第677話 閑話 歴史を記す男


「三郎様。由宇殿に仇討ちの機会を与えてくださり、感謝申し上げます」


 そんな挨拶してきたのは……たしか、斯波義銀や由宇喜一らと共に那古野へ逃げ込んできた男。中々に鍛えていることがその体格から察せられる。


「ふむ、いやなに、由宇殿の武勇があったからこそであろう」


 信長はそう答えるが、その男は小さく首を横に振った。


「いえいえ、その前のお膳立ては見事の一言。騎馬による左右からの挟撃で信友の馬廻衆を引きはがし、せっかく守りを薄くしたというのに三郎様は動きませんでした。……由宇殿の突撃を待ってくださったのでありましょう?」


「ほぉ」


 戦場においてそこまで見抜くとは、中々の戦術眼と冷静さである。


「聞きそびれておったが、おぬし、名は何と申す?」


「はは、太田牛一(信定)で御座います。尾張守護・斯波義統様の家臣の末席に名を連ねておりました」


「おりました、とは?」


 過去形であることを問い糾したのは忠臣たる森可成。ちなみに信長は言われてやっと「あぁ、そういえば」と気づいた系である。


 話に割り込まれたというのに、大田牛一は怒った様子も見せずに続ける。


「ははっ、大恩ある武衛様は身罷られましたので……。このあとどうするべきか思案しているのです」


 親に大きな恩があるのならば、その子供に忠誠を尽くすべき。そう考える者も多いかもしれないが、戦国時代においてはそうしない者も多い。


 有名な例であれば信長に引き立てられておきながら、その息子たちへの非道を行った豊臣秀吉か。


 現代的に言えば、「先代の社長には世話になったから無茶な仕事も引き受けたが、馬鹿息子相手では……」という感じだろうか?


 信長は割と空気が読めないし、人の神経を無自覚に逆なでするところもあるが……それでも愚かではないので牛一が何を言いたいのか察することができた。


「ならば、儂の元へ来るか?」


「おぉ! なんと有難きお言葉! それではまず城攻めにおいて我が弓の腕をご覧に入れなければなりませんな!」


 鼻息荒く気合いを入れる太田牛一を見て……遅まきながら信長は気づいた。帰蝶がときどき名前を出していた男だと。


 ――大田牛一。


 古くから織田信長の近侍(側仕え・官吏)として仕え、信長研究における一次資料という扱いを受ける『信長公記』を書き残す男である。



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