第20話

「よぅ、カルロ、どうした?」


 マクレ三番都市警察、廊下の隅に設けられた自動販売機でコーヒーをすすりながら難しい顔で考え込んでいるのは、警察署切っての敏腕刑事、カルロ・ベルその人である。声を掛けてきたのはお馴染み、デルディオ。昨夜からずっと張り込みだったため、事情は知らない。


 カルロは、今にも首を括りそうなほど悲壮な表情でデルディオを見上げた。デルディオが驚いたように眉を動かした。


「なんだよ?」

 カルロがこんな顔をしているところなど、アルロアの葬式以来ではないだろうか。何か、あったのだ。

「……カルロ?」

 一向に口を開こうとしないカルロに顔を近付ける。カルロは今にも消え入り壮な声で一言だけ告げた。


「……クララがいなくなった」


「いなくなった?」

「昨夜、帰って来なかった」

 溜息混じりに言葉を紡ぐ。

「サカキさんのところは?」

「いない……そうだ」


 とはいえ、サカキ本人に問い合わせたわけではない。そんなことをして、もしクララがその場に居合わせなかったらサカキに何をされるかわかったものではない。サカキ自身も、何を仕出来すかわからないのだ。だからカルロが連絡をとったのはレイナである。


「大体、サカキの所にいるのなら必ず連絡があるんだ。俺なんかよりサカキの方が家庭においては常識人だからな」

 連絡もなしにクララを連れ立ったりはしない男だ。と、なると……。


「……誘拐ってことか?」

 声をひそめて、デルディオ。カルロが大きく息を吐く。

「可能性は、ある」

「だが、誰に?」

「俺を恨んでいる人間など、三番都市だけでも何百といるさ」

「思い当たることは?」

「友人知人、遠縁の親戚から全て連絡してみたが、何も。昨日はいつも通り学校へ行き、いつも通り帰宅したらしい。俺が家に着いたのが夜の十時過ぎ。帰った形跡はない」

「じゃあ、下校途中に?」

「だろうな」


「……あの脅迫状と関係があるのか?」

 カルロの元に届けられた脅迫状。一応議会に提出し、街の巡回に気をつけるよう呼び掛けてはあったものの、まさかこんな事になるとは思っていなかったのだ。

「わからん。……が、あの脅迫状を届けに来たのは間違いなくプロだ。IDカードもなしにここに入ったんだからな」

「……連絡待ち、か」

「ああ」


 ギュッ、


 空になった紙コップを力まかせに握り潰す。怒りよりも、不安が広がっている。もし、クララに何かあったらアルロアになんと言えばいい? 大切な娘なのだ。彼女の忘れ形見なのだ。どうしてもっと気をつけてやれなかったのだろうという後悔の念ばかりが沸き上がる。


「サカキさんには知らせない方がいいな」

 デルディオが顔をしかめた。

「お前、殺されるぜ」

 サカキのクララに対する過剰なほどの愛情を知っているだけに、それは必至と思われる。だが、全てが片付いた後に「どうして知らせなかった!」と、どやされる可能性は大だ。


「……一遍、殺された方がいいのかもしれないな」

 今までにも何度か、首を絞められたことがある。クララ誘拐未遂事件、である。サカキがたまたま居合わせたから未遂だったものの、クララ誘拐は今度が初めてではない。その度にカルロはサカキに耳が痛くなるほど説教されていたのだ。それなのに、またとは……。


「所長には?」

「言ってない」

「どうして?」

「犯人から連絡がないからな。下手に騒ぎ立てて犯人を刺激するようなことになれば困るだろう?」

「……どんなに娘を心配してても頭の中は仕事してるんだな、お前。関心するぜ」

 デルディオが肩をすくめた。

「じゃあ俺もおとなしくしていよう。何かあったら絶対知らせろよ。待機してるからな」

「すまんな」


 本当ならこれから非番になるはずだったのに……。まぁ、刑事という職業柄、休みなんてあってないようなものではあるが。


「……クララ」

 連絡があるとすれば今日中だろう。多分……デスクの電話だ。馬鹿にした話だ。


(俺の行動範囲内に介入することなど朝飯前ということか)


 ある意味、挑戦である。金目的でないことなど百も承知している。後はこちらがどう出るか、だ。話を大きくしてしまっては向こうの思う壷だ。かといって個人的に動けるほど仕事が暇なわけでもない。デルディオが力を貸してくれるのを見越しても、やはり人員不足に変わりはなかった。

「サカキに頼むか? ……いや、」

 デルディオの言葉じゃないが、殺されるかもしれない。……が、黙っているよりはましかもしれない。


 カルロは重たい腰を上げると、近くの公衆電話にカードを差し込んだ。





「ヴィグ、用意は出来たのか?」


 サカキが玄関先から声を掛ける。ヴィグが奥から駆けて来る。誰かと一緒に買物に行くなど、しかも自分の物を買ってもらえるとあって、気持ちが高ぶっている。

「おう!」

 拳を振り上げてガッツポーズなど作って見せる。いい笑顔である。ずいぶんと自然になってきた。


 サカキはそんなヴィグの笑顔を見、嬉しくなっていた。自分自身も、ヴィグに対しての遠慮が減りつつあることを感じていた。思ったことを素直に伝える。そんな簡単なことが他人同志だと意外に難しいものなのだ。


「……サカキ、その服、ちょっとダサいぜ」

「そ、そうか?」

 チノパンにポロシャツというラフな姿。背広(仕事時)とタキシード(ナイトキース時)しか見せたことがなかったせいで違和感があるのかもしれない。


「それじゃまるで日曜日の親父だぜ」

 ポソリ、恥ずかしそうに呟いたヴィグ。サカキははにかんだままヴィグの頭に手を乗せ、撫でた。


「さぁ、いくか。あまり時間がないからな」

 午後からはナイトキースの出番。約束の二時まではあと四時間しかないのだ。

「俺がサカキの服、見立ててやるからな」

 ヴィグが玄関を勢いよく開け、外へ飛び出した。サカキもその後に続く。


 カチャリ、


 玄関の鍵が廻り、部屋に静けさが訪れた。


 プルルルルル、プルルルルル


 サカキ宅。電話の音が鳴り響く。


 プルルルルル、プルルルルル


 誰かが受話器を上げる形跡はまったくなかった。


 プルルルルル、プルルルルル……





 どこかで電話が鳴っている。


 遠い意識のどこかでそんなことを考える。音は一向に鳴りやむ様子がなく、コール音も段々大きくなってきた。


「……るさいなぁ」

 布団を頭の上までたくし上げ、レイナが文句を言う。ここが自分の部屋ではないこと、そしてどうやら電話が鳴っているのは隣の部屋……つまりオフィスであることに気付き、慌てて体を起こす。


 昨夜はここで徹夜してしまったのだ。サカキの注文品、超弱力爆弾の製作で、だ。


 プルルルルル、プルル、


「はいはいはーい」

 急いで受話器に駆け寄り、取る。


 プツ、


「ああーん、もぅっ」

 タッチの差で電話は切れてしまった。

「いいかげん留守電入れればいいのよ、社長も」

 これが仕事上の取引の電話だったとしたら、今の電話に出なかったことで会社しては大きな損失である。大企業ではないのだ。小さな仕事一つが多大なる影響力をもっている。

「知らないからねぇっ、ふぁ~」


 まだ、眠り足りない。約束の時間まではあと一寝入りできるだろう。レイナは電話の電源をオフにし、再び温かい布団の中に潜り込んだ。


 昨夜、カルロからの電話でクララがいなくなったことを耳にした。サカキには言うなと言われていたが、事と次第によっては連絡しなければと思っていたことなど、とっくに忘れているのだった。


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