第32話

 レイナはそっとパソコンの画面を閉じた。


 目を閉じ、心を落ち着かせる。

 これからやろうとしていることを、もしサカキが知ったら、きっと怒るだろう。


 でも。


 それでも、自分に出来ることがあるならそれをするまでだ。


 時計を見る。

 朝までには帰れるはず。


 パッと立ち上がると、上着を片手に深夜の散歩と洒落込むことにする。





 街は静かだ。

 酔っ払い一人歩いてはいなかった。


 マクレ三番都市の中では三つ目に大きな公園…サンパークのベンチに座る。ほどなく、相手もやってきた。


「……よぉ」

 ニット帽を目深にかぶり、ダボっとしたコートに手を突っ込んで、目を伏せ、顔を背けながらレイナに声を掛けてきたのは、

「シュン、久しぶり」

 レイナは懐かしさと申し訳なさと、愛しさと切なさと何かが混じった複雑な思いで幼馴染を見る。


 シュンとは孤児院で一緒だった。


 二つ違いのシュンは、レイナにとって遊び相手でもあり、兄のような存在でもあった。しかし、大きくなるにつれ、二人の関係はまた違う形を取ろうと変化していたのだが…、

 シュンが自分に好意を寄せてくれていることに、レイナは気付いていた。気付いてはいたが、その気持ちに応えられるほど、当時のレイナは大人ではなかった。


「急にどうしたんだよ」

 シュンは少し恥ずかしそうに、レイナを見下ろす。

「うん、急にごめん」

「いいけど…、」


 シュンの告白から逃げたかったわけではないのだ。ただ、危ないことを繰り返すシュンに付き合っているうち、段々自分の存在に疑問を持ち始めた。このままでいいのか、と。


 初めは小さな悪さだった。それが次第に大きくなりはじめ、企業のハッキングや政治家への恐喝なんかにも手を染め出した。もちろん、シュンの計画ではない。当時つるんでいた仲間からの誘いに乗った結果である。

 頭の良かったレイナは重宝された。だが、同時に女であったレイナは悪い仲間たちの格好の的でもあった。シュンがいなかったある日、男たちにおかしな薬を飲まされ、あわや大惨事に、の瞬間、警察のガサ入れに遭ったのだ。


 レイナにとっては運が良かったわけだが、シュン以外の仲間は全員逮捕。レイナは少年鑑別所に一時的に入れられた。孤児院側では面倒はごめんとばかりに関りを完全拒否。引き取り手のないまま宙ぶらりんになっていた。


 そんなときだ。


 カルロと親交が深かったサカキは当時、更生保護司をしていたのだが、レイナの話をたまたま聞きつけた。そして施設に会いに来たのだ。


「ここを出たいかい?」


 真っ直ぐな眼差しで、そう聞かれた。レイナは正直、目の前の知らない男がなにをしようとしているかもわからず、随分突っかかったものだ。


「君はとても頭がいいんだってな。その力を世の中のために使ってみたいとは思わないかい?」

「は?」


 世の中のため?


 世間というのは見えない常識を掲げるだけの、大人が作り出した虚像じゃないか。自分に何もしてくれなかった。夢も、希望も与えてはくれなかった。


「ばっかじゃないの。なんで私が世の中のためになんかっ」

「それが先の未来に繋がっているからだ」

 サカキは手を組んで、レイナをじっと見つめた。

「今まで散々だったんだろ? だから悪いこともした。でも君はこの先、未来を変えられるんだ。それには知識が必要だ。金も。処世術もな。優しい人間は強くなくてはいけない。……世界を変えたくはないかい?」


 頭がおかしいのかと思った。


 悪事を働いて鑑別所に入っているガキに、世界を変えたくはないか、と本気で言っているのか?

 馬鹿にされているのかと思った。でも、目の前のサカキはとても真剣で、真っ直ぐで、だからつい、

「そんなことが出来るの?」

 そう、訊いてしまった。


「諦めなければ、なんだって出来るさ。私はそう信じている。馬鹿げているかもしれないがね」

 自覚はあるようだ。

「進むなら、今だ。君にその気があるのなら、ここを出してあげられる。学ぶ機会を与えてあげられる。どうだ?」


 自分の人生を振り返る。


 親の顔も知らず、孤児院で育った。世間からは弾かれた場所で育った。まともに学校にも行けず、ひねていじけて、挙句、悪事に手を染めて……。

 そんなことがしたかったわけではないのに。


 レイナはきゅっと唇を噛み締めた。そしてサカキの申し出に従ったのだ。





 ガサ入れを免れたシュンは、仲間たちが捕まったあと、姿を消した。だからあれから会ったことはない。


「よく覚えてたな、暗号」

 シュンはベンチに座り、レイナを見つめた。


 二人の中で決めていた非常時の連絡手段。

 あるサイトの掲示板に、暗号を書き込む、というものだ。


「覚えてるよ。二人だけの秘密の暗号だもん」

 二人でいると、時の流れなどなかったかのようだ。昔の、兄妹のような関係。

「あの時は……悪かったな」

「逃げたこと?」

「それもだけど…、お前、ヤバかったんだろ?」

 そうだった。いつも一緒のシュンがいないのをいいことに、あの時…、


「ま、結果的には無事だったわけだし、いいよ。それより、今までどうしてたの?」

 あれから三年。

 その間、シュンがどこでなにをしていたのかはまったく知らなかった。

「まぁ、色々だ。っていうか、レイナは随分変わったな」

「そうかな?」

「うん、大人っぽくなったし…その、綺麗になった…よな」

 ポリポリと頭を掻きながら、シュン。レイナもなんだかむず痒さを感じ頭を掻く。

「ばっ、ばっかじゃないっ」


 違う。こんな話をしにきたわけじゃないんだった。

 レイナはパッと立ち上がると、シュンに向き直って言った。


「今でも裏の仕事やってるの?」

 ストレートに、ぶつける。


 シュンはハッと目を見開き、それから視線を外す。それが、答えだ。


「あ、別にそのことを責めようってわけじゃないわ。もちろん、もう足洗った方がいいんじゃないかとは思うけど…、」

 なんだか説教じみてしまいそうで、俯く。

「違うの。あの、もし知ってたら教えて欲しいことがあって、」


 レイナはボギーとハルの情報を聞き出そうと、シュンを呼び出したのだ。

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