第573話 閑話 我が望み


 しばしの川下りを楽しんだあと。


 三好長慶は津田宗達の屋敷に信長を招いた。どうやら長慶はこの屋敷に逗留しているらしい。


 長慶が茶室の襖を開けると、そこにいたのは帰蝶であった。


 まるでこの場にいるのが当然のような顔をして正座しているが、もちろん津田宗達も、三好長慶も、帰蝶を招いた覚えはない。


「あら三ちゃん。援軍ありがとね。三ちゃんに任せて正解だったわ」


「……任された覚えはないのだがな?」


「ちゃんと察して尾張からやって来てくれたじゃない」


「おぬしの言動は分かりにくすぎる」


「三ちゃんにだけは言われたくないわ」


「…………」


「…………」


「はっはっはっ」


「うふふふふ」


 におやかに笑いあう帰蝶と信長であった。もちろん目は笑っていない。


 そんな二人の親しい(?)様子を目の当たりにして、長慶は「ほぉ」っと感嘆した。あの読み切れない帰蝶という女が、ずいぶんと嬉しそうな顔をするではないかと。


 もしも松永久秀がその感想を聞いたら「……獲物を狙う鷹のような目にしか見えませぬが、どこが嬉しそうなのです?」と首をかしげるだろうが。


「ささ、まずはお上がりくだされ」


 ずいぶんと腰の低い様子で二人を誘う長慶であった。







「――さて。帰蝶殿が認めたほどの男。ここは腹の探り合いなど無しで行くとするか」


 と、雰囲気をがらりと変える長慶。並みの人間であれば戸惑うだろうが、良くも悪くも信長は慣れていた。織田信秀とか。斎藤道三とか。帰蝶とか。

 ともかく腹黒い人間から好かれる男である。


 そんな平然としている(ように見える)信長の様子を見て、長慶はさらに信長に対する評価を上げた。

 自分のあずかり知らぬ間に評価がどんどん上がっていく男である。


 ふむ、としばし悩んだ長慶は、宣言通り腹の探り合いは無しとした。


「帰蝶殿ほどの女人を味方に付けたのだ。信長殿は天下すら狙えるであろう。――さて、いかがするおつもりかな?」


「…………」


 帰蝶に頼めば、天下すら手に入る。

 それはあくまで帰蝶の力であり、夫の能力などは関係ない。


 言外にそう言われた信長は……特に反応しなかった。良くも悪くも帰蝶の規格外さをよく知っていて、それに比べれば自分など小さいものよと考えている彼である。


「はっはっはっ、たしかに帰蝶の力は凄まじいものがありますが、この女、それを頼りにして天下を狙うような男には見切りを付けるでしょう」


「ほぉ」


 信長の言葉に長慶は感嘆の声を上げ、当の帰蝶はというと「そんなことはないわよ三ちゃん! あなたが望むなら天下くらいプレゼントするわ! 駄目ニートを養う健気な女というのもそれはそれで!」なぁんてアホなことを叫んでいる。


 無論、信長も長慶も完全無視である。


 ぱしん、と長慶が扇子を自らの手のひらに打ち付けた。


「なれば、帰蝶殿に頼らず、自らの手で天下を狙うと申すか?」


「……拙者が狙うは天下であって、天下ではありませぬ」


「ほぅ? どういう意味であるか?」


「――天下布武」


「ほほぅ!?」


 興味深げに長慶がその身を乗り出し、対する信長は平然とした様子で自らの望みを口にした。


「並み居る大名を併呑し、天下に武を布《し》けば、戦国の世も終わりを迎えましょう」



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