第36話

「どうだって?」


 デルディオが後ろから訊ねる。カルロは首を振って、息を吐き出す。

「空港は空振りみたいだな。あの電話の後すぐフライトだったとしたら、もう奴は空の上だろ」

「くそっ」

「しかしわからん。少なく見積もって、当時ここには三十名以上の側近やボディーガードがいたはずだ。そいつらをどこに隠す?」

 カルロが巨大なビルを見つめ、呟く。

「会社勤務のやつらはいなかったんだろ?」


 そう。

 今日は休日だったのだ。だから、いわゆる表向きの社員たちはここにはいなかった。


「それにしたって、」


 ガガ、ガガガ、


 目の前の無線からノイズが走る。


『あー、あー、本日は晴天なり』


 機械音とわかるおかしな声で、無線から声が聞こえる。カルロとデルディオが視線を合わせた。


「なんだ?」

『カルロ刑事に話がある』


 明らかに、ジャック。

 それがわかった瞬間、二人が身を固くした。


「お前、誰だっ?」

 デルディオが訊ねる。


『私か。私の名は、ナイトキース! 世界征服を目論む悪の大結社の総帥であーる!!』


 なにやら張り切っている感があるその物言いに、カルロは無線を切りたい衝動に駆られた。だが、相手は警察無線に割り込んできたのだ。いくら名前がダサくとも、無視は出来まい。


「……で、俺に何の用だ?」

 溜息混じりに、答える。


『ボギーは空港になどおらん! 見当違いだぞ!』

「はぁ? なんだと? お前っ、」

『いいから黙って聞け。ボギーは空港からお前に電話をしてきた、ということだな?』


(こいつ、なんでそれを…、)


「ああ、そうだ」

『それと、そこにいるはずの工作員が消えている。そうだな?』

「なっ、」

 デルディオが前のめりになる。

『私にはわかったぞ、ボギーの居場所が』


「なんだとっ?!」

「お前、誰なんだっ!」


 同時に、叫ぶ。


『会社のトラックは一台足りなくなっているはずだ。そして工作員たちはそのトラックに詰め込まれている。ボギーがいるのは海の上だ。工作員たちは商品なんだろう。海外では成人男性でも商品になる国があるからな。ほれ、早くしないと手遅れになるぞ』

「港…?」

『せいぜい頑張りたまえ、カルロ君。はーっはっはっは』


 プツ


 一方的に通信は切れる。


 カルロもデルディオも沈黙していた。と、


「カルロさん! トラックの確認できましたが、一台行方不明みたいです!」

 まだ若い、ミハラという名の刑事の言葉を聞き、カルロが無線を握り締めた。

「本部!! 港だ! 港から出た船の情報を集めろ! それから、今無線をジャックしてきたやつの解析もだっ。急げ!」

 カルロがギリ、と唇を噛んだ。

「どうなってんだ、一体」

 ナイトキースと名乗った。


(確か悪戯だと破り捨てた変な手紙の差出人がそんな名前ではなかったか?)


 今更だ。


 カルロは頭をぶるっと震わせ、デルディオを見つめ、言った。

「捕まえるぞ」


 デルディオが深く頷いた。





 それからの警察の動きは早かった。海上警備隊との連携、空からはヘリでの捜索。広い海の上にあって、領海内での確保が叶ったのは、まさにスピードの勝利といえよう。


 ボギーは抵抗することもなくあっさりと警察に捕まった。そしてタンカーに詰まれたコンテナの中からは、意識が混濁した二十八名の諜報員たちが発見されたのだ。

 これを気にヘブンへの追求も進み、二十八名は全員が、何らかの犯罪で逮捕されることとなる。


 移送される車の中で、ボギーはカルロに訊ねた。

「お前さん、なんで俺が海の上だってわかったんだ?」

「刑事の勘だ…と言いたいところだが、残念ながら、違う」

「ほぅ」

 それ以上口を開かないカルロに、ボギーもそれ以上何も聞こうとはしなかった。





 署に戻る頃にはもうすっかり夜が明けていた。署内は上へ下への大騒ぎである。なにしろあのヘブンを組織丸ごと一掃したのだから。


「カルロ君!!」

 これ以上ないくらい満面の笑みで近付いて来たのは、マクレ三番都市警察署長、ラカム・シオダである。裸にクッキーを盛られ、一時は相当病んでいたが、すっかり立ち直っているようだ。


「いやぁ、鼻が高いよ、カルロ君! 今回のことは、お偉いさんたちも相当高く評価しているぞ!」

「はぁ」


 普通に考えればこれだけのことをやってのけたのだから、喜ぶべきなのだろう。だが今回は素直に喜べない。自分の手柄では、ないのだから。


「おい、カルロ、出たぞ」

 デルディオが書類を片手に走り込んで来る。彼が手にしているのは科学警察からの返答だ。無線をジャックした犯人の声の割り出しを頼んでいた。


「で、どうなんだっ?」

「それが…、」

 手にしていた書類は、薄い。カルロが引っ手繰るように奪い取ると、目を通す。

「…特定、不能?」

「最新鋭の設備を誇る科学警察でもお手上げだったようだな」

 デルディオが両手を上げておどけてみせる。

「そうか…、」

 カルロはふぅ、と大きく息を吐き出した。


 存在を一切無視されていたラカム・シオダが、ボソッと呟く。

「私もいるんだけどなぁ?」


 カルロは手にしていた調査結果をラカム・シオダに渡す。

「これが結果です」

「あ、うん、」

 細かい報告をまだ受けていないため、首を傾げることしか出来ない頼りない署長であった。


「カルロさん、デルディオさん!」

 すごい形相で駆け込んできたのはミハラ刑事。ただ事ではない雰囲気だ。

「なんだ、」

「ボギーがっ、被疑者が死亡しましたっ」

「はぁぁ?」

「なにがあったっ?」

 カルロとデルディオが詰め寄る。

「取調べ中に急に苦しみ出して、そのまま床に倒れて……、心臓発作だろうと」

「そんな、馬鹿な…、」


(ここまで来て、心臓発作で死んだだと?)


「ちゃんと確認したのかっ?」

「はい、自分も確認しましたし、監察医も呼んで、確認してもらいました」

「身体検査はしたんだろっ?」

「勿論、隅々まで。特に怪しいことはなかったんです。毒の検出も今のところは確認出来てません」


 デルディオが片方の眉を上げる。

「お前、自殺だと思ってるのか?」


 念入りに身体検査を、といったのはカルロだ。デルディオはてっきり、危険物を署に持ち込まれることを警戒しているのかと思ったのだが。


「ヤツは一匹狼だ。孤高のな。今までのヤツの経歴からして、相当の手練れでもある。自分に自信と誇りを持って生きてるタイプの人間だ。だから、」

「自分の失敗を許せないんじゃないか、って?」

「サツにパクられて事情聴取されるだなんてのは、ヤツにとって屈辱でしかないだろう」

「だから、自ら死を、ってか?」

「……いや、わからん。わからないが…、」

 とにかく、これでボギーから話を聞くことは出来なくなったのだ。


「で、被疑者は?」

 ミハラに訊ねる。

「監察医がついてます。行きますか?」

「勿論だ」

 ミハラに着いてカルロとデルディオが刑事課を飛び出していった。


「……私も…いるんだけどなぁ」

 マクレ三番都市警察署長、ラカム・シオダが、遠い目をしてそう呟いていた。

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