第635話 閑話 うん? 一体誰の話をしているんです……?


 ――千代は休むことなく邁進してきた。


 元々帰蝶様にお仕えするようになったのは母や山城守様(斎藤道三)の命令によって。

 しかし、それが『命令』ではなく本心からの忠誠に変化するまでさほどの時間は掛からなかった。


 美濃の姫という立場にありながら、幼い頃に親元を離れ、熊野の奥地で修行をするという意志の強さ。

 そうまでして得た秘術を惜しむことなく用いて民を癒やす高潔さ。

 そして、そのような秘術を独占することなく千代たちに伝え、さらに多くの民を救おうとした視座の高さ。


 何という素晴らしい人物であろうか。


 しかも治癒術では救える人の数に限界があると理解し、今までのものとは比較にならぬほど効き目の高い薬を伝授して下さった。

 さらに、戦傷者にその薬を作らせることによって、戦傷者に仕事を与えてくだされた。


 効率だけ考えれば健常者を雇った方がいい。五体満足で仕事を求める者もこの稲葉山には続々と集まってきている。だというのに自らが得るべき利益を少なくしてまで戦傷者を雇うとは……。


 …………。


 巷では『薬師如来の化身』ともてはやされているが、それは違うと千代は思う。


 仏が人を救うものか。

 仏に縋って何が変わるというのか。

 帰蝶様は人であるからこそ、人を救おうとなさっているのだ。


 そんな御方の力になりたい。だからこそ千代は休むことなく治癒術を鍛え続けた。その努力が認められたのか、帰蝶様は次第に養生院へと顔を出すことも少なくなり、その運営を自分たちに任せてくださるようになった。


 これからだ。

 帰蝶様のお手を煩わせることはなくなった。

 これからは、帰蝶様の手助けとなれるようさらに邁進しなければ。


 決意した千代であったが、現実はそう甘くなかった。


 癒やしても癒やしても減ることのない患者。

 大したケガでもないのに銭にものを言わせて治癒を受けようとする者たち。


 そして、千代たちでは癒やしきれない患者も次第に増えてきた。危篤になった者のために阿伽陀アッキャダ(ポーション)を使ったことも一度や二度ではない。


 阿伽陀アッキャダは「どうしても癒やせない患者が来たときに」と帰蝶様から預けられたもの。数は潤沢にあるが、それを使うとは自らの力不足を認めるということ。帰蝶様にご迷惑を掛けるということ。なるべくなら使いたくはなかった。


 しかし千代たちはまだまだ無力であり。幾度となく阿伽陀アッキャダを使ってしまい。そんな現状を察したのだろう、とうとう帰蝶様のお手を煩わせることになってしまった。


 帰蝶様の指で突かれた額。

 途端に割れるほどの痛みが千代の頭に襲いかかってきた。


 これは罰であろうか。

 帰蝶様のご期待に応えられなかった自分への……。


 薄れる意識の中で、千代は天から降り注ぐ光を見た。風にたなびく美しき銀糸を見た。


「――道を知れ。ヒルデガ神の奇跡を、今ここにルト・フォン・ビンゲン


 それは奇蹟か。薬師如来の御慈悲か。


 いいや、今の千代には視えた・・・


 あれはあくまで術。治癒術を鍛えに鍛え続けた者だけが至ることのできる、もはや仏神の域にある最高の治癒術。


 いつか、自分もあれほどの術を――


 いいや、自分程度で至れるはずがない――


 自らの無力さに絶望する千代の横に、帰蝶様が膝をついた。


「――頑張りましたね」


 優しい言葉。

 それが本心からのものであると千代には視えた・・・


「この短期間でここまでのレベルに到達するとは思いませんでした。……千代さんなら、いつか大規模治癒魔法エリアヒールを使えるようになるかもしれませんね」


 期待。

 喜び。

 確信。


 それらの感情を瞳で読み取った千代は、まだ身体も満足に動かせぬ中ただただ涙を流していた。



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