第569話 閑話 帰蝶が悪い(すべてを解決する魔法の言葉
「――敵将! 討ち取ったり!」
自らが致命傷を与え、馬廻が落とした下間頼言の首を槍に括り付け、天高く掲げて見せる信長。そんな彼の活躍を称えるかのように雨が弱まり、雲間から差した光が信長を照らし出す。
「ら、頼言様が討ち取られたぞ!」
「も、もう駄目じゃ!」
「落ち着け! このまま逃がしてはならぬ!」
突如として現れた騎馬軍団を前にして、頼言の副官たちも混乱の渦中にあった。
だが、冷静に信長たちを取り囲もうとする動きをする者もあり、混乱が収まれば一向一揆十万にすり潰されてしまうだろう。
「…………」
「…………」
言葉を交わすでもなく頷き合う信長と景虎。
「撤退じゃ!」
「逃げるわよ!」
即座に馬の首を返し、一目散に逃げ出す信長と景虎。馬廻衆たちはそんな二人のあとを慌てて追いかけ、自然と小島弥太郎と直江ふえが殿を努める形となった。
一揆勢十万とはいえ、総指揮官が討ち取られたばかり。さらに言えば先ほどまでの雨によって足場が悪い。しかも『敵』全員が馬に乗っているとなれば……さしもの一向一揆たちも、満足な追撃は行えなかった。
――淀城の戦い。
本願寺方の総大将・下間頼言が討ち取られたこの戦いは残された資料が少なく、さらには吉兆教の不可思議な術ばかりが強調され……城方の逆襲部隊を指揮した武将の名前すら後世に伝わることはなかった。
ただ、淀城周辺では『織田信長伝説』が残っているという。
◇
「――お見事で御座いました!」
馬を縦横無尽に走らせて一向一揆たちを巻いたあと。信長たちが先ほどの高台へと戻ると、その場に残されていた虎寿が興奮冷めやらぬ様子で信長たちを出迎えた。
絵巻物のような武者突撃。
戦闘の場面こそ雨や霧のせいで見ることが叶わなかったが、下間頼言の首を落としてきてみせた勇猛果敢ぶりは少年が憧れを抱くのには十分すぎるほどの衝撃であった。
「で、あるか」
口数こそ少ないが嬉しそうな様子を隠そうともしない信長。
ずいぶんと分かりやすくなったものだなぁと側に控える森可成は感動すら覚えてしまう。
良くも悪くも。喜怒哀楽が分かり易い帰蝶との交流によって、あの分かりにくい信長にもこうして良い影響が出てきたのだろう。
……いや、帰蝶が本当に『分かり易い』のかどうかは議論の余地があるだろうが。あの女が実はとんでもなく分かりにくい存在であることを、森可成は薄々感じ取っていたからだ。
それはともかく。
敵将の首を取って満足したのか、淀川の上陸地点に戻ろうとする信長。
そんな彼に対して虎寿は思わず疑問をぶつけてしまう。
「あ、あの、帰蝶様にお会いしなくてもよろしいのですか?」
「うむ。あの女であれば上手くやるであろうよ」
「なんと……」
帰蝶の夫が信長であるということは、虎寿も今までの会話などから察している。妻のために十万の敵へと突撃する勇気もさることながら、そんな自分の戦果を誇ることもせず、妻を信じて立ち去ろうとするとは……。
なんという夫婦であろうか。
このような人間がいるのか。
本願寺の中で人間の汚さばかりを見て来た虎寿にとって、この織田信長という男の生き様は衝撃的すぎた。
そんな信長は、何かに気づいたように虎寿を見据えた。
「おっと、おぬしは帰蝶に会いに来たのであったな? 敵の大将を討ち取ったとはいえ、まだ一向一揆が淀城の攻囲を解くまでには時間が掛かろう。堺あたりで待っているか?」
「…………。……いえ、拙僧ではまだまだ修行不足。帰蝶様にお目に掛かったところで、本願寺を正すことなどできぬでしょう」
「うむ?」
「拙僧は、信長様の元で武将としての修行に励みとう御座います」
「であるか?」
なぜそういう流れになるのかまるで理解できない信長であるが、来るもの拒まずが彼の基本方針だ。仕えたいというのなら、仕えさせるのがいいのだろう。
「虎寿であったな。――良かろう! ならば尾張まで供をいたせ!」
「っ! はっ! 有難き幸せにございます!」
また無自覚のうちに歴史をねじ曲げる信長であった。たぶんだいたい帰蝶が悪い。
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