54.笑顔



「――アイドルに、なりませんか?」

「お断りします。それでは」



 下校中、名刺を差し出してきたスーツ姿の男性を、にこやかな笑顔で切って捨てる。

 こんにちは、音虎ねとら 玲子れいこです。


 外を歩いていると、こんな感じで芸能事務所の人間から声を掛けられることは、たまに起こるイベントである。無論、全てお断りしている。

 前世でドルオタ系カップルを寝取った経緯から、アイドル業界に関しては多少齧っている程度の知識しかない私でも、芸能活動がそんな生ぬるい世界でないことは分かっているつもりだ。

 ユウくんの脳破壊とアイカツの両立が不可能である以上、私はユウくんを優先する。

 まあ、トップアイドルになった後で、お偉方との枕営業を自作自演でリークして、世界中のファンの脳を破壊するというのも非常に夢のあるシチュエーションではあるが、私は量よりも質を優先したい。一山いくらのNTRなら前世でお腹いっぱいなのである。


「ま、待ってください! どうか、お話だけでも……!」


 一刀両断されて呆然としていたスーツ姿の男性が、追いすがってくる。

 ほう、中々ガッツのある男じゃあないか。私は少しだけ感心した。


「ごめんなさい。でも、私は何処にでも居るただの学生ですよ? アイドルなんて……」


 それでも誘いを固辞する私に、男はガッと手を掴んできた。真剣な眼差しを私に向けて、男はアツく語りかけてくる。



「――いいえ、ひと目見て分かりました。貴方には素質があります。人が望む姿を映し出す魔法の鏡――世界に夢を見せる偶像アイドルの天稟が」



 フッフッフッフ! 楽しくなってきた私はドフラミンゴみたいになった。

 なるほど。ものは言いようである。

 多少ピントがずれているとは言え、こんな街中で私の擬態を一発で見抜いてくる人間がいるとはね。世界は広い。私もまだまだ精進が足りないな。


 己が見出したアイドルが、裏で下衆な欲望の被害者に……なるほど。そそるシチュエーションだ。一考の余地は有るかもしれない。

 まあ、それでも私はユウくんを優先するがね。すまねえプロデューサー。


「――ありがとうございます。でも、私が悪夢を見せたいのは一人だけなんです。デビュー前から熱愛しているような女の子をスカウトするのは、流石に不味いですよ?」


 にっこり微笑む私を見て、男は降参するように両手を上げた。


「……なるほど、良い笑顔です。貴方が夢を見せるという、その相手が羨ましいですね」


 ほんとぉ? 



 ***



「もしも気が変わったら連絡をください」と強引に名刺を押し付けて、男は去っていった。

 まあ、彼には悪いが、その時が来ることは無いだろう。

 私はユウくんの世界に一つだけの花になりたいのだ。

 言うなればラフレシアプロジェクトといった所である。ふははは、怖かろう。

 悲しみの欠片どころではない鉄仮面の悲惨な人生に思いを馳せつつ、見知らぬ力に流されるように私は今後のプランを考える。


 なにはともあれ、優先すべきは不良枠こと神田くんの攻略である。

 多少ひねくれているとはいえ、所詮はマイルドヤンキー。クラスメイトの可愛い女の子に距離を詰められて、満更でもない様子ではあるが、私とだけ仲良くなられても困る。

 スキル【寝取られの予兆】を発動してもらう為にも、彼にはユウくん達ともそれなりに親しくしてもらいたい。その為には私達の仲良しグループ()に彼を取り込むのが一番だ。

 元々フユキくんとは多少の付き合いがあるみたいだし、こちら側に引き込むのはそう難しくないだろう。



『……何だか、いつも寂しそう・・・・にしてる男の子が居るなーって』



 これは神田くんの気を引くために適当な出任せを言った訳ではない。

 一匹狼などと言えば聞こえは良いが、要するに彼はぼっちである。浅い付き合いの不良仲間は数人居ても、友人と呼べるほど深い関係の人間が居ないのだ。

 無論、世の中には孤独を望んで独りになる人間も星の数ほどいるが、神田くんの場合は巡り合せが悪かった結果、今の状況になっているのであって、本人が心底から望んだ孤立ではない事は明らかである。


 ならば、意地を張って一人で居るなんて、そんなのつまらないだろう? 

 私が見るに、彼は友人と一緒に馬鹿をやっている方が、輝くタイプの人間だ。

 人よりも一度ばかり多く人生をやっている私だから分かる。学生時代というのは、当事者が思っているよりもずっと貴重で一瞬だ。

 そんな大切な時間を、一人で退屈に過ごすなんて、あまりにも勿体ない。


 もっと遊ぼうぜ、神田くん。


 誰かと馬鹿騒ぎしたり、恋愛にうつつを抜かしてみたり、青春の醍醐味というのは大抵一人じゃ出来ないことばかりだ。


 神田くんには心を許せる友達が必要なのだ。私はその一人になりたい。

 この先の人生で、何度でも思い返す学生時代の思い出。未来の自分を励ますアルバムに、私も混ぜてほしいのだ。




 そのためには弱った心に付け入るのが一番である。

 今ならば神田くんの傷ついた心の最奥に、私という存在を刻み付けることは容易いだろう。

 希少性というのは、それだけで深く人の記憶に残るものだ。

 青春時代に想いを寄せていた女の暗く淀んだ記憶――ドロドロの愛憎劇なんてレア体験は、未来永劫に神田くんの脳を苛み続けることだろう。たまんねェぜ~~。


 神田くんの青春時代のアルバムには、私さえ居ればいいのだ。この音虎ねとら 玲子れいこさんがナ。

 フッフッフ……クハハハッ! アーーッハッハッハッハァ!! 



 ***



 教室の扉を開けると、視線が集まり周囲の空気が少しだけ冷める感覚。

 ほんの少しだけ間を開けて、何事もなかったような素振りで、不自然にいつも通り振る舞おうとするクラスメイト達。

 ああ、この居心地の悪い感覚。いつも通りだ。

 俺――神田かんだ 光一こういちの学校生活は二年生になっても何も変わらない。



「神田くん、おはよー!」



 ――そんな俺の諦観は、馬鹿みたいに明るい女の声に、あっさりと破壊された。



「……おう」


 あまりにも素っ気ない俺の返事に、目の前の女子――音虎ねとら 玲子れいこは可愛らしく頬を膨らませた。


「むぅ、もしかして私の名前もう忘れたの?」

「んな訳ねえだろ」

「なら、ちゃんと呼んで。はい、どーぞ」

「……はよ、音虎」


 俺が名前を呼ぶと、音虎は何が楽しいのか上機嫌な笑顔を浮かべた。

 そんな俺達の様子を見て、周囲からの奇異なものを見るような視線が、音虎にまで寄せられる。


 別に俺は慣れているからいい。……だが、何もしていない音虎にまで、そういう白けた目が向けられるのは、何故だか我慢ならなかった。

 柄にもなくHR前に登校したことが馬鹿らしくなった俺は、教室から立ち去ろうとするが、それを邪魔するように背後から肩に手が回ってくる。

 振り返ると、そこには快活な笑みを浮かべる来島くるしま 冬木ふゆきの姿が有った。


「はよーっす、光一」

「……冬木か」

「なーに帰ろうとしてんだよ。珍しく遅刻してないんだから勿体ないって。……というか、光一ってレイと知り合いだったのか?」

「あー、それは……」


 屋上での一件を話すと、必然的にタバコの話になってしまう。

 どうしたものかと考えていると、横から音虎が割って入ってきた。


「昨日、ちょっとね。たまたま屋上で空を見ながら黄昏れているアンニュイな神田くんを見ちゃって」

「はぁ!? お、お前何を――」


 音虎の言葉に要らん想像をしたのか、冬木が堪らず吹き出していた。


「ぶはっ! ちょ、お前そんなかわいい事してたの!?」

「ち、ちがっ……!」

「『……ダサ過ぎんだろ、俺』」

「ぶほぉっ!」


 音虎が声を低くしてモノマネをすると、冬木が呼吸困難になりそうなレベルで笑い転げる。

 ……というか、こいつ音虎何処から見てたんだ。

 てっきり、タバコに咽ている俺をたまたま見つけただけかと思っていたのだが、この様子だと随分前から屋上で俺を見ていたらしい。

 羞恥心に顔が赤くなるのを感じていると、冬木と音虎の頭がポカッと軽く小突かれた。


「「あたっ」」

「レイちゃんもフユキくんも朝からうるさいよ? ごめんね、神田くん」

「あー、おう。お前は……」


 見知らぬ男子は、その優しげな顔立ちに微笑みを浮かべると、こちらに手を差し出してきた。


立花たちばな 結城ゆうき。レイちゃんとフユキくんの幼なじみだよ。よろしくね」

「……神田かんだ 光一こういちだ」


 その余りにも害意のない声色に、毒気を抜かれた俺は差し出された手を握る。その様子を見て、音虎が不満そうに声を上げた。


「なんだか、私の時と態度が違わないですかー?」

「……お前は初対面の時から微妙に煽ってきたじゃねえか」


 俺の言葉に思い当たる節が有ったのか、立花が苦笑しながら頬を掻く。


「あ~……レイちゃんって割と無意識にそういう事する傾向が有るから……ごめんね、神田くん」

「……ん、別に立花が謝る必要はねえだろ。……まあ、幼なじみってんなら、もうちょっと手綱握っとけ」

「扱いわるーい! 私、女子! もっと優しく扱って!」


 俺達がそんな馬鹿みたいなじゃれ合いをしていると、いつの間にかこちらに向けられていた嫌な空気感は霧散していた。


「…………」


 その切っ掛けを作ってくれたのは、間違いなく目の前の女で――




「――神田くん」

「……ん?」


 小さく囁くように音虎が俺に声をかける。

 その表情は、からかわれて憤慨していた先程までとは打って変わって、穏やかな微笑みを浮かべていた。


「学校、きっと楽しくなるから。これからもよろしくね?」

「……けっ」


 返事もせず、俺はそっぽを向く。

 窓ガラスに反射した背後には、にこにこと嬉しそうに俺の背中を見ている音虎の姿が有った。


 正直、学校生活に大した期待はしていなかった。

 適当に登校して、テストでそれなりの点数を取って、ダラダラと退屈に楽ちんに過ごす。そんな毎日を予想していた。



 ――だが、これからは何だか騒がしくなりそうな気がする。

 あくせくと忙しなく、面倒くさいが――そう悪くない学校生活が始まってしまいそうな、そんな予感が。

 そう思わせるような朝の出来事だった。


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