53.閃光のように



「――何やってんだ、俺は」



 校舎の屋上の片隅で俺――神田かんだ 光一こういちは独り項垂れていた。

 隣の席の女子……名前も知らないアイツに言われた言葉が、脳裏で繰り返し再生される。



『……何だか、いつも寂しそう・・・・にしてる男の子が居るなーって』



 見当違いな言葉――だったなら、これほど胸がざわつく事は無かっただろう。

 両親に相手にされず、拗ねてイジけて悪ぶって。

 ……なんだ。あの女子の言う通り、ただの甘ったれなクソガキじゃねえか。


「――クソッ。図星さされて、女に八つ当たりするみたいに逃げ出して……ダサ過ぎんだろ、俺」


 自己嫌悪に灼かれながら、先程の教室の空気を思い出す。

『ああ、また問題児が何かやってるよ』そんな居心地の悪い空気。

 別に手を上げたり、大きな声を出した訳ではない。

 だが、周囲から見れば、新しいクラスメイトと交友を深めようとする女子に、俺が癇癪を起こしているようにしか見えなかっただろう。

 ……まあ、そう見られてしまうような日頃の行いをしている俺が悪い。完全に自業自得である。


 自責の念。罪悪感。自己憐憫。怒り。羞恥心。諦観。


 様々な負の感情が胸中に渦巻き、定まらないネガティブ思考が破裂する先を求めて、四肢を駆け巡る。


「……ん、そういえば――」


 数ヶ月前の記憶を遡り、カバンの奥底を漁る。

 そこには、不良仲間から押し付けられるように渡された煙草とライターが潰れて入っていた。

 当時はその場の空気で受け取ってしまったが、喫煙に対して興味が有った訳でも無かったので、適当に処分するつもりだったのをすっかり忘れていたのだ。


「……気晴らしぐらいにはなるか」


 半ば自暴自棄になっていた俺は、ぐしゃぐしゃになった紙タバコの包装紙を開けると、取り出した一本を口に咥えて火をつける。


「――――すぅ……っ!? ぶっ! げほっ! ごほっ!」


 煙を肺に吸い込んだ瞬間、今まで感じたことのない未知の感覚に、身体が拒絶反応を起こす。

 馬鹿みたいな――否、馬鹿そのものである自傷行為の代償として、俺は目尻に涙を浮かべながら、跪いて咳き込む。

 世の喫煙者は、何が楽しくてこんな苦くて辛いものを吸っているのか。少なくとも自分は二度と吸うことはないだろう。そう決心しながら、肺に入った異物を吐き出すように咳を続けた。




「――か、神田かんだくん。大丈夫?」

「げほっ、ごほっ…………あぁ?」


 ふと、気がつけば俺の背中を誰かが労るように擦っていた。

 目尻の涙を拭いながら顔を上げると、そこにはあの名前も知らない女子が、心配そうな顔で俺の背中を擦っていた。

 咳き込むのに必死で気づかなかったのか――いや、そもそも何でこの女がここに? 


「て、てめっ……なんで……ごほっ!」

「ああ、もうっ。無理して喋らないのっ。大丈夫? 水、飲める?」


 そう言うと、少女はミネラルウォーターのペットボトルをこちらに差し出してきた。

 ……色々と言いたい事はあったが、息も絶え絶えだった俺は渋々ペットボトルを受け取ると、口中の最悪な後味を流すように、水を飲み込んだ。


「けほっ……はぁ、はぁ……」

「落ち着いた?」

「……ああ、その、なんだ。ありが――――ッ!」


 呑気に礼を言おうとしていた俺と少女の視線の先に、咳き込んだ際に落としていた煙草の吸い殻が転がっていた。



「…………」

「あ、いや、これは……」



『これは』――何だというのか。

 見たままが全てじゃないか。問題児が隠れて煙草を吸っていた、それだけである。

 吸ったのはこれが初めてだとか、もう二度と手を出すつもりは無いだとか、そんなくだらない言い訳をして何になるというのか。



「――――神田かんだくん」

「……っ」


 何を言われるのか。

 名を呼ばれた俺は身を固くする。

 図星をさされて逆上するように逃げ出し、隠れて不貞腐れるように煙草を吸っていた問題児に、彼女のような優等生が何を思うのか。


 どうしようも無い阿呆に呆れるのか。

 住む世界が違うと軽蔑するのか。

 話が通じない厄介者だと恐怖するのか。




「口、開けて?」

「……は? ――もごっ!」


 彼女の意味の分からない言葉に、俺は間抜けな声を上げる。

 少女はそれを無視するように、俺の口に硬い何かを突っ込んだ。煙草の煙とは違う、甘辛い刺激が口中を満たす。数秒遅れて、俺はそれがミントキャンディーの強烈な刺激だと気づいた。


「はい、ちょっと頭下げて目を閉じて? ……早くっ」

「もごっ、な、何を――わぷっ!」


 矢継ぎ早に少女から飛んでくる指示に、俺は訳も分からず従ってしまう。

 ……何というか、彼女の言葉は"意識の隙間"を突いてくるのだ。

 "機先を制する"とでも言うのだろうか。こちらが何か行動を移すタイミングを綺麗に潰してくる。

 まるで洗脳されているかのように、俺は彼女の言葉に素直に従ってしまうと、『シュー』という空気が抜けるような音と共に、俺の頭にシトラスの香りがする気体が振りかけられる。


「――うん、これで多分大丈夫かな。ただのヘアスプレーだけど、何もしないよりは良いと思うから」


 スンスンとこちらの香りを嗅いでくる少女に、気恥ずかしくなった俺は慌てて距離を取った。


「さ、さっきから何してんだよっ!」

「ニオイ消し。本当は歯磨きして、シャワーでも浴びた方が良いんだけど……ひとまず応急処置。これで誤魔化せるとは思うけど、先生に何か言われる前に早く帰った方がいいよ?」

「そういうことじゃ――」

「……それと、ごめんなさい」


 勢いに乗せて言い募る俺を止めるように、彼女が深く頭を下げていた。


「はぁ? 何のマネだよ」

「……さっき、教室で凄く失礼なこと言っちゃったから。神田くんのこと、よく知りもせずに適当なこと言って。怒らせちゃったよね……」


 心底申し訳無さそうに告げる声に、俺は何も返せずに深くため息を吐いた。

 ……本当に調子の狂う女だ。


「……別に、お前の言葉に怒ってた訳じゃねえよ。……俺の方こそ、誤解させるような態度して悪かったな」

「……うん、ありがとう。やっぱり、優しいんだね。神田くん」


 俺の言葉に、少女は安心したように微笑む。

 教室で見た時も思ったが、そのアイドルの様な端正な顔立ちに笑顔を向けられて、照れくさくなる心を誤魔化すように、俺はついつい悪ぶってしまった。


「けっ、優しいもんか。ご覧の通り、学校で煙草ふかすような悪ガキだぞ?」

「ふふっ。でも煙草吸ったの、今日が初めてでしょ?」

「……何でそう思う?」

「あんなに咽てたんだもん。吸いなれてる人は、ああはならないでしょ? それに、神田くんの歯って真っ白で綺麗だし、いつも吸ってる人なら、もっと髪や服に匂いが染み付いてるもん」

「…………チッ」


 名探偵様に全て見透かされていた俺は、敗色濃厚を悟る。

 吸い殻を拾い上げて、逃げ出すように屋上を立ち去ろうとする背中に、少女から声がかかる。


「でも、もう吸っちゃ駄目だよ? 隣の席がタバコ臭いの嫌だもの」

「……わーってるよ、もう懲りたっての。じゃあな――あ~……」


 そして、俺は今更ながらに少女の名前を知らないことを思い出した。



「……お前、名前は?」

「むぅ、隣の席のクラスメイトの名前も知らないの?」

「……いいから教えろ。覚えてやっから」


 バツが悪そうに頬を掻く俺に、少女は『仕方ないなあ』といった感じで微笑みを浮かべた。



「私の名前は――」




 ***




音虎ねとら 玲子れいこ。ちゃーんと覚えてね?」



 私だよォ~~。


 こちらに背を向ける神田くんに、歯を剥き出しにしてギラリと太陽のような笑顔を浮かべる少女。

 そう、私である。


 太陽といえば、ダイの再アニメ化の最終回は凄かった。

 2年間ほぼ息切れせずに、きっちり原作再現をしてくれた幸せなアニメ化だったと言えるだろう。

 私もユウくんの脳を破壊した末には、ユウくんか選外になった間男の誰かに背中を刺されて地上を去るつもりなので、概ねダイと同じ光属性の人間と言えるだろう。閑話休題。



 今日から私も中学二年生。

 無事にユウくん達との同クラスもツモり、そして予てから目をつけていた不良少年と隣の席になるという幸運に恵まれることにも成功した。

 やはり私は神に愛されている。はっきり分かんだね。つまり私の行いは全て神によって認められているという事であり、それによって生じる全ての責任は神に帰結するのである。私は悪くない。



 神田かんだ 光一こういちくん。


 経済的に恵まれた家庭に産まれながらも、両親から放任気味の扱いを受けたせいで、少しばかり世を拗ねてしまったマイルドヤンキーである。

 サボタージュや夜間外出等、法に触れない範囲でアウトロー行為に勤しみ、両親に構ってもらいたい可愛いチワワのようなハートを持つ男の子。

 思春期男子らしい潔癖症であり、中二病も患っているのか。悪ぶってはいるが卑劣な行いは忌避しているし、分かりづらくはあるが女子に対して割と紳士的である。

 迷子が泣いていれば交番まで連れていくし、道行くご老人に助けを求められれば、渋々手を貸す程度にはお人好しな少女漫画みたいな男でもある。

 間男枠に育て上げるには、少しばかり攻略がイージー過ぎる気もするが……つまんねー男だった場合は、適当なところで切って捨ててしまえば良いだろう。

 後腐れ無くリリースする手法については、プロトタイプ不良枠たちでノウハウを会得している私には容易いことである。



 支配してやるぜェ~~。神田くゥ~~ん。

 その幼気な心に出来ちまった隙間をさァ、埋めてやんよォ。

 この優しい優しい音虎 玲子サンがなァ~~。

 クックック……フハハハッ! アーーッハッハッハッハァ!! 



 幸先の良い二年生編のスタートに、私は気分良く高笑いを(心の中で)するのだった。


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