第33話
「一応聞きますけどぉ」
暗い裏路地を歩きながら、ラ・ドーンが気になっていたことを口にする。
「なんだ」
「まっさんがヘブンの情報を持っていたとして、そこから先はどうするのぉ? まさか乗り込む気じゃないんでしょぉ?」
可愛く首を傾げて訊ねる。
サカキはスッとラ・ドーンから視線を外す。
「…ちょっとぉ、社長~?」
「うむ、それは、だな」
ラ・ドーン、わかってしまった。格好良く事務所を出たまではいいが、この男、ノープランだ。
「思い立ったが吉日なのはいいけどぉ、なーんにも考えてないってどういうことよぉ」
「何も考えてないなんて言ってないだろうっ」
ムキになる、サカキ。
「じゃあどんな計画なのか教えてくださーい」
「それはっ、あれだ…」
「ど・ん・な?」
「臨機応変に、だ!」
言い切った。
我、ノープランである、の代名詞だ。
「はぁぁ、ほんとにもぅ」
心底呆れる。が、いつだってそうだ。サカキはノープランだ。ノープランでありながら、その都度選んだ道を正解へと推し進めるのだ。
まっさんがいる店は路地裏の小さな酒場。どうやって経営が成り立っているのか不思議なほど、人通りのない道の一角にある、寂れたスナックだ。
昔ながらの重厚なガラスの扉を押し開けると、何時間化粧をしているのか聞きたくなるほど厚塗りのマダムが、カウンター越し、気だるそうにこちらを見上げる。
「あら、珍しい」
サカキの顔を見て顔をほころばせる。
「随分久しぶりじゃないの」
まっさんは客ではない。住み込みで、働いているのだ。マダムはまっさんの姉。御年七十一。恋人が七人いるという、まだまだ現役らしい。
「あら、そっちの素敵な殿方は?」
ギラリ、とその相貌が光る。ラ・ドーンは背筋が寒くなるようなその視線に怯え、サカキの後ろに隠れた。ま、はみ出してるけど。
「悪いが花さんに紹介出来る男じゃないんだ。諦めてくれ」
苦笑いで返すサカキ。
「あら、残念。……今呼んでくるから、待っててちょうだい」
そう言うと、暖簾をくぐり奥へと消えた。
「やだ、社長、あの人怖いぃ」
大の男がカワイコぶって怯えている。しかしラ・ドーンが感じている恐怖感はある意味間違いではない。今でこそあの体だが、若かりし頃はここら一帯を仕切っていた組織のナンバー2だったらしい。ヘブンなどという組織が出来る、ずっと昔の話だろう。
しばらくすると奥から一人の男が顔を出す。
「よぉ、メールじゃ飽き足らず、店まで来たのか」
まっさんである。
派手なアロハに短パン、頭にはニット帽といういつものスタイルである。
「悪いな、どうしても詳しい話を聞きたくて」
スチールに腰掛け、サカキ。ラ・ドーンもサカキの隣に座った。まっさんは冷蔵庫からオレンジジュースを出すと、グラスに注ぎ二人に手渡す。
「いや~、いくらなんでもボギーとはねぇ。あいつはダメだろ」
まっさんは直に瓶からオレンジジュースを煽ると、溜息半分に息をつく。
「ヘブンに何の用なんだ?」
まっさんがカウンターに肘を着き、サカキを見つめた。
「潰したいんだよ」
コップのオレンジを一口飲み、真剣な顔で、サカキ。しかしまっさんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔でフリーズしていた。
「冗談だろ?」
「冗談ではない」
「お前、馬鹿なのか?」
「それは認める」
(あら、わかってるのねぇ)
ラ・ドーン、声には出さない。
「ヘブンの拠点は何処だ?」
「……俺が知ってると?」
「知ってるだろ?」
まっさんが黙る。
「あんたに迷惑はかけないさ。な?」
頼み込む、サカキ。だがまっさんは黙ったままだ。
「情報料なら、」
「そんなんじゃねぇ!」
ダンッとカウンターを叩きつけ、まっさん。
「お前さんが馬鹿なのは俺だって知ってる! どうせ今回だって誰かのためなんだろう? だがな、ヘブンを潰すだと? 馬鹿も休み休み言えってんだ! みすみす死にに行くようなもんだぞ?」
「別にヘブンに殴りこみに行こうっていうわけじゃない! だから、問題はない!」
言い切るサカキを、まっさんが鼻で笑う。
「話にならねぇな。あの組織は関わり合うだけで充分危険だ。悪いことは言わねぇから、それ飲んで帰りな」
「嫌だね」
頑固一徹同士の対決である。
(あらやだ、これ、長くなるかしらぁ)
ついてきたことを若干後悔し始めるラ・ドーンである。
「教えてあげなさいな」
奥から顔を出したのは、花。
「はぁ?」
まっさんがあからさまに嫌そうな顔をする。
「男にはね、どうしても譲れない時があるものよ。あんただってわかってるでしょう?」
まるで小さな子供を叱る母親のような口調で、言う。
「護りたい人がいるんでしょう?」
クス、と妖艶な笑みを浮かべ、花。
「ま、そんなところだ」
照れ臭そうに耳を赤らめるサカキ。
「はぁ? 女のためかよ! 女っ気ないと思ってたが、なんだ、そんな相手がいるのかっ」
(十二歳だけどねぇ)
ラ・ドーン、借りてきた猫並みに大人しく心の中だけで突っ込む。折角のハードボイルドシーンだから、邪魔はしないでおこうと思った。
「はぁぁ、そうか、それじゃ仕方ねぇな」
いともあっさり折れる、まっさん。裏の世界では『女のために』や『男のために』馬鹿をするというのが神聖な行動であるかのような風潮がある…のかもしれない。
「ヘブンの拠点は、」
近代的なビルが並ぶ、オフィス街の一角だった。
ガラス張りの壁面はマジックミラーのようになっている。
サカキとラ・ドーンは道路の反対側からビルを見上げた。高い。何階建てなんだ? これが自社ビルだというのだから、悪いことを極めると儲かるのだな、などと、どうでもいいことを考える。ま、サカキの場合、世界征服は金目的ではないので、あまり興味はないのだが。
「ここまで来たのはいいけどぉ、どうする気なんですぅ?」
真夜中だ。
ビル街はシンと静まり返っており、もちろん、ビルには誰もいないだろう。
「ううむ、どうしよう」
ビルを見上げたまま、サカキ。
「何とか入り込めないもんか」
腕を組み、考え始める。
「これだけ近代的なビルに、いきなり忍び込むぅ? ムリよぉ、カメラだってガードマンだってしこたま用意してるに決まってるでしょうがっ!」
ラ・ドーン、全否定。
「しかし、折角ここまで来て、」
二人がグダグダやっていると、遠くからサイレンが聞こえてくる。これは…警察車両?
二人は顔を見合わせ、首を捻った。
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