第646話 閑話 尾張守護 御腹召さるること


「――皆の者! すでに武衛様は覚悟を決められた!」


 斯波義統の家臣である丹羽柘植がわずかな手勢に向けて演説する。


「我らはこれより武衛様が御腹召されるまでの時間を稼ぐ! すでに武運尽きた我らにとって、これほどの名誉があろうか!?」


「おおう!」

「黄泉路の道連れじゃあ!」

「一人でも多く首を落としてくれるわ!」


 最後の意地を見せようと意気込む家臣の中、守護邸の正門に陣取ったのは僧形の男・善阿弥。

 自らの放った矢がこの事態を招いたと理解している彼は、命乞いするつもりなどさらさらない。


「遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! これこそ武衛様にうたいによって召し上げられし時衆の善阿弥よ! 我が最後の芸事、とくとその身に刻むがよい!」


 いくら芸事で拾われたとはいえ、それでも戦国の守護に仕える男。善阿弥はその僧形に似つかわしくない武勇で以て押し寄せる敵を斬って斬って斬りまくった。


 その最後は全身に矢が刺さった上での仁王立ちであり、人々はかの弁慶にも劣らぬ武勇であると褒め称えたという。





「……兄者。善阿弥はずいぶんと暴れているようで」


「おう。弟よ、我らもせめて最後のあだ花を咲かせようではないか」


 大手(裏門)を守るのは森政武、掃部助兄弟。彼らは善阿弥のように門に陣取るようなことはせず、狭間(銃眼)から弓矢で敵を次々と射殺した。


 敵もさすがに守護を攻めるのは気が引けるのか、最初はそれほどやる気を感じられなかった。……だが、仲間が続々と矢に倒れていくうちに、彼らの目に明らかな殺意が宿ってきた。


 仲間の仇討ち。

 彼らもまた人の心を持っているということだろう。


 守護邸は相応の堀と塀を有しているが、あくまで存在するのは清洲城の中。武士の邸宅に本来あるべき武器庫は別の場所に置かれていた。

 つまり、継戦能力に乏しいのだ。


「……兄者。矢が尽きましたな」


「おう、事ここに至れば是非も無し。――おお! あれなるは柴田角内ではないか!」


「彼奴ほどの武芸者であれば最期の敵として申し分なし!」


「角内! 出合え! 出合え! 武士と武士の一騎打ちじゃ! いざ尋常に勝負! 勝負!」


 腰の刀を引き抜き、まずは兄である森政武が柴田角内に駆け寄った。







 正門は破られた。

 大手門もいずれは落ちるだろう。

 分かりきっていたことであるが、それでもなんと無情なことであろうか。


 尾張守護・斯波氏の居館として相応しく手入れされた庭を眺めながら、丹羽柘植は小さく首を横に振った。


「……幼君はどうだ? 逃がせたか?」


 幼君とは斯波義統の息子であり、史実においては信長家臣・毛利十郎に保護され毛利秀頼と名乗る子のことだ。


「……いえ、敵の包囲は厳重であり、這い出る隙もございませぬ。ここはせめて、庭石の影にでも隠れていただくしか……」


「そうか」


 相手も『尾張守護』を傀儡とするために、斯波氏の直系の血はなんとしても確保したいはずだ。……普通に考えれば。


 だが、普通であれば守護に弓を引くことなどあり得ないのだ。そんな連中に幼君の庇護を期待するなど……あり得ぬ。


 まずは物陰に隠れて、隙を見て逃げていただくしかない。

 もちろん柘植としても容易く成功するとは考えていないが……もはや取れる手がほとんどないのだ。


「女共はどうだ?」


「はっ、門や塀を乗り越えようとしておりますが、奴らめ、女にも容赦なく矢を射かけておりまする」


「鬼畜共が。餓鬼道の連中の方がまだ慈悲を持っているか」


「まことに」


「女共はもはや天に任せるしかあるまい。――屋敷に火をかけよ! 武衛様の御首級みしるし、謀反人共にくれてやるわけにはいかぬ!」


「はっ!」


 すでに準備されていた松明が屋敷に投げ揉まれるのを見届けてから、丹羽柘植は腰の刀を引き抜き、門を突破してきた敵へと一歩を踏み出した。







「お先にお待ちしております」


「……すまぬ」


 目を伏せてから斯波義統は自らの妻の胸に刃を突き立てた。


 弟である斯波統雅も妻や息子をその手に掛け、自らも切腹するために上衣を脱ぎ捨てて腹を出した。


 屋敷に火が回る。ずいぶんと早いので油でも撒いたか。


「丹羽め。こんな時まで催促するか」


「最期くらいゆっくりしたいのですがね」


「違いない」


 くくくっと笑いあう斯波兄弟。


「……兄上、何とも未練なことで御座いますなぁ。いくら『天道』が斯波と足利から離れてきたとはいえ……」


 家族の血に濡れた刃を自身の腹に押し当て、斯波統雅は悔しそうに声を絞り出した。


「だが、これで信友も終わりよ。我が仇は必ずや三郎が取ってくれることであろう」


「三郎……。兄上が目を掛けているという……。弾正忠ではなく、三郎が、ですか?」


「うむ。三郎ならば必ずやる。我が死を以て謀反人の命運が尽き、三郎が尾張を手に入れる。そう考えれば少しは無聊も慰められよう」


「…………、……その三郎という男。天の道を駆けますか?」


「――駆ける。いずれは尾張だけではなく、天下を手中に収めよう」


「ははっ、ずいぶんと買っておりますなぁ」


「うむ。あれこそがまさに大樹の器。おぬしにも見せてやりたかったのだがな」


「それは無念。せめてその三郎の天下盗り、草葉の陰から見守るといたしましょう」


「で、あるな」


 屋敷の天井にまで火が回り、庭先まで争いの音が響いてくるようになった頃。まずは斯波統雅、次いで斯波義統が御自ら腹を召された。


 焼け落ちた梁にでも押しつぶされたのか首は最後まで見つからず、また、辞世の句も伝わっていない。



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