55.前菜
――時は流れて5月。
過ごしやすかった春も束の間、世間は例年よりも少し早い梅雨入りを迎えていた。
教室の窓越しに降り続く雨を眺めて、俺――
「あぁ~……テンション上がらねぇ……」
「なー。湿気で髪は崩れるし、早く梅雨終わらねえかなー」
しとしとと降り注ぐ雨に感化されるように、机に突っ伏してだらけている男二人の頭上に、湿気を吹き飛ばすような明るい声がかかる。
「おはよーっ。神田くん、フユキくん」
良い意味で空気を読まないその華やかな声に頭を上げると、そこにはクラスメイトの
「おはよう。神田くん、フユキくん」
「お、おはよう。神田くん、来島くんも」
柔和な顔で微笑む立花と、若干まだ距離は感じるが、俺みたいなのにも歩み寄ろうとしている白瀬。そして白瀬とは対照的に、俺に対する距離感がおかしい変人女子の音虎。
3人に俺は軽く手を上げて挨拶を返す。
「おう。……ってか、すげえな立花。朝から女子二人引き連れて登校って、中々派手なことするじゃねえか?」
「へ、変な言い方しないでよ、神田くん。白瀬さんはついさっき、そこで合流しただけだから」
「ハッ、音虎と登校したのは否定しねえんだな」
「そ、それはまあ、うん……」
僅かに顔を赤くして俯く立花に、俺とフユキは苦笑する。
こんな風に軽口を言える程度には俺と立花、それにフユキは交友関係を深めていた。
正直、やっぱり俺はクラスで少し浮いているし、怖がっている生徒もそれなりにいる。
そこに関しては自業自得だし、俺自身が積極的に状況改善しようとしていないのだから仕方ない。
――それでも。
「それよりも、神田くん? 昨日も無断で遅刻したでしょう?」
「……そうだったか?」
すっとぼけようとする俺に、音虎が眉根を寄せてお説教モードに入った。
「もうっ、遅刻するなとは言わないけど、せめて
「っせーな、お袋かっての」
「これでも学級委員長ですから」
フフンと、同年代の中ではそれなりに育っている胸を張る音虎。
そう、この女は俺の世話を焼きたいが為に、学級委員長に立候補したそうなのだ。
『だって、神田くんって"お前には関係ねーだろ"って、人を遠ざけるタイプだもん。私が学級委員長なら、クラスメイトの問題は無関係じゃないからねっ』
――なんて会話が有ったのはいつだったか。
多少なりとも交流して分かったが、こいつは優等生というよりは、底無しのお人好しという方が近いのかもしれない。
屋上でのタバコの一件を、教師にチクるでも窘めるでもなく、頼んでもいない偽装工作を積極的にしてこようとするような女だ。ただのテンプレートな良い子ちゃんではないだろう。
人の善意しか信じていないのではなく、人の醜い面や悪意を知った上で、それを引っくるめて受け止めようとするタイプの筋金入りなのだろう。
――そんな奴が隣に居てくれたから、俺は学校生活を"悪くない"なんて思い始めているのかもしれない。
気がつけば、音虎に冬木、それに立花と白瀬の4人とツルむことが常となっていた。
友人同士で放課後に駄弁ったり、抜き打ちの小テストに文句を言い合ったり、たまには真面目に授業を受けてみたり……既に諦めていた"普通の学校生活"が俺の手元に転がり込んでいた。
「――ん、どうしたの神田くん?
……だから、俺はそんな日々を運んできてくれた音虎に、当然のように好意を抱いてしまっていた。
「……寝癖ついてんぞ」
「えっ!? うそっ、ちゃ、ちゃんとセットしてきた筈なのにっ」
俺の適当な言葉にワタワタと慌てる少女を、隣に立つ立花が苦笑しながら宥める。
「あはは、大丈夫だよレイちゃん。寝癖なんて付いてないから」
「……そ、そう? もうっ、神田くんっ! 適当なこと言わないでっ。ずーっと寝癖頭でユウくんの隣に居たかと思って、心臓が止まりそうだったんだからっ」
俺に騙されたことを悟った音虎が、その愛らしい顔に迫力の無い怒気を滲ませる。
しかし、その怒りは彼女の頭を優しく撫でる立花の手によって、あっさりと霧散させられた。
「フフ、でも偶には寝癖を付けてるレイちゃんも見てみたいかな? 昔は僕ばっかりレイちゃんに寝癖頭を見られてたし」
「うぅ……ユ、ユウくんっ。女の子の頭に気安く触らないのっ!」
「あはっ、ごめんごめん」
大袈裟に両手を上げる立花と、それに頬を染めて食って掛かる音虎。
(……これって、やっぱそういう事だよなぁ)
色恋沙汰に敏い訳では無い俺でも分かる。
音虎は立花に。立花は音虎に。
明確に交際している訳では無いらしいが、互いに互いを想っていることなんて、火を見るよりも明らかだった。
……何ということはない。俺の恋は始まる前から終わっていたのだ。
立花は俺なんかとも色眼鏡なしに付き合うような、良い奴だ。
あの優しくてお人好しで……誰よりも幸せになる権利が有る音虎が、そこら辺の悪い男に引っかかるよりも、立花みたいな男とくっつく方が余程良いじゃないか。
……俺と音虎は、初めから住む世界が違ったんだ。
「――――――」
……?
気がつけば、音虎がじぃっと俺を見つめていた。
……もしや、彼女を不安にさせるような感情を表に出してしまっていたのだろうか。
「なん、だよ。音虎?」
「……うふふ、なんでもなーい」
「……?」
妙に上機嫌な様子の音虎に疑問を感じるも、それを追求する前にHRのチャイムが鳴る。
俺は気持ちを切り替えるように、軽く頭を振るって視線を教壇へと移した。
***
「――は? 俺の家に行きたい?」
昼休み。
音虎達との馴染みのグループで机を固めて昼食を食べながら、俺は間抜けな声を上げていた。
そんな俺に、音虎が弁当箱の卵焼きを飲み込んでから返事をする。
「そっ、もうすぐGWでしょ? みんなで遊びたいけど、こんな
「……それを言うなら白瀬の家でだって、集まったことねえだろ」
「うっ、神田くん……クラスメイトの女子の家に遊びに行きたいって、ちょっと引くかも……」
「悪意のある捻じ曲げ方すんじゃねえっ!」
俺のツッコミに、音虎がコロコロと笑う。
実はこのグループでは、立花・冬木・音虎の家では既に集まったことがあるのだ。
「まあ、特に深い理由がある訳じゃないんだけど……連休とか空いてる?」
「……俺の家は……」
別に強く拒否する理由がある訳では無い。
……だが、あまり折り合いの良くない両親のことを考えると、気乗りしないのは否定出来なかった。
「……その、神田くん? 無理しなくていいんだよ?」
「そうそう、本当に何となく話題に上がっただけだからさ! 別に
「あ、いや……」
立花と冬木が少しだけ心配そうな表情を浮かべている。
……気、遣わせてるな。
別に隠しているつもりは無いのだが、俺が家で何かあるのは、なんとなく察しているのだろう。
「神田くん……」
言い出しっぺの音虎まで不安そうな顔をしている。
その顔を見て、俺は覚悟を決めた。
「……分かった、俺ん
「い、いいの?」
「ああ、一応大丈夫か親に確認しとくから、後でメッセージ入れるわ」
……口に出すのも恥ずかしいが、中学で初めて出来た友達らしい友達に、そんな顔はさせたくなかった。俺が一歩踏み出したのは、その程度の理由である。
「やったー! ありがとう、神田くんっ」
「……別にそんな面白いものとかねえぞ」
人の話を聞いているのかいないのか、嬉しそうにはしゃいで白瀬とくっついている音虎を見て、俺は苦笑を浮かべる。
……まあ、こんだけ喜んでくれるなら悪い気はしない。精々もてなせるように動くとするか。
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