第658話 閑話 もちろんまだナポレオンは生まれていない


 信長が今井宗久と雑談していると、南蛮船二隻から次々と馬が下ろされ始めた。……体格の大小はあるが、どれもこれも気性が大人しそうだ。


 日本の馬は去勢をしないので気性が荒くなりがちであり、あのように大人しい馬は珍しいと言えよう。


「ほぉ、大人しい馬ばかりであるな」


「船での輸送となりますと、どうしても。一匹暴れるだけで大惨事となりますからな」


「で、あろうな。……50頭はいるか。また帰蝶が買い付けたのか?」


 大量購入はどうせ帰蝶。それはもはや皆の共通認識であるようだ。


「えぇ。とりあえず数日様子を見て、問題なさそうなら美濃へと連れて行こうかと」


「で、あるか」


「……帰蝶様からは『いざというときは三ちゃんに使わせちゃっていいですよ!』とのお言葉をいただいております」


「………………また何か企んでおるのか?」


「あの御方の場合は、どうにも読めませぬな。謀略なのか『ぽいんと稼ぎ』なのか」


 帰蝶の影響か妙な言葉を使う今井宗久であった。そろそろ自動翻訳ヴァーセットがブチ切れそうだ。


「む? よく見れば変わった馬具であるな?」


「えぇ。帰蝶様から教えていただいた、南蛮の馬具で御座います」


「ほぅほぅ、ほうほう」


 興味を引かれた信長が一頭の馬に近づく。基本的には日之本のものと似通っているが、所々が異なっている。


 最も目を引く違いはあぶみだろうか? 日之本のものは足の裏全体を包み込むような(スリッパのような)形をしているのだが、西洋式のものは鉄の棒を三角形に曲げたような形をしている。


 日之本の鐙は馬上で立ち上がり、足裏の好きな場所に体重を掛けることができるので、馬の上から矢を放つ『騎射』をするのに適しているのだが……西洋式ではうまく体重を鐙にかけられそうもない。


「中々に乗りづらそうであるな?」


「ははは、お武家様からすればそう見えるかもしれませぬが、手前どものような素人にはこちらの方が簡単に感じられるのですよ。なにせお武家様のように難しい操作は必要ありませんからな」


「ほう、そんなものであるか」


 ものは試しと西洋式の馬具を身につけた馬に乗ってみる信長。……なるほど。ただ乗って歩いたり走らせたりするならこちらの方が簡単かもしれない。


「おっ」


 馬の手綱を握った信長は驚きの声を上げた。馬の口には棒状の馬具(馬銜ハミ)を噛ませ、それを手綱で引いて馬を操作するのだが……日之本のものよりしっかりと馬を操作できそうなのだ。


「これはいいな。この馬具であれば今までよりも短期間で『騎兵』を鍛えることができよう」


「大量生産が必要でしたら、ぜひ手前にご相談を」


「ははっ、しっかりしておるな此奴め」


「商人でありますれば。……そういえば、帰蝶様が面白い乗り方を教えてくださったのですよ」


「面白い、とな?」


「――ん。見せてみる」


 孫一が頷くと、委細承知とばかりにお目付役の源三が馬に飛び乗った。そこまではまだ普通だったのだが、変わっていたのはそのあとだ。


 馬の左右から近づいた二人の男が、鞍と馬体を繋ぐ紐(ベルト)を握りしめたのだ。


「ハッ!」


 左右の人間に構うことなく馬を走らせる源三。走らせるとはいえ駆け足程度であるが、人間の足では付いていくのも難しい速度だ。


 しかし、左右のベルトを掴んだ男たちは、何とも軽快な足取りで地面を蹴り、馬と並走しているではないか。帰蝶が見れば「スキップしているみたいね」とでも言うだろうか?


「……なるほど。馬に引っ張られることで普段より早く走ることができるのか」


「はい。なんでも南蛮の『なぽれおん』という将軍がよく使わせた方法であるそうで」


「中々に面白いことを考える御仁であるな」


 だが、この方法であれば歩兵を迅速に移動させることができるだろう。あとの問題はどれだけの距離をこの状態で走らせることができるかであるが……。


 信長がそんなことを考えていると、慌てた様子で犬千代(前田利家)が駆けつけてきた。


「若様! 一大事っすよ!」



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