第565話 閑話 盛り上がってまいりました


 その『いさかい』のきっかけは、ほんの些細な出来事であった。


 おそらくはどちらの勢力に事情を聞いても「あいつらが悪い!」としか言わないだろう。


 ともかく、一向一揆の間で争いが起ころうとしていた。


 対するは本願寺本隊と、加賀の一向一揆。淀川が間に流れているため直接の衝突は起こっていないが、いつ弓や石が飛び交ってもおかしくはない剣呑さが漂っている。


 本願寺の連中は皆が皆痩せ細っている。蓮淳が生きていた頃は『贄』にするため故意に補給が遅らされていたし……蓮淳死後は補給計画が完全に破綻。必要な米がまったく届かない事態になっていたのだ。


 まったく足りていなかったとはいえ、それでも十万もの信者相手に補給を絶やさずにいたのだから、やはりあの蓮淳という男は優秀ではあったのだろう。腹の黒さと狂気は置いておくにしても。


 もはやいつ餓死者が出てもおかしくはない大阪本隊。


 対して、加賀の一向一揆はまるで『飢え』を感じさせなかった。


 頬の痩けている者など一人もいないし、肌の血色もいい。米だけではなく副菜もきちんと食べることができているからこそだろう。


 本願寺本隊からしてみれば決して許せない状況だ。自分たちは飢えで苦しんでいるというのに、あちらにはそんな様子もない。普通に考えればこちらに渡ってくるはずの補給物資を横領しているのだろう。


 噂を信じるならば、敵であるはずの淀城から補給を受けているという。

 横領。あるいは敵と通じる。どちらにしても許せないことであった。


 味方であるはずの加賀の連中に隠すことない殺気を放つ本隊。


 対して、加賀の方も敵意を隠そうとはしていなかった。


 自分たちが飢えていないのは帰蝶様の御慈悲のおかげ。目の前の連中は、そんな帰蝶様の立てこもる淀城を未だに攻め落とそうとしている。許せるはずがなかった。奴らはもはや同門ではなく、打ち倒すべき敵であった。


 そして。

 どちらからともなく矢が飛来し、投石が始まる。最初は散発的だったものが、瞬く間に全力の合戦へと事態が進行してしまう。


 まず冷静さを失ったのは本願寺本隊であった。次々に淀川に飛び込み、対岸に攻め入ろうとしだしたのだ。


 加賀の陣地には潤沢な食料があるはず。

 ならば、川を渡って奪いに行けばいい。


 飢えによって冷静さと統率を失ったが故の、短絡的な行動であった。


 加賀の方はそんな本願寺を嘲笑しつつ、努めて冷静に矢や投石で渡河中の『敵』を攻撃していく。


 いくら一向一揆の衝突力が凄かろうと、それは通常状態にあってこそ発揮される。今のように飢えで動きが鈍り、しかも川を渡ろうとすればいい的でしかない。


「――えぇい! 何をしているか! 止めさせろ! 敵城を前に仲間割れなど!」


 一向一揆の総指揮官・下間頼言が怒声を飛ばすが、興奮状態になった一向一揆にはもう届かない。今にも倒れそうな身体で淀川に入り、ある者は溺れ、ある者は流され、ある者は矢や投石の餌食となる。


 どうしたものかと頼言が奥歯を噛みしめていると――


「頼言様! 本願寺が! 本願寺が!」


 もはや悲痛さすら感じさせる悲鳴を上げながら、副官の一人が本願寺の方角を指差した。


「……な、なんじゃあれは……?」


 本願寺の上空。雲一つない青空。だというのに雷が落ちている。

 しかも一つや二つではない。昼でも分かるほどの閃光が、休む間もなく本願寺に落ち続けている。


 ――仏罰じゃ。


 誰かの呟きと共に――雨が降り始めた。



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