17.来島冬木は歪む



「中間試験が終わったその日にもう練習? フユキくんは本当にサッカー好きだねぇ」



 定期試験の全科目終了日。

 午前中に下校となった俺――来島くるしま 冬木ふゆきは一人公園でサッカーボールを転がしていたのだが、そこに彼女――音虎ねとら 玲子れいこはやってきた。


「怠けるとすぐ鈍るからな。試験期間中も少しはボール触ってたけど、人目を気にせず大っぴらに蹴れるのは久しぶりだから、な!」


 彼女がスポーツウェアだったのを見た俺は、レイに向かって高めにボールを蹴ってパスする。


「ほっ、よっと」

「お見事。やっぱ運動神経いいな、レイは」


 飛んできたボールを胸でトラップしたレイは、そのまま危なげなくリフティングに移行する。

 その淀みのない動きに、俺が純粋に称賛すると彼女は勝ち気な笑みを俺に向けた。


「ふふ、見惚れちゃった?」

「抜かせ。レイより上手い奴なんざ腐る程見てるんだから、その程度で惚けるかよ」


 ……秘めた感情を見抜かれないように、俺はつい強めの言葉でレイを笑い飛ばすと、彼女はぶぅと可愛らしく頬を膨らませる。


「むぅ、中学生になってから、フユキくんもユウくんも大人びちゃって。本当に可愛くないんだからっ」


 レイが一人ジャンピングボレーで俺にボールを返した。

 ……本当に運動能力ヤバイなこの女。何で文芸部なんかやってんだ。


「ユウキと白瀬は?」

「二人とも試験疲れでダウンしてるから、今日の私はぼっちでーす」

「おいおい、一学期の中間試験なんてそんなハードな内容じゃないだろ。大丈夫か、あの二人?」

「慣れないイベントに気疲れしちゃっただけでしょ。試験自体は二人とも大丈夫だよ。……多分」

「そこは断言してくれよ。不安になるわ」


 ケラケラと軽口混じりに、レイとお互いのボールをパスし合う。


 ボールの感触。

 風の匂い。

 なんてこと無い親友レイとの会話。

 その全てが心地よくて、自然と頬が緩む。



 ――今、俺は彼女レイを独占出来ている。そんな昏い喜びが自己嫌悪と共に、己を灼いた。



「――んで、ユウキと喧嘩でもしてんの?」

「……へっ?」


 唐突な俺からの言葉のパスに、呆けた彼女の頭頂部にボールが落下する。


「あいたっ。……えーっと、なんで?」

「ユウキもレイも付き合い長いからな。見てりゃ、ぎこちない空気なんざ分かる」

「あはは、よく見ていらっしゃる……」


 彼女は苦笑いしながら、頬を掻いた。どうやら図星だったようだ。


「それで? 何が有ったんだ?」

「ん~~……別に、喧嘩してる訳じゃないんだけどね。ちょっと気まずい感じになってるというか……」

「なんだそりゃ?」


 要領を得ないレイの言葉に、俺は苦笑いを浮かべる。


「別に言いたくないならいいけどよ。俺だってユウキと同じ程度には、お前のことを大切な友達だと思ってるんだぜ? あんま仲間外れにしてくれるなよ」


 ……嘘だ。レイとユウキだけが共有する秘密が有るという事実に、俺が耐えられないだけだ。

 そんな醜い嫉妬心を、さも友人を心配しているという虚像で俺は覆い隠す。


「あー、まあ、フユキくんならいっか……本当に大した話じゃないんだけど……」

「おう」

「そ、その……この間、ユウくんに……む、胸を触られて……」

「………………は?」


 自分でも信じられないほどに冷たい声が漏れた。

 同時に、親友である筈のユウキへの悍ましい感情も。


 ……俺は、それを慌てて『なんだそんなことか』と呆れているような表情と声色に作り変える。幸いにも俺の異変にレイが気づくことは無かった。

 彼女はそれよりも赤面して言い訳するように、両手をあっちこっちへと忙しなく動かす。


「も、もちろん変な事しようとしたんじゃなくて、ただの事故だよっ!? でも、その、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいというか……それで、ついちょっと最近ユウくんに他人行儀になっちゃったっていうか……!」

「はぁ~~……なんというか、想像以上にくだらない理由で、逆に安心したわ」

「く、くだらないって何よ! フユキくんだって、うっかり私のおっぱい触っちゃったら、気まずくなるでしょっ!?」

「ならんならん。どんだけ付き合い長いと思ってるんだ。今更、胸触ったぐらいでどうこうなる関係かよ」


 ムキになる彼女が可愛くて――否、ユウキを通してじゃない。今この瞬間は俺だけを見てくれているレイが愛おしくて、俺はつい彼女をからかって遊んでしまう。


「まあ、レイが白瀬ぐらいデカかったら、少しは気にするかもしれんけどな」

「さ、サイテーっ!? ユリちゃんのことそんな風に見てたのっ!? クラスではあんな爽やかスポーツマン面しといて、とんだエロガキだよっ! ……というか私のが無いみたいに言うなっ!」

「少なくとも白瀬よりは無いだろ?」

「ユリちゃん基準なら大半の女子は無い寄りだよっ!」


 まるでコントみたいなやり取りに俺がゲラゲラ笑っていると、レイは唐突に俺の手を掴んだ。



「――――は?」


 そして、掴んだ俺の手はレイの胸に当てられていた。


「フユキくん顔にお目々付いてる!? 私だって、ちゃんと有るでしょーがっ!」


 彼女が着ている薄手のスポーツウェア越しに伝わる柔らかい感触に、俺は脳が破裂しそうな緊張から喘ぐように言葉を零す。


「は、お、おま、ばか、なにを……」

「え? …………あ」


 やっと正気に戻ったのか、顔から血の気が引いたレイが俺の手を離すと、その場で土下座を始めた。


「……大変お見苦しいところを……その、警察沙汰だけは、ご容赦を……」

「やめろ馬鹿。俺の方が通報されるわ」


 慌てて彼女を立たせると、俺は動揺を隠すように頭をガリガリと掻いて、わざとらしくため息を吐いた。


「……やっぱり、さっさとユウキと仲直りしろ。どう考えても今のお前は精神状態おかしいぞ」

「返す言葉もありません……」

「はぁ……なんか馬鹿やってたら喉渇いたわ。ちょっと自販機行ってくるから待ってろ」

「あ、う、うん……」


 今にも心臓を口から吐き出しそうな緊張を悟られないように、俺はレイに背を向けると公園の隅にある自販機に向かって歩き出す。


「…………」


 夢にまでみた彼女の体温と柔らかさを反芻するように、俺はレイの身体に触れた手を握りしめた。



 ***





「…………あざと過ぎたか? いや、思春期男子にはこれぐらいのインパクトは必要だろ。うん」



 チャートを確認する悪魔の口が、ニチャリと三日月に裂けた。


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