第31話
ラ・ドーンとサカキが出会ったのは、今から五年ほど前のことだ。
人生のほとんどを海外で過ごしてきたラ・ドーンは、恵まれた体躯と頭脳を持ち、更に愛国心も人一倍強かったため、国のためにと若くして軍に入った。持ち前の器用さと社交スキルの高さから、あっという間に引き抜きでシールズへ。活動は過酷であったが、やりがいを感じていたし、仲間にも恵まれていた。
どころが、だ。
遠征先で上司の不正が発覚した。あとになって知ったのだが、その上司は多額の借金を抱えており、負債解消のため不正を行ったのだそう。目撃したのはラ・ドーンと、バディ的存在だった友人のミーシャ・ロイ。信じたくはなかったが証拠もあり、本人も罪を認めたため、自首するよう説得した。
その後、本土へと同行するため前線から離脱。その道中で、事件は起こった。
あろうことかその上司は、ラ・ドーンとミーシャに手を掛けたのだ。
上司の裏切り行為によってミーシャは命を落とした。ラ・ドーンは一命を取り留めたが、その上司には逃げられてしまった。国際手配中ではあるものの、未だに捕まっていない。
それからのラ・ドーンは復讐に燃えた。そんなことは意味がないとわかってはいても、そうせざるを得ないほどに、心が病んでいた。
何故、ミーシャは死ななければならなかったの?
何故、彼は私を裏切ったの?
闇雲に探し回ったところで何の情報も得られず、軍はそのまま除隊。あてもなく各国を彷徨い、母方の故郷であるこの国に来た。体力には自信があったので、仕事には困らなかった。
そして、解体現場でサカキと出会う。
誰とも会話をしないラ・ドーンを気にかけ、あれこれおせっかいを焼き、話しかけてくるサカキを正直ウザいオッサンとしか思っていなかったのだが…、
その日はちょうどミーシャの命日……つまり、あれから一年が経った日だった。ラ・ドーンは重たい体を引き摺るように現場へと向かっていた。本当なら休む予定だったこの日、たまたま欠員が出てしまい急遽呼び出されたのだ。所詮日雇い。無視することも出来たのだが、家で一人悶々とするくらいなら働いていた方が楽かもしれない、と出向いたのだ。
少ないメンバーの中にはサカキもいた。空は曇天。現場の予定は詰まっており、現場監督は荒れていた。
そんな中、作業員もピリピリしていたのだろう、つまらないことで小競り合いが起きた。誰が誰を突き飛ばしたかは定かでないが、突き飛ばされた反動で、一人がアスタコと呼ばれる二本の腕を持つ重機の操縦席になだれ込む。そのままどこかに頭をぶつけ、気を失ったのだが…、
アスタコ、動き出してしまったのだ。
二つのアームが不可思議な動きを始めただけでなく、なんと気絶した男、タッチパネルの上に倒れ込むように突っ伏しており、前進まで始めてしまう始末。更に不運は重なり、前進した先にあるのはこれから解体する予定の古いマンション。ノンストップで進めば直撃だ。アームの不可思議な動きを考えると、土台を壊されたマンションは重機に向かって崩れ落ちるに違いない。
現場は騒然となった。何とかアスタコを止めたいのだが、操縦席に乗り込もうにもアームの動きが激しく、近付くのも危険な状態だったのだ。
皆、その場から離れ、ただ茫然と目の前の光景を眺めていた。
もしマンションが崩壊するようなことがあれば、今、操縦席にいる誰かは瓦礫の下敷きになるだろうし、崩れ方いかんでは近隣の建物にも危険が及ぶだろう。頭でわかってはいたが、だからといってどうすることも出来ないのだ。
そんな中、暴れまわるアスタコに向かって走り出した人物がいた。サカキである。
作業員たちから彼を止めようとする声が上がるが、まったく聞き入れる気配はなく、暴れまわる巨大な重機に突っ込んでいく。
そんなサカキを見ているうち、ラ・ドーンの中で渦巻いていた靄が、一瞬ですべて晴れ渡ったのだ。自分が軍にいた時、常に心の中にあったのは忠誠心。
誰に?
それは祖国でもあり、親や兄弟、友人、恋人、そして何より、自分自身に、だ。
上司でもあった彼からの裏切りと親友の死によって闇の中に放り込まれた心に、小さな、火が灯る。
自分の中の、正義。
今、目の前にある脅威から、人を、街を守ること。
それこそが自分への至心でもあった。
『誰も見ていなくても、いつも正しくありなさい』
それが家訓だった。
忘れていた。
正しくある、ということを。
ラ・ドーンは一切の迷いを捨て、サカキを追った。
サカキはアスタコに追いついてはいたが、アームの動きが複雑すぎる上、蛇行しながら前進している巨大重機を前に狼狽し、操縦席に辿りつけないようだった。
ラ・ドーンは動き回るアスタコの動きを目で追った。右へ、左へ、斜め、上下…、
カッと目を見開き、走る。あっという間にサカキを追い越し、その体からは想像も出来ないほどの速さで操縦席へと滑り込んだ。遠くから作業員たちの歓声が聞こえる。
だが、まだだ。
止めなければ。
もう、マンションはすぐ目の前まで迫っていたのだ。
倒れている男をどかし、パネルを操作する。この程度の機械ならマニュアルなど必要なかった。いくつかのボタンを押し、まずはその動きを止め、更にアームを止める。だが、間一髪のところでアームがマンションの一部に当たってしまう。その衝撃で、壁の一部が崩壊した。
作業員たちの喚き、叫ぶ声。
まるでスローモーションを見ているかのように、アスタコの操縦席目掛け落ちてくるコンクリートの塊。まさに一瞬の判断。
ラ・ドーンは気を失っている男を操縦席から投げ、自分も飛んだ。男の頭を庇うように覆い被さると、ラ・ドーンの上に影が出来た。
ガラガラと崩れる瓦礫。
大きな破片がアスタコの操縦席を潰す。
割れた破片がそこら中に投げ出され、白い土煙のように舞う。
白い霧が晴れると、そこには覆い重なるように倒れている三人の姿があった。
遠くで呆けていた作業員たちが一斉に走り寄る。
ラ・ドーンは自分の上に乗っていたものを信じられない気持ちで見遣った。
サカキだ。
あの一瞬で、二人を守ろうと一番上に覆い被さったのだ。
「危ないじゃないのっ。なにしてんのよ、あんたっ!」
思わず素で話してしまう。
そんなラ・ドーンに向かってサカキは笑いながら言ったのだ。
「やっと口を利いてくれたな」
と。
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