22.サマーデイズ~山茶花 千尋②~



 俺――山茶花さんざか 千尋ちひろには危なっかしい従姉妹がいる。



「くぁ――ばあちゃん、おはよー」


 夏休みの恒例行事である祖父母の家への帰省。

 地元では感じられない濃密な緑の香りに非日常を感じ、少し高揚しながら俺は目覚めた。


「おはようさん、千尋ちひろ。えらい早起きだぁねぇ」


 寝室として提供されていた部屋から、のそのそと出てきた俺に、感心感心と祖母が快活に笑う。

 ま、早く起きた方が一日を長く感じて得した気分になるし、早朝の方が涼しくて過ごしやすいからな。


玲子レイコちゃんが"じょぎんぐ"から帰ってきたら朝ごはんにしようねぇ」

「……あいつ、また走ってんのか。運動部でも無い癖によくやるぜ」


 小馬鹿にしたように呟きながら、俺は冷蔵庫から冷えた麦茶のピッチャーを取り出して、洗ったばかりの水筒に流し入れる。

 水筒の蓋がしっかり締まっているのを確認した後に、それを小脇に抱えると、サンダルを履いて平屋の玄関を出た。

 日差しの熱をまだ吸っていないアスファルトの上を、涼し気な風が撫でるのを感じながら少し歩くと、自販機とベンチだけが置いてある、どういう人間が利用しているのかサッパリ分からない休憩スペースに俺は座り込んだ。


「……そろそろか」


 手元のスマホで時間を確認して、俺は呟く。

 程なくして、薄手のスポーツウェアを着込んだ少女――件の"危なっかしい従姉妹"が、軽く息を弾ませながら道の角から現れた。


「――あれ、チーちゃん? おはよー、早起きだねっ」

「夏休みだってのによくやるぜ。向こう地元でも毎日欠かさずジョギングしてるんだろ? ばあちゃんちに来てる間ぐらい休めばいいのによ」

「もう習慣になっちゃってるからね。走らないと逆に落ち着かないよ。それにこっちは人も車もいないし、空気が綺麗だから走ってて気持ちいいよ。夕方にも走るけど、チーちゃんも一緒にどう?」

「ノーサンキュー。……んっ」


 俺はベンチに置いていた水筒を、危なっかしい従姉妹――音虎ねとら 玲子れいこに押し付ける。


「ん、なにこれ?」

「……麦茶。ばあちゃんちから持ってきたけど、飲まなかったからやる」

「えっ、わざわざ持ってきてくれたのっ!? うれし~~っ! ありがとう、チーちゃん!」


 この程度のことで大げさに喜ぶレイに、俺は照れくさくなりそっぽを向いて言い訳をする。


「べ、別にレイのためじゃねえよ! 俺が散歩がてら飲もうとしたけど、思ったより涼しくて必要無かっただけだっ!」

「それでも嬉しいよっ。早速いただくね?」


 レイが水筒を傾けて喉を鳴らす。

 僅かに汗ばんだ白い喉が動く様が、妙に色っぽく見えてしまい、俺は思わず見入ってしまった。


「……ふぅ。あっ、チーちゃんも飲む?」


 そんな俺の視線に、何を勘違いしたのか水筒をこちらに差し出すレイ。

 ……こいつ、間接キスとかそういうの何も考えてないのか? 

 正直、かなり水筒に手が伸びそうになったが、プライドやら羞恥心やらが許さなかった俺は、レイの申し出を固辞した。


「……い、いらねえ。喉渇いてねえし」

「ん、そう? それじゃ、帰ろっか。走ったらお腹すいちゃった」


 ……帰るのはいいが、なんだその差し出した手は。まさか、繋げと言っているのか? 


「……ガキじゃねえんだ。手なんか繋がなくても平気だっての」

「え~、チーちゃん冷たい~」


 ぶぅぶぅ文句を言いながら、先を歩く俺の隣にレイが駆け寄る。

 ……正直、レイに隣に立たれるのは結構嫌だ。

 俺は身長があまり高くない。クラスの中でも下から数えたほうが早い程度には。

 見上げるように目線を上げなければ、隣のレイの顔が見えないという事実は、男としてのちっぽけなプライドを、チクチクと攻撃されているような気分になってしまう。



 ……ましてや、見上げる相手が憎からず思っている女というなら、尚更惨めというものだ。


「朝ごはん楽しみだなー。おばあちゃんの漬けた梅干しって、フルーティーでご飯がいくらでも入っちゃうんだよね~」


 そんなこっちの気持ちを欠片も察していない鈍感馬鹿に、俺は苛立ちからついつい悪態をついてしまう。


「デブるぞ」

「…………ふ、ふふーん! 大丈夫だもんね! わ、私が何のために毎日朝夕走ってると思ってるのかなっ」

「声震えてんぞ」

「震えてません。私、腹筋とか結構凄いんだからねっ! プランクとかも毎日欠かさずやってるんだから!」

「ほーん、あっそ」

「あーっ! チーちゃんが信じていない! お姉ちゃんの言葉を疑っているーっ!」


 ムキーッと俺の言葉にコロコロと表情を変える彼女が可愛くて、俺はニヤつきそうになる表情を頬の内側を噛んで誤魔化す。



 ――すると、この従姉妹は突然とんでもない事をやりだした。


「本当だもん! ほら、見てチーちゃんっ! シックスパックでは無いけど、ちゃんと腹筋の溝とか有るからっ!」

「――ぶっ!?」


 ベロンとスポーツウェアの裾をめくって、いきなり腹部を見せつけてきたレイに、俺は一瞬意識が飛びそうになった。


 シミ一つ無い真っ白な肌に、本人が言うだけある細く引き締まった腰。

 うっすらと僅かに縦ラインが入った腹筋の溝と、縦長の形の良い臍に、俺は目を逸らす余裕すら無く魅入ってしまう。


 そんな俺の様子に何を勘違いしたのか、この馬鹿は自慢げに鼻を鳴らすと、更に頭痛がしそうな事を言い出した。


「ふふーん! すごいでしょ、チーちゃん。ほら、ちょっと触ってみる?」




「……こ、このお馬鹿っ!」

「あいたっ!?」


 思わずレイのお腹に手が伸びそうになるのを、鋼の意思で封じ込めると、俺は勢いよく馬鹿の頭を引っ叩いた。


「こ、こんな往来で、男に腹見せる馬鹿があるかっ!」

「……えっ、男? ……どこに?」



 こ こ だ よ っ !!! 



 もうそれなりに長い付き合いになるが、この女は万事がこの調子なのだ。

 変にお人好しで面倒見が良い癖に、性的なことに関するガードが恐ろしく緩いし、本人には絶対に言わないが、容姿だってハッキリ言ってかなり良い。

 いつか悪い男に引っかかるんじゃないかと、毎年顔を合わせる度に気が気じゃないのだ。


 俺は朝から激しい疲労感に襲われつつ、深いため息を吐くのだった。



 ……あのヘソ、忘れられるかな。

 目に焼き付いてしまった従姉妹の蠱惑的な窪みを、童貞特有の潔癖感から必死に頭から追い出そうとして、俺は赤べこみたいになった。


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