第649話 第16章 プロローグ 果心居士
――本願寺の法主・本願寺顕如は草むらに身を隠していた。
いや、すでに大坂の本願寺は焼失してしまったため、今現在『本願寺』はないのかもしれないが。
……いいや。
まだ本願寺は存在すると顕如は首を横に振る。親鸞聖人から脈々と受け継がれてきた『血』はまだ顕如の中に流れているし、親鸞聖人の御影がある限り何度でも本願寺を再建することはできるのだ。
……逆に言えば。
ここで顕如を殺し、親鸞聖人の御影を焼くことができれば、本願寺再興の芽は潰える。
そんな好機を、あの細川政元が逃すはずもなかった。
「――いたぞ! 顕如だ!」
下卑た声が周囲に響き渡る。
顕如の元へ向かってきたのは……七里頼周。元々は大坂と加賀との連絡役をしていた男で、淀城には間者(スパイ)として潜り込んでいたはずの男だ。
そんな七里は、今は欲望にまみれた目で顕如を見ている。
「はははっ! おぬしの首を持って行けば政元様からの覚えめでたく! 帰蝶様からも目を掛けていただけるだろう! 顕如! 我が立身出世のために死ぬが良い!」
「おのれ、恩知らずがっ!」
憎々しく毒づく顕如であるが、それで事態が好転するはずもない。すでに顕如の周りにはほとんど人がいないし、逆に相手は次々に増援を送り込んでくる。
一人で十人を倒せれば、あるいは。
いいや、そんなことができるはずがない。物理的に、不可能だ。
そう。物理的に。
ならば。
あるいは。
――突如として雷鳴が轟き渡る。
雲一つない空だったというのに、鳴り響いた轟音。空を走った稲光。
常識ではあり得ぬ光景。
しかし、顕如も、七里も、その非常識に心当たりがあった。
「――ぬぅ!? 奇っ怪な! よもや、
警戒しつつ顕如から距離を取る七里。
そんな彼と顕如の間に、一人の『者』が割り込んできた。
男か、女かも分からない。
この時代・この国には存在しないはずの漆黒のローブ。そのローブを目深に被っているおかげで顔は見えず、体型も隠れている。身長は高いから男だろうか?
「――お助けしましょう」
ローブの『者』が顕如に向けてそんなことを口にした。その声色からして、若い女性だろうか?
「た、助けるとな……? おぬしは一体……」
「そうですね。――果心居士。とでも名乗っておきましょうか」
くすくす、くすくすと果心居士と名乗った女が笑う。顕如を馬鹿にするかのように。あるいは、この世界そのものを楽しむかのように。
「い、いきなり現れたおぬしを信じろというのか!?」
気丈にも顕如が果心居士に相対するが、果心居士はそんな彼に対しても興味が薄そうだ。
「あなたが信じようが、信じまいが、どちらでも結構。どのみちあなたに選択肢はありませんし」
「ぬぅ……」
押し黙るしかない顕如を放置して、果心居士は七里に向き直った。
「で? あなたはどうします――あらら?」
先ほどまで七里とその部下がいたはずの場所。
そこにはもう誰一人残っていなかった。
「あの奇っ怪な術! もし真法であるならば! 政元様と帰蝶様にお伝えしなければ!」
それらしい言い訳を叫びながら、部下を放置して走り去る七里と、そんな彼を必死で追いかける部下たちであった。
「――あら、あら。面白いわね。その面白さに免じて、今回は見逃してあげようかしら」
くすくす、くすくすと果心居士が笑う。まるでこれから起こるであろう波乱を楽しむかのように。
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