第1話

 マクレ三番都市警察署。


 さして犯罪の多い都市ではないにしろ、窃盗、詐欺、痴漢から家出、ご近所の苦情に至るまで、警察署というのは年中無休、慈善事業の職場である。最近では誘拐や殺人という非道な犯罪も目立ち始めている。職員は忙しそうに館内を右往左往していた。


「カルロ君」

 椅子に背を凭れ、湯飲みを片手に鏡を見ながら、でっぷりと太った年配の男がカルロを呼び止めた。マクレ三番都市警察署長、ラカム・シオダである。薄くなり始めた頭を気にしているのか、暇を見つけては鏡を見ている。

「はい?」

 呼ばれたカルロは手に山程の資料を抱えたままラカムの前に立ち止まった。

「あ~、その、何だ、」

 話が長いことでも有名な人物だ。用があるから呼び止めるのが普通だが、彼は呼び止めてから用事を思い出す。こういうときは黙って待つしかない。


「…………」

「あの~、あれだ。そうそう、この間はご苦労だったね」

『この間』がいつのことなのか、はっきり言ってわからない。だが、これ以上長居をするつもりはなかった。飛び切りの笑顔を浮かべ、礼を言う。

「有難うございます。これも皆、所長のおかげです」

 どうやったら所長のおかげになるのだか。が、こう言えば所長が満足して開放してくれることをカルロはちゃんと心得ていた。

「あ~、うん。これからも精進したまえ」


 ずずずっ、


 茶を啜る。

 なぜ彼が所長になれたのか、それは永遠の謎である。


「カルロ、」

 やっとのことでデスクに戻るや否や、今度はデルディオが封筒片手に寄ってきた。デルディオはカルロの同期で、よくコンビを組んで事件を解決したものだ。いわば、相棒、みたいなものである。

「よう、デルディオ、久しぶり」

 冗談めかして挨拶を交わす。久しぶりも何も、つい先日一緒に飲みに行ったばかりだ。仕事柄、この頃はあまり顔を合わせることはなかったが、少なくとも週に一度は一緒に飲みに出掛ける。プライベートでも仲がよかった。本人たちは、悪友、だと言っているが。

「ああ。久しぶり。しばらく見ないうちに、お前、老けたな」

 デルディオもまた、肩をすくめ、返す。それから不意に真剣な顔になって手にした封筒をカルロに放った。


「……これは?」

 まっ白な封筒。後ろに差出人の名前はない。そのかわり、ピンク色の小さなハートマークのシールが貼付てあった。

「お前宛だ。モテる男は辛いな」

 パシ、肩を軽く叩く。

「おいおい、そんなんじゃ、」

「宛名見てみろよ」

 嘆息混じりに、デルディオ。カルロの机に寄り掛かり、手にしたタバコに火を付けた。


 マクレ三番都市警察署内、カルロ・ベル様


 丸っこい、右上がりの癖字で、そう記されている。一文字ずつ色を違えて書いてあり、何というか……とても派手である。

「誰が見たってファンレターだぜ?」

 の、わりにはデルディオの表情が硬い。ファンレターが届くのは初めてではないが、今日に限って茶化さないのはなぜだ?


「……お前、まさか…読んだのか?」

 封が開いている。面白半分に中を見やがったな。……と、いうことは内容に何か問題があるのだろうか? 無言のまま見つめ返す。デルディオが早く読め、と言わんばかりに封筒を顎でしゃくった。カルロは中から便箋を取りだし、広げた。


「うわ、」

 広げるなり、眉をしかめる。

「な?」

 すかさずデルディオが同意を求めた。


 赤、青、緑、オレンジ、黄色、ピンク、とにかく沢山の色使い。しかも、蛍光のペンを使っていると見え、目にチカチカ来るのだ。字の周りにはスタンプで作った模様が縁取られていた。見辛いことこの上ない。


「読んでみろよ。ますますわからなくなるぜ」

 タバコを灰皿にこすり付け、カルロと一緒に便箋を覗き込む。



『カルロ・ベル様☆

 いきなりのお手紙、ビックリしちゃった?

 っていうのも、実は言っとかなきゃいけないことがあってぇ、あのね、あたしたちぃ、悪の大結社デオドルラヴィーセウルコーポレーションっていうんだけどぉ、あ、もちろん言い辛かったら略して呼んでもいいわ。例えば、デヴィーとかね。でぇ、えっとどこまで書いたっけ? そうそう。あのね、悪の大結社っていうからには悪いことするわけ。

 何をするかって?

 うふふ、知りたい~?

 でも、それは、な・い・しょ!

 だからぁ、覚悟しててねっ!

 長い付き合いになると思うけどぉ、そこんとこ、四・六・四・九!

 じゃ、まったね~!

     敬具


 デオドルラヴィーセウルコーポレーション代表取締役社長 ナイト・キースより☆』



「……何だ? これは」

「知らん」

「新手のファンレターか? それとも嫌がらせか?」

「俺に聞くな。お前宛なんだから」

 デルディオが眉間に皺を寄せる。


 カルロは頭を掻いた。

 嫌がらせなのだろうか? それともただの悪戯か。本当にファンレター? 今時、数字並べてヨロシクなんて書く奴、絶滅危惧種だろう。

「事件性があるかどうか……お前どう思う?」

「事件性ねぇ……」

 どう考えてもこれが予告状や脅迫状だとは思えなかった。もし、仮にそうだったとしても、こんな文章を書く輩の起こす事件など、たかが知れているだろう。カルロは封筒を握り潰し、ゴミ箱へ放った。

「心配するほどのものではなかろう」

 ファイルを広げ、とっとと自分の仕事に取り掛かる。

「何だよ、クララに見せてやればいいのに」

 ご丁寧にゴミ箱から封筒を取り出し、伸ばしてよこす。途端にカルロの顔が曇った。

「……なんで?」

「面白いだろ?」

「……嫌だ」


 ぐしゃ。


「クララは俺の大事な娘だ。こんなつまらん物を見せる必要などない」


 ぽいっ、


「それに、何で俺宛の手紙をお前が開けたんだ? 窃盗もしくは信書開封罪で現行犯逮捕するぞ?」

「窃盗って、盗ってはいないだろ?」

「じゃあプライバシーの侵害で告訴してやる」

「悪かったよ。面白そうだったもんでさ、つい、な」

 形ばかりといった風ではあるが、両手を合わせて頭を下げる。カルロが顔をほころばせ、にこやかに言い放った。

「『月雫の星』三本で手を打ってやる」

「なにぃ?」


 月雫の星。一本何十万の高級吟醸酒である。給料日当日、やっと一口飲むのが精一杯の酒だ。ただし、高いだけあって味はすこぶる、いい。

「いくらなんでも高過ぎるだろっ」

 今度はデルディオが渋面をつくる。

「じゃあ、仕方ない。今日の残業任せる。それでいいだろ?」

「う……、」

 もはや嫌だとは言えなくなってしまった。月雫に比べれば残業の方が……、


 そこまで考えて、はたと気付く。何で手紙を読んだくらいでそんなことを押し付けられなきゃならんのだ。


「ちょっとま、」

「ラッキー!」

 待てを言う隙すら与えない。さっさとファイルを手渡し、上着を持って出ていってしまった。

「カルロっ、」

「頼んだぜ、デルディオ」

 振り返りもしない。

「……ちぇっ、はめられた」

 手渡された分厚いファイルを見る。


 ……残業、日付が変わるまでに終わるのか?

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