第671話 五条川の戦い・1


 織田信友は軍勢の中心で指揮を執っていた。

 彼は元々好き好んで前線に行くような人種ではなかったので、本来であれば清洲城に篭もって戦の推移を見守りたいところだった。しかし、もはや軍の指揮を委任できそうな人間がいないのだから是非もない。


 幸いにして渡河中に攻撃を受けることはなかったので、急いで陣形を整える。


 とはいえ、大陸の兵法書にあるような陣形を整えるのは無理な話だ。農民兵主体では碌な訓練ができないし、士気も低い。なにより信友自身にそれほどの将器はなかった。


 ゆえにこそ、信友が選んだのは単純な陣形。


 真ん中に槍隊を配備し、槍衾を形成。その背後に弓隊、さらに後ろに信友本陣を配置する方法だ。


 戦国時代の武器の主体は槍と弓。刀はあくまでもサブウェポンであり、足軽の中には持っていない人間もいる。無論、信友軍に『鉄砲隊』などというものは存在しない。


 対する信長の陣形は――鶴翼。その名の通り鶴が翼を広げたような形をした陣形であり、信友からは『Λ』のように見える。薄く広がることで敵を包囲しやすいという特徴があるが、その分各所の厚みがないので、敵が戦力を集中させると突破されやすいという欠点がある。


「よし! 三郎め、戦を知らぬくせに鶴翼なんぞを選びおったわ! 槍隊! 突撃! このまま中央を突破してしまえ!」


 鶴翼の中心。信長はそこに槍隊を配置している。さすがに重要部分なだけあって他よりも隊列が厚いが、突破できないほどではない。


 突撃。

 とはいえ三間(約5.4m)の槍を持っているので走るのは難しい。槍の穂先がたわまない程度の速度で鶴翼の中心、信長の槍隊へと近づいていく。


 槍での戦いについては諸説あるが、主なものとしてはそのまま敵を突き刺すか、あるいは槍を一旦振り上げ、相手に向けて叩きつけるという戦術がある。


 ただし、あまり柄が長い槍で突いても敵に当たったあとたわんでしまい威力が削がれてしまうので、やはり主立った攻撃は振り上げてからの叩きつけとなる。


 叩きつける、とはいえ降ってくるのが固い木の棒と鉄の塊なのだから破壊力は抜群だ。研究によっては突くよりも叩きつける方が10倍以上の衝突力があったという。


 信長の槍隊が槍を振り上げる。それを見た信友の槍隊も負けじとその場で立ち止まり、槍を振り上げた。さすがに三間もの長さの槍を振り上げるとき、歩きながらでは難しいためだ。


 ほぼ同時に振り上げられた双方の槍。


 その様子を見た信友は……絶句した。


(な、なんという長さじゃ!?)


 信長勢の槍。ただでさえ長い足軽の槍が、こちらよりさらに半間(約1m)も長いではないか!


 そんな長さの槍を、かき集めでしかない足軽が振り上げられるはずがない。

 だというのに信長勢はそれが当然のことであるかのように全員が揃って三間半(約6.4m)の長さの槍を振り上げていた。


(いかん! 槍の長さが違いすぎる! このままではこちらの槍が届かないではないか!)


 1mの差というのは思ったよりも大きい。今の地点では、槍を叩きつけたとき、信友勢の槍が相手に擦るか擦らないかというのに……信長勢の槍は信友隊を思う存分叩けるではないか!


「や、槍隊! 前に進め! 急げ!」


 そんな命令を下したところで、遅い。すでに双方の槍隊は槍を振り降ろし始めたからだ。


 空中で槍がぶつかり合う音と、何かを破壊する音が響き渡る。


 信長の槍隊は無傷。

 対して、信友の槍隊はあの一撃でもう最前列が半壊したようだった。


「ひっ、」

「も、もう駄目じゃ!」

「逃げるぞ!」

「命あっての物種じゃ!」


 生き残った足軽たちが長槍を捨て、我先にと逃げ出してしまう。ついさっきまで隣を歩いていた人間の頭が潰れたり、肩が破壊されたり、腕が折れたりした光景は恐怖心をかき立てるには十分であったし……なにより、こちらの攻撃が届かなかったことが彼らの心を折ってしまったのだろう。


「何をしておる!? 戦え! まだ戦は始まったばかりぞ!?」


 信友が馬上で槍を振り回し、幾人かの足軽に当たったが……それだけ。一度逃げ出した兵士を押しとどめることなど、どんな名将であっても困難なことなのだから。


「くそっ! 退却じゃ! 山王寺まで退くぞ! そこで体勢を立て直す――」


 破れかぶれに指示を出した信友の耳を、まるで落雷でもあったかのような連続した轟音が支配した。




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