第34話
「…ボギー?」
シュンの顔がサッと強張る。レイナにとってはそれが答えだ。シュンは間違いなく、ボギーを知っているのだ。
「知ってるのねっ」
咄嗟にシュンの服の裾を掴む。
「お、お前、なんだってそんな名前知ってるんだよ。カタギの世界で幸せにやってるって聞いてたんだぞ? それなのにっ」
(まさか殺し屋の名前を出してくるなんて…)
「あ、うん、まぁ、色々あって。勿論、私は真っ当に生きてるわよ? ただ、情報が欲しいってだけで」
「真っ当にって、ボギーのこと知りたい時点で全然真っ当じゃねぇよ!」
シュンは腹立たしげに声を荒げた。
「んもぅ、そんなに怒らなくたっていいのにぃ。じゃ、いいわ、ハルって人のこと知ってる?」
「へっ?」
声が裏返る。
「ハ、ハル?」
「そう、ハル。ボギーと組んでる人みたいなんだけど、結局のところ私としては、そのハルって人のことがわかればボギーはどうでもいいかな、って…え? どうしたの?」
シュンが顔面蒼白で俯いているのを見て、レイナが焦る。ボギーって人はヤバい奴だとわかっていたが、実はハルって男の方が危険人物だったんだろうか?
「……そいつに何の用が?」
シュンがロボットのような動きでギギギ、とレイナの方に首を向けた。
「用って……用があるのは私じゃないんだけどね。探して欲しいって頼まれてるの」
「まさか、組織にっ!?」
がくがくと膝を震わせ、シュン。そのただならぬ反応に、レイナが眉をひそめる。
「ねぇ…、もしかして、あんたなの?」
ドスの聞いた声でシュンの胸倉を掴む。
「あんたが、ハル~ッ!?」
目を吊り上げて、レイナ。
「ちょ、待てって、落ち着けって、」
「これが落ち着いていられるかっ! そりゃ、今でもまだ、多少悪いことやってるかもしれないなとは思ってたけど、シュン、あんた誘拐にまで手を出してるのっ? しかもボギーって殺し屋なのよねぇ、ええ? そんなのと一緒にいるって、まさかあんたっ、」
「俺はただの使いっ走りだ!」
シュンの言葉を聞き、パッと手を離す。
「……そう。そう…よね」
一線は越えてない。
それなら、まだ……。
「ねぇ、会って欲しい人がいるの」
レイナは真っ直ぐにシュンを見つめ、言った。
マクレ三番都市警察署に匿名の電話が入ってきたのは、ビル爆破現場から戻ってすぐのことだった。
「カルロさんに繋げって言うんですが」
困惑した表情で受話器を持っているのは、まだ新米の刑事。
「誰?」
カルロが訊ねると、神妙な面持ちで、答える。
「ボギーって名乗ってます」
ザワ、と署内が揺れる。
今回のビル爆破事件の第一容疑者からの電話なのだ。カルロはデルディオに目配せをする。どこから掛けているのか、調べなければ。
デルディオがすぐに駆け出した。
カルロは受話器を取り、大きく一度、息を吐いた。
「もしもし」
『よぉ、刑事さん』
それは間違いなく、ボギーの声だ。カルロは眉間に皺を寄せた。
「今、どこだ?」
『第一声がそれか? せっかちなやつだな。どうせこの電話を逆探知してるんだろ?』
「まぁ、な」
『あんたの娘は無事か?』
クララの無事を確認しようとは、驚く。
「おかげさまで無事だ。一体なにがどうなってる?」
『ああ、依頼主が気に入らなくてな。ヘブンって知ってるだろ?』
(ヘブン……、ここらを仕切ってるあの組織が黒幕か。なるほど)
「よく知ってる」
『やつら、あんたに嫌がらせしたかったみたいだな。けどよぉ、俺にまでその矛先向けるってのはいただけねぇ。だからよぉ、潰しといたぜ』
カラカラと受話器の向こうで楽しそうに笑うボギー。
「潰した…?」
カルロが繰り返す。
『あんたにとっても悪い話じゃなかろう? 街の安全守ってんだからよ』
「どういうことだっ?」
『俺は、俺に牙を向くやつを許さねぇ。ただそれだけだ。誘拐に関しちゃ、謝るよ。あんたの娘、俺は気に入ったぜ』
「なっ、」
『ま、そう怒りなさんな、って。俺はしばらく遠くに行くからよ、後始末は頼んだ。じゃぁな。カカカ、』
乾いた笑いと共に通話が切れる。
ヘブンを、潰した、と言っていた。
確かにあの組織は表向き普通の会社を装いながら、裏で法に触れる数々のことをやっている。潰してやりたいとは思っていたが、なかなか尻尾を出さないため、手を出せずにいたのも本当だ。
しかし、組織の規模は相当なもので、囲っている人数も数百のはず。潰すなどと言っても、そう簡単にはいかないだろう。少なくとも、トップ一人を始末したところで、頭がすげ変わるだけだ。しかもボギーは一匹狼。対抗できるほどの人数を集められるとは思えないのだが。
「カルロ!」
デルディオが戻る。
「どうだ?」
「あいつ、空港から掛けてやがった。高飛びする気だ!」
「よし、すぐに空港を閉鎖だ! 各国にもすぐに手配を! どこ行きの便に乗ったか、カメラで確認は取れるかっ? それからっ、」
カルロの動きが止まる。
「……それから?」
「デルディオ、ヘブンの拠点は…わかるな?」
「ん? ああ、オフィス街のど真ん中だ」
「今から行く」
上着を手に、カルロが促す。
「令状もなしにか?」
今まで一度たりとも中に入れたことなどないオフィスだ。
「多分、令状は要らない」
カルロは、そこになにがあるのかをなるべく想像しないように、車に向かうことにした。
「やれやれ、だな」
電話を切ったボギーがタバコに火をつける。
港波止場の北の宿。
彼は漁港にいた。空港から電話を掛けているように見せかけただけだ。
目の前には、小型のタンカー。
中に詰まっているのは、ヘブンの成員たちである。これから紛争地帯へ出向き、一儲けするための商品でもあった。
「それじゃ、出発するかねぇ」
タンカーに乗り込むと、咥えていたタバコを海へと投げ捨てた。
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