第8話

「ねぇ、せんせぇ、ヒーローは明日来るんだよねっ?」


「え?」

 帰りのバスの中、その一言にトワコは胸がチクリと痛むのを感じた。

「ヒーローは来ないんだぜ」

 ずい、と身を乗りだしてきたのはいつも大人びた言葉を使っているカイ。

「どうして?」

 何日も前からヒーローを待ちわびていたハヤトが泣きそうな瞳で反論する。

「俺、知ってるんだ。芸能プロダクションの人から連絡があって、スケジュールの都合が悪くなったからって、中止なんだぜ」


 どこから情報を仕入れたのやら、カイは自慢気に大声で言ってのけた。バスに乗っている他の子供たちから一斉にブーイングが飛ぶ。運転手のゲンさんが困ったような表情を浮かべてバックミラー越しにこちらをチラリと見たのがわかった。


 今回の企画は幼稚園上げてのもので、創立三十周年を記念して、今、テレビで人気絶頂のヒーロー、サンダーマンを幼稚園に呼ぶというものであった。子供たちがその日を待ちわびていたことはゲンさんも知っている。そしてその企画が中止になったことも。だが、仕方がないことだ。キャンセルが決まったのは、事務所側に別件の仕事が入ってしまったためだった。割に合わない安い仕事よりも、遊園地などで行われる大きなショーの方がギャラがいいのだ。そちらを選んだとしても文句は言えない。


「せんせぇ、嘘だよね?」

 愛くるしいつぶらな瞳を涙で一杯にしてハヤトが問いかけて来る。他の園児たちもじっと黙り込んでトワコの答えに耳を傾けていた。

「あ、あのね」

 トワコが真実を口にしようとした瞬間、それは突然やってきた。


 キキーッ


「きゃっ」

 幼稚園バスというものは必要以上にゆっくりと、慎重に走る車である。しかも運転しているのはベテランの運転手。こんな風に急ブレーキを掛けることなどまず、ない。


「なっ、なに?」

 トワコが慌てて体制を立て直し、運転しているゲンさんの方を見た。

「あれは……?」

 ゲンさんは目を見開いて前方を直視したまま固まっていた。トワコもつられて前方に目をやった。

「……え?」

 ゲンさんが固まったのも無理はない。趣味の悪い恰好をした男が二人、バスの前に立ちはだかっているのだ。


 一人はミリタリーファッションに身を固めた大柄な男。もう一人は手品師のようなタキシード姿。二人とも仮面のようなものを付けているため顔はよくわからない。

 二人の男はバスが止まるや否や、まっすぐこちらに向かってきた。大柄な男の方がバスの扉に手を掛ける。


 バキバキッ


 いともたやすくバスの扉をこじあけると、ずんずんと中に入り込んできた。子供たちの間から悲鳴が起きる。トワコが慌てて男の前に立ちふさがった。


「なっ、なんなんですかっ!」

 と、男の後ろから今度はタキシード姿のもう一人が顔を覗かせた。呼吸を整え、声を発しようとしたその時、


「ああっ!」


 トワコがポンと手を叩く。

 一呼吸置いて、いっぱいに息を吸い込むと、大きな声で叫ぶ。


「みんなーっ、大変よぉっ、悪者がバスを乗っ取ろうとしてるのよぉっ」

 にこやかに笑顔すら浮かべて声を上げるトワコ。まるで子供向け番組のお姉さんのようである。驚いているのは乗り込んできた男二人の方だ。サカキは開いたままの口を閉じることも出来ず、その場に立ちつくしていた。

「さぁ、みんなぁー、サンダーマンを呼びましょう!」

 トワコの言葉に合わせるように園児たちの顔にも笑みが戻る。全員があらん限りの声で、『サンダーマン!』と叫んだ。


「なっ、なんなんだ?」

 ようやく我に戻ったサカキがラ・ドーンに尋ねた。

「……さぁ?」

 ラ・ドーンは首をひねったままバスの中で起きている奇妙な光景を眺めている。


「あのっ、」

 トワコがサカキの前に立ち、右手を差し出す。促されるままにサカキも手を出した。がっちりと、握手を交わす。

「ありがとうございます。来て頂けるとは、感激ですわ」

 初めてのバスジャックでこんな歓迎を受けようとは、サカキは夢にも思っていなかった。

「……はぁ、」

 言葉が出ない。というか、考えていた台詞はあったのだが、すっとんでしまっていた。


「で、サンダーマンは?」

「……は?」

「だからぁ、」

 じれったそうに体をくねらせ、トワコ。かと思うと今度は体をこわばらせ、絶望的な顔でサカキの目を覗き込む。

「もしかして……あなたたちだけ?」

「いや、そのぉ、」

「総帥ぃ、なんか勘違いされてるんじゃないんですかぁ?」

 ラ・ドーンが冷静に判断を下す。が、ラ・ドーンの台詞をまたまたトワコが勝手に納得した。

「あっ、私ったら勝手ばかり言っちゃって。そうですよね。わかりました。好きになさってください」

 両手を上げ、ニッコリ微笑む。


 サカキはラ・ドーンを見た。

 ラ・ドーンもサカキを見ている。


 サカキはゴホン、と一つ咳払いし、笑った。


「うはははははははは。我の名はナイトキース! この世の悪という悪、邪悪の権化、大組織デオドルラヴィーセウルコーポレーションの総帥であーる!」


 ……シーン


「……つ、つまり。……我々は今、このバスをジャックした!」


 バサァッ、


 マントをひるがえす。


「あああっ、どうか子供たちだけは助けてぇぇっ」

 恥ずかしいほど芝居掛かった口調でトワコが横槍を入れる。

「だぁぁっ! お前は 黙っておれっ」

 サカキがトワコを小突く。よろけたトワコを支えたのはラ・ドーンだった。

「大丈夫ぅ? んもぅ、総帥ったらやりすぎよぉ、」

 その横顔を見るトワコの瞳が変化したことにラ・ドーンは気付いていない。


「マドンナッ、バスを出させろ!」

「はぁーい」

 ちなみに、マドンナとはラ・ドーンの悪名である。

「ってわけで運ちゃぁん。前の車に着いて走ってくれるぅ?」

「……あ、はぁ、」

「リンダ、先導おねがーい」

 小型の無線で待機しているレイナに声を掛ける。レイナの乗ったボロ車が静かに走り出した。バスがその後に続く。


「走り出したようだな」

 サカキが深く頷き、園児たちの方を振り返った。と、


「でね、サンダーマンは今日は忙しくって来てもらえないんだって。だから悪役のおじさんたちが変わりに駆け付けてくれたってわけなの」

 トワコが勝手に説明を始めていた。


「こらこらこらこらー!」

「はーい、みんなぁー、おじさんにありがとうはぁ?」

「ありがとーっ」

「って、ちっがーう!」

 声の限り叫ぶ。だが相手は幼稚園児である。人の話を黙って聞いてくれるほど大人ではなかった。


「ねぇおじさん、何でそんな格好してるの?」

「ビームとか出せる?」

「サンダーマンに負けると悔しい?」

「奥さんいる?」


 質問責めである。


「まぁ、すっかり仲良くなっちゃって……」

 トワコは輪の中にサカキを残し、自分はすたすたと席に戻った。肩をすくめ、サカキを見ていたラ・ドーンの腕を掴むと強引に自分の隣に座らせる。


「あの、コーヒー飲みます?」

 頬をうっすらピンクに染めて、缶コーヒーを差し出すトワコ。ラ・ドーンがそれを黙って受け取った。缶を開け、一気に飲み干す。

「……今日は、本当にありがとうございました」

 改めて、トワコが礼を述べる。

「……」

 ラ・ドーンはあえて何も答えなかった。サカキに「必要以上に喋るな」と言われているのだ。

 というか、そもそも今のこの状況がよくわからない。


「忙しいからって断られたときにはみんなとても残念がってたんです。来ていただけて嬉しいですわ。……あ、もちろん、サンダーマンが来てくれなかったのは残念ですけど、ほら、見て」

 園児たちを振り返り、目を細める。

「みんなとっても楽しそう」

 ラ・ドーンも横目でチラリと覗いた。サカキは決して楽しそうではなかった。殴られたり、蹴られたりしているようだ。


「あの……お子さんは?」

 トワコの質問にラ・ドーンは少し不機嫌そうに首を振った。対照的にトワコの瞳は輝く。

「じゃあ、ご結婚は?」

「してねぇよ」

 ぶっきらぼうに返す。イライラしたり不機嫌になるとラ・ドーンは男言葉になるのだ。低い、ハスキーボイス。


(……す…素敵)


 手を胸の前で組み、うるうるした瞳で酔いしれているトワコ。ラ・ドーンはというと、


(冗談じゃないわよ。何で私に子供がいるなんて思うわけぇ? 結婚? そんなのするわけないじゃないのっ。大体何なの? こんなことして愛しのカルロ様に追い掛けられるなんてこと可能なのかしら? 社長は子供と戯れてるし、んもぅ、いやっ)


 ってな具合である。


 バスは走る。


「ねぇ、手品とか出来ないの?」

「その格好ダッサーイ」

「テレビに出てたことあったっけ?」

「……ぅああああっ」


 バスは走る。


「でね、理想と現実って難しいですよね。事、男と女の間ってぇ、」

「……」


 バスは走る。


「こんな仕事してるから結婚出来ないんだよ、おじさん」

「えー、でも私けっこう好みだなぁ」

「やだぁ、ルミちゃん趣味悪ぅい」

「……ううっ、」


 バスは走る。


「好みとか厳しいんですか? あ、でも私、料理も洗濯も出来るしぃ、歳もまだ若いしぃ、けっこうお勧めですよぉ、」


 ……バスは走り続ける。

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