。
***
「――レイちゃんっ!」
「えっ、ユウくん?」
「立花?」
音虎を連れて路地から表に出た辺りで、聞き慣れた男の声が俺達を呼び止める。
振り返ると、そこには息を切らしながら此方へ駆け寄る立花の姿があった。
「はぁっ、はぁっ……よ、良かった。電話は繋がらないし、家に誰も居ないから、レイちゃんに何か有ったんじゃないかと思って……」
「ごめんね、ユウくん。神田くんから聞いたけど、どうも入れ違いになっちゃったみたいで……」
「ううん、何も無かったみたいで良かったよ」
「いや、何も無かった訳じゃ――」
「神田くんっ!」
音虎が俺の横腹を肘で突いてきた。何しやがる。
俺が不満げな表情を向けると、音虎は小声で俺に耳打ちする。
(さっきの、ユウくんには内緒にしてっ。もう神田くんにお説教されたのに、ユウくんからも怒られちゃうっ)
(はぁ? お前なぁ……)
(おねがいっ。
(……チッ、分かったよ)
二人だけの秘密。
その響きに、なんとも言えない優越感を感じた俺は、渋々といった表情を作って音虎に了承の意を伝えた。
「……レイちゃん? 神田くん?」
「あぁ、いや、何でもねぇよ」
「う、うん、そう。何でも無いの」
「……そう? ならいいんだけど……」
不審げな視線を向けてくる立花に、俺と音虎は平然とした表情で返す。
「それじゃあ、帰ろうか。神田くん、レイちゃんは僕が送っていくから、後は大丈夫――」
「あー、気にすんな。ついでだから俺も送っていくぞ。男が二人居た方が、変な奴も寄ってこないだろ?」
「え……う、うん。そうだね」
少し戸惑った様子の立花を、音虎が先導するように手を引く。
「それじゃ、行こっか。夜のお散歩だね、ユウくんっ」
「わわっ、引っ張らないでよレイちゃんっ」
……やはり、この二人の距離は俺よりも近い。それは明確な事実だ。認めよう。
だが、それだけだ。
まだ諦めるほど圧倒的な差ではない。
「おい、二人とも。一応夜中なんだから、あんま騒ぐんじゃねえぞ。ご近所迷惑だろ」
「「はーい」」
胸を震わすような恋を知ったのだ。
ウダウダと燻っていられるほど、達観も諦観もしちゃいねえ。
俺は手に残る音虎の温もりを確かめるように、拳を握りしめた。
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