50.一流の寝取られ女は家族の脳も破壊対象



「はーい……あら、レイコちゃん」

「こんにちは、おば様」



 閑静な住宅街の一角。

 インターホンの音に呼ばれて、立花たちばな 結城ゆうきの母が玄関の扉を開けると、そこには息子の幼なじみである音虎ねとら 玲子れいこが立っていた。


「ひょっとして、ユウキのお見舞いかしら?」


 風邪で学校を休んでいる息子の見舞いかと、ユウキの母が尋ねると、レイコは肯定するように学生鞄を軽く持ち上げる。


「はい、あと学校のプリントとかも届けに……あっ、でも、ユウくんの具合が悪いようでしたら、私はここでお暇しますが……」

「ああ、それなら大丈夫よ。インフルエンザでも無かったし、熱も昼頃には殆ど落ち着いてたから」

「そうなんですか? 良かったぁー……」


 心底安堵した様子で微笑みを浮かべるレイコの姿に、ユウキの母は微笑ましいものを見ているような暖かい気持ちになる。


 二人に直接確認した事こそ無いが、ユウキがレイコの事を好いているのは、露骨に態度に現れていたし、レイコの方もユウキのことを憎からず想っているのは、外野から見ても明らかであった。

 お互いの気持ちなど、これ以上無いほどハッキリと示されているというのに、未だに交際に至っていない甘酸っぱいピュアな恋愛模様に、ユウキの母は趣味が悪いと分かっていても、ついついニヤニヤと面白がって観察してしまっていた。


 ……無論、初恋が幸せな形で成就すると根拠もなく思える程、ユウキの母は子供では無い。

 しかし、もしも息子が彼女と家庭を持ってくれたなら、私はさぞかし義理の娘を溺愛してしまうだろうな、と思う程度には、ユウキの母は天真爛漫で純粋無垢なレイコの事を気に入っていた。


「レイコちゃんが良ければ、ユウキに顔を見せてあげてくれないかしら?」

「え、えっと……それじゃあ、少しだけ、お邪魔します」

「ふふ、こんな可愛い子がお見舞いに来てくれるなんて、我が息子も中々やるわねぇ」

「お、おば様っ。からかわないでくださいっ」


 ユウキの母の言葉に、顔を真っ赤にするレイコ。

 彼女はこんなにも露骨に好意を表しているというのに、未だにあと一歩を踏み出せないでいる息子の不甲斐なさに、ユウキの母は思わず溜息をつきそうになる。

 幼い頃から引っ込み思案な気がある息子ではあったが、レイコほど美しい少女がいつまでもフリーだと思っているようならば、危機感が足りないにも程があるというものだ。

 息子の友人であるフユキくん辺りに、彼女を横から掻っ攫われる前に、悔いのない行動をしてほしいものである。

 息子の私室がある二階へと向かうレイコの背中を見送りながら、ユウキの母は息子の初恋が成就するように、それとなくサポートする程度には、二人にちょっかいを出そうと決意を新たにするのだった。



 ***



「――はぁ、暇だなぁ」



 ベッドに横たわりながら、僕――立花たちばな 結城ゆうきは、ぼんやりと天井を見上げる。

 早朝から感じていた悪寒と頭痛は既に治まっていたが、薄っすらと感じる気怠さに、スマホを持つ気力も湧かなかった為、病人らしく只々ベッドに寝転がっていた。


「……ホワイトデーの準備、してたんだけどな」


 机に置かれたキャンディのラッピングを見つめて、深い溜息を一つ。

 キャンディの宛先は、もちろん幼なじみの彼女である。


「レイちゃんに会いたいなぁ……」

「――て、照れるなぁ」

「…………へっ?」


 ぽつりと零した独り言が、キャッチして投げ返される。

 首を横に倒すと、そこには頬を少し赤らめたレイちゃんが立っていた。


「あっ、えっ!? レ、レイちゃんっ!? ど、どうして……」

「こらっ、急に起き上がらないの。おば様から殆ど治ってるとは聞いたけど、無理しちゃだめっ」


 レイちゃんの突然の訪問に、僕は思わず起き上がるが、彼女に窘められて再びベッドに寝かしつけられた。


「え、えっと……今日はどうしたの、レイちゃん?」

「お見舞い。本当はフユキくんやユリちゃんも一緒に、と思ったんだけど……あんまり大勢で押しかけても迷惑かと思って、代表で私が来ました」

「そ、そうなんだ……」


 みんなに心配をかけた申し訳無さと、気にかけられている有り難さに、僕は何とも言えない曖昧な笑みを浮かべた。


 ――――はっ、ちょっと待て。

 僕、朝から寝汗かいたままで、お風呂に入ってないぞ。

 自分では分からないが、もしや汗臭くなってやしないだろうか? 


「どうしたの、ユウくん?」

「え、あ……いや、その……」


 レイちゃんが、きょとんとした顔で僕を見つめる。

 ……不味い。一度気にしだしたら、自分がとんでもなく臭い気がしてきた。それに寝癖とかも付いてる気がする。

 気になる女子に、無防備な姿を晒してしまっている状況に、羞恥心やら自尊心やらで顔が熱くなってきた。

 そんな挙動不審になっている僕に、レイちゃんがズイッと顔を近づけてきた。


「ユウくん? 顔が赤いけど、大丈夫?」


 やめてっ! 身だしなみも整えてない僕を、そんな至近距離で見つめないでっ! 

 そんな言葉を口にする前に、彼女が自分の額を僕の額にコツンと当ててきた。


「ん~……熱はそんなでも無さそうだけど、辛かったら言ってね? 冷えピタ貼る? お水飲む?」

「――――コヒュッ」


 至近距離にある彼女の端正な顔と、薄っすらと香る何だか凄い良い匂いで、僕はどうにかしそうだった。


「ごっ、ごめんっ! ちょっと顔だけ洗ってくるっ!」

「えっ、ユウくん?」


 色々とキャパオーバーだった僕は、逃げるように部屋から飛び出して、洗面所へと向かった。



「――っはぁ、はぁ……」


 冷たい水で顔を洗って、僕は何とか冷静になろうとする。

 本当はシャワーも浴びたいぐらいだったが、流石にレイちゃんを待たせてする事では無いので、軽く髪を整える程度で妥協する。


「……レイちゃんが部屋に来るのって、一学期の勉強会の時以来、かな」


 鏡を見つめながら、ぽつりと零す。



 ***



『お、お風呂、まだ入ってないから、やだ……』



 ***



 ベッドに横たわり、恥じらいに頬を染めたレイちゃんの姿が、脳裏に鮮明に蘇る。


「――なに考えてんだ僕はっ!?」


 手のひらに、レイちゃんの胸の感触まで蘇りそうになった僕は、追加で冷水を頭に浴びせる。


「…………うわ、最低だ。僕って……」


 下半身に血流が集中しかかっている自分に、僕は深い自己嫌悪に陥った。

 レイちゃんは、混じり気のない純粋な善意でお見舞いに来てくれているというのに……僕って奴は、そんな彼女にいやらしい目を……



「……いや、でも女子が部屋に遊びに来るのって、OKって意味だってネットで見たな……」


 僕はこびり付いた煩悩を再び冷水で洗い流した。




「……ユウくん? 中々戻ってこないから気になって――って、何やってるのっ!?」


 中々部屋に戻ってこない僕を気にしたレイちゃんが、洗面所の扉を開けると、そこには蛇口と頭をくっつけて冷水を浴びている馬鹿が居た。


 レイちゃんが慌てて僕を洗面台から引き剥がそうと、背中から羽交い締めにしてくる。

 ……パジャマ越しに、レイちゃんの胸が『ぐにゅう』ってなった。

 洗い流した筈の煩悩が、時空を越えて排水口から宿主へと逆流する。


「あっ」


 レイちゃんの視線が、僕のエライことになっている下半身へと向けられた。詰みである。


「――も、もうっ! もうっ! ユ、ユウくんのえっち! お、おば様がいるのに、そういうのはだめっ!!」


 レイちゃんが顔を真っ赤にして、照れ隠しをするように僕のずぶ濡れになっている頭を、タオルでわしゃわしゃと乱暴に拭いてくる。

 ……母さんが居なかったらOKみたいな発言は本当に止めて欲しい。童貞には刺激が強すぎる。

 というか、一人にして。テントを隠させて。レイちゃん、わざとやってない? 


 結局、ドライヤーでしっかりと頭を乾かすまで、僕は彼女にされるがままになった。コロシテ……



 ***



「ご、ごめんねユウくん。騒がしくしちゃって……」

「あー、うん。その……気にしないで。というか、色々忘れてくれると助かるかな……」

「はい……」



 洗面所でのドタバタから部屋へ戻ると、なんだか気疲れしてしまった僕は再びベッドに潜り込んだ。

 申し訳無さそうにしているレイちゃんには悪いけど、彼女にもちょっと問題はあると思う。

 普通に考えて、勃起してしまっている男に対して、そのままヘアセットを始めるのはどうかしている。

 まあ、彼女も混乱してしまっていたのだとは思うが、もう少し男性に対する警戒心を持って欲しいというのが正直な所である。

 そういうお人好しなところも彼女の魅力ではあるが、世の中の男性が僕やフユキくんみたいな人ばかりでは無いのだ。

 彼女が、その善良な心を付け込まれて"悪い男"に捕まってしまったらと想像しただけで、僕は風邪などよりも余程震えが疾走るような悪寒に襲われてしまう。

 そんな益体もない思考をしていると、レイちゃんが時計を確認してから立ち上がった。


「それじゃあ、そろそろ帰るね。また学校で」

「うん。……あっ、レイちゃん」

「ん、どうしたの?」


 帰ろうとする彼女を引き止めると、僕は机に置いてあるラッピングされた箱を指差す。


「そこの箱、バレンタインのお返しなんだ。良ければ貰ってくれるかな」

「わっ、ありがとうユウくん! 嬉しいっ」


 にっこりと華が咲くような笑顔を浮かべるレイちゃん。

 それだけで、僕は体調が回復していくような喜びが、全身を満たしていくのを感じた。


「………………」

「レイちゃん?」


 不意に、彼女はベッドで寝ている僕に近づくと、僕の頬に軽くキスをした。


「えぁっ……!?」

「ふふ、風邪うつっちゃったかも。早く良くなってね、ユウくん」


 それだけ告げると、彼女は羽のように軽やかに僕の部屋から出ていった。



「……えぇ~~……もう、なんなの……これで僕たち、まだ付き合ってはいないことになってるの? 嘘でしょ……」



 また熱上がりそう……


 彼女の中で、僕は一体どういう扱いになっているのか。

 まさか、レイちゃんは僕をペットか何かと思っているのでは無かろうか? 

 悶々としながら僕はベッドの上で唸るのだった。


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