第661話 閑話 ゲシュタルト崩壊


 しばらくして。鎧を身に纏った信長は屋敷から出てきた。


 まだ15歳程度の若輩とは思えぬ偉丈夫。これが『うつけ』であるものかと由宇喜一は信長に対する評価をさらに改めたのだった。


「若様! 犬千代隊! 準備整いまして御座います!」


 馬に乗って駆け寄ってきたのは犬千代。後の前田利家。なんとも奇妙な、鱗を貼り付けたような鎧を身に纏っている。


 ちなみにその鎧は帰蝶お手製の鎧であり、弓どころか鉄砲の弾すら弾き返す一品。さらにちなむなら外見は『史実』における前田慶次郎の朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足南蛮笠式によく似ていた。朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足南蛮笠式の各所をスケイルメイルにしたような感じか。いうなれば朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足南蛮笠式魚鱗式となるだろう。何と見事な朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足南蛮笠式魚鱗式であろうか。やはり素晴らしいな朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足南蛮笠式魚鱗式。


 鎧の名前はともかくとして。まだまだ主流である胴丸よりも洗練された防御。それと真っ向からケンカするかのような派手な装飾。さらには背中になびく真っ赤な母衣。


 この母衣というのは背後からの矢や投石を防ぐためのものであり、背中に取り付けた竹製の駕籠の上に絹布を取り付けたものだ。


 元々実戦的な防御具だったものが、その目立つ外見から後に精鋭部隊を示す証となっていき……特に、織田信長の黒母衣衆・赤母衣衆が有名であったという。


 そんな赤母衣を纏う、犬千代。


 背の高さや体格が良い上、身につけた鎧も朱色なのだからよく目立った。戦場においては真っ先に狙われるだろうが、それを恐れていては『かぶき者』などできやしない。


 さらには犬千代に従う騎馬武者たちも例外なく赤い母衣を背中に取り付けてある。これでは部隊長である犬千代が目立たなくなってしまうが、集団としての威圧感を重視したということだろうか。


 もちろんこの時期に母衣衆が編成されていたという記録はない。ないが、帰蝶から話を聞いた信長が「それはいいな!」と思いつきで編成してしまったのだ。


 その後も続々と信長の馬廻衆――いいや、母衣衆が集まってきた。どうやら大きく分けて黒い母衣衆と赤い母衣衆に分かれているようだ。


 その母衣衆、騎馬だけで50を優に超えそうだ。この時期、一城の城主が編成するにはあまりにも過大な戦力。


 しかもそれだけではない。


 馬が足りなかったり乗馬訓練をしていない者は長槍隊や弓隊を編制していたし、雑賀孫一を中心として雑賀の鉄砲隊が集まってきた。さらには空気を読んだ今井宗久も輸送してきた馬たちに馬具を取り付け始めている。


 騎馬50。今井宗久の連れてきた馬を使えばさらに50は増えるだろう。

 足軽も含めれば、総数は1000に達するかもしれない。


 ――なんという戦力であろうか。


 しかも、これだけの戦力を、号令一つで集めてしまった。これがたとえば寄親・寄子制度であればまず寄親に指示を出し、寄親が寄子に命じ、寄子が兵を集めて……という過程プロセスが必要になるというのに。


 これは、勝てる。


 確信を抱くと同時、由宇に焦りが生じた。


 ――このままでは、武衛様の仇討ちを、三郎殿に取られてしまう。


 この時点ではまだ斯波義統の死は那古野に伝わっていない。しかし、もし死んでいたとして――直臣(直接の家臣)である由宇らが弔い合戦に参加しないなど、許されることではない。


「さ、三郎殿!」


 地面に膝をつく由宇。


「拙者も! お供させていただきたく!」


 全力で頭を下げられた信長としては、戸惑うしかない。なにせ今の由宇は湯帷子ゆかたびら姿。川狩りをしている最中に逃げてきたのだから、本格的な戦装備をしているはずがない。


「……何とも立派な心掛け。しかし、見たところ甲冑はなく、武器も刀のみのご様子。いや槍くらいならお貸しできますが……」


 いざというときの籠城のために、甲冑の予備がないわけではない。だが、それはあくまで臨時で集めた農民に貸し出すためのもの。兜なんて上等なものはなく、すべて陣笠。具足(鎧)もかろうじて各部位が紐で繋がっているような古いものだ。とてもではないが斯波義銀の家老候補に貸し出せるものではない。


 それに、主君の仇討ちを志すほどの立派な武士が、雑兵の装備を身につけることを『是』とするかというと……。


「鎧など不要! 鎧なきを恐れて戦場に遅参したとなれば末代までの恥! どうか、どうか身一つでの陣借りをお許しいただきたく!」


「……お、おぉ、なんという心意気! なればせめて我が予備の馬をお貸しいたしましょう!」


 そう答えるしかない信長であった。以外と押しに弱い男である。……帰蝶に推されまくって嫁にしたのだから是非も無しか。




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